Pinky Promise 021

第1章 月夜の時盗人

4.指切り―Pinky Promise― 021

 新学期が始まった。
 小等部や高等部に入学する生徒にとっては四月は人生の契機ともなるべき時だが、進級するだけの二年生、三年生ともなるとその熱も薄れる。
 ジグラード学院高等部二年の教室では、どのクラスも大概は昨年と変わりない顔触れを眺めることとなった。
 フートやムース、レントやギネカの在籍するクラスもほとんどが昨年と変わりない顔触れだ。
 ただ一つ、空いた席を除いて。
「結局、アリストの奴は今日来なかったな」
「始業式からサボりとはいい度胸ですね~」
 レントが空席を眺めながら口を開けば、ムースが冗談交じりに言う。
 しかし彼らも、その机の周りに集まったフートもギネカも、次の瞬間には一様に顔を曇らせた。
「アリスト、本当にどうしたんだろ?」
「誰かダイナ先生から連絡受けてたりしてない」
「ない。あったら普通にメールしてるって」
 アリスト=レーヌの欠席に関しては朝のHRで軽く伝えられただけだった。クラスのほとんどの人間は彼の欠席の理由さえわかっていない。
 それはここにいる四人もほとんど同じだ。「理由らしきもの」は数日前に聞かされたが、それが本当に正確な理由かどうか半信半疑の状態だった。
「……気になるわよね」
 ギネカが険しい顔つきで言う。彼女はもともときつめの顔立ちなのでそんな表情をするとまるで怒っているかのようだが、親しい人間はそれが彼女の真剣さだと知っている。
「ああ。アリストが筆不精でメールもろくに返さないのはいつものことだけどな。あの日、ダイナ先生からわざわざ電話が来たのと、実際今日まで誰も姿を見てないってのは気にかかる」
 学年首席のフートが四人の不安を代表して言語化する。立てた指を一本ずつ折って不審な点を数え上げていくごとに、聞いている三人の顔色も悪くなっていった。
 アリストの筆ならぬメール無精はいつものことだが、それで納得できるのは彼の無事な姿を見てからだ。実際にダイナが彼の行方不明をここ四人に伝えてきた日以来まったく連絡もなく姿を消したことを合わせて考えると、今の状況はあまりにも不自然だった。
「ダイナ先生はいつもとお変わりないみたいでしたけれど……」
「いえ、そう見せていただけよ。物腰はいつも通りだったけど、なんだか動作に力が入ってなかったわ」
 アリストの姉であるダイナ=レーヌは今年は担任を持たないようだった。朝方廊下で見かけただけの姿だったが、そのいつもと違う様子をギネカは感じ取った。
「なぁ、ヴァイス先生の話、どう思う?」
 フートはそれも気になるようだった。
「泥棒に盗まれたものを取り返すために帝都を出たってあれか?」
 三日前に四人は、この学院内で講師の一人ヴァイス=ルイツァーリと出くわした。四人とも彼の講義をとっているので御馴染みの相手ではあるのだが、アリストについて考える時ヴァイスは単なる講師以上の意味がある。
「ヴァイス先生はアリストのお隣さんだし、ダイナ先生のことで色々変な付き合いがあるしな」
 アリストが友人にはしなかった連絡を、彼にだけ伝えることはなきにしもあらずと考えられるには考えられるが……。
「私、ちょっとおかしいと思う。アリストの性格と能力なら泥棒を追うのは考えられるけど、だったら帝都を出る前にまず非常線を張ると思うのよね」
「ギネカ、非常線って?」
 一学生に過ぎないアリストが警察でも動かすのか? とレントは突っ込んで尋ねる。
「つまり、私たちよ。『ちょっと手伝ってくれ!』って駆り出すくらいすると思わない?」
「……確かに」
「なるほど」
「アリスト君なら、するかもしれませんね」
 言われてみればそれもそうだ。ただのひったくりやコソ泥程度なら何の策もなくひたすら追いかけるだけというのは考えにくい。アリストは使えるものは最大限使う主義である。
「夜中だったんじゃね? ダイナ先生から電話かかってきたのも十時くらいだったろ? さすがにその時間に俺たちを叩き起こしたりは――」
「ムースとマギラスはともかく、俺やお前ならそれが夜中の三時だろうとアリストは遠慮なく叩き起こすと思うぞ?」
「……確かに」
 説得力のありすぎるフートの台詞に、レントはがっくりと項垂れた。それがアリスト=レーヌという男である。女子には多少遠慮する場面もあるが、男友達への対応は大概酷い。
「まぁ、でも、簡単に捕まえられると思ったら案外手強くて手間取ってるって可能性もあるよな」
「そうだな。けどその場合、本格的な追跡や捜索は流石に諦めて帝都に帰って来るんじゃないか?」
「……だよな」
 フートの言うとおり、一学生であるアリストがその立場を捨ててひたすら泥棒を追いかけているというのも不審である。
 そもそも何を盗まれたのかもわからない。そしてそれが何であっても、学生が学校を休んでまで泥棒を追いかけなければいけないと言うのはあまり自然とは言い難い。
 アリストの性格をよく知る四人にとっては、条件さえ整えばやりかねないと考えられることもまた確かなのだが……。
「フート、レント」
 放課後の教室にて、帰り支度そっちのけで話し込む四人に新たな人物が声をかけてきた。
 春休みを挟んだやや久しぶりの再会であるため、こうして雑談に興じる……と言うには彼らの話題は少し深刻だが、まぁそんな生徒はフートたちだけではない。
「ヴェイツェ、セルフ」
 この二人も誰かと話しでもして今まで残っていたのだろうか。新たに声をかけて来たのは、クラス内でも彼らとそれなりに親しい二人だ。
 つまり、アリストの交友関係の中でも親しい方というわけである。
 大人しげな男子生徒、ヴェイツェ=アヴァール。彼とは対照的に明るく楽天的な印象の女子エラフィ=セルフ。
「ねぇ、みんな。アリストのことについて何か知らない?」
「一日の夜にダイナ先生からアリストの居場所を知ってるかって電話があったから私たちも気になっちゃって。しかも今日もあいつ、来てないでしょ?」
 一般に人を苗字で呼ぶか名前で呼ぶかはその関係の親しさや呼ぶ方の性格などに左右される。ただしこのクラスにおいて、アリスト=レーヌだけはほぼ例外なく「アリスト」の呼称で統一されている。何故なら苗字の「レーヌ」で呼ぶと姉のダイナと被るからだ。アリストのいるクラスの担任がダイナになった時などややこしくて仕方がない。
 それはさておき、そのアリストの欠席に関して、やはりフートたち以外にも気にしている人間はいたらしい。
「私たちもよくわからないのよ」
 アリストと電話も通じず、メールの返事もかえってこないのは彼らだけではない。
「この前春休み中にヴァイス先生に会った時は、なんか大事なものを泥棒に盗まれて、それを取り戻すために帝都の外まで追っかけてるって話だったけど」
「……へー、それは大変だね」
 本当か? と顔に書いた微妙な声音でヴェイツェがとりあえず相槌を打つ。
「まぁアリストならやりかねないとは思うけどさ、学校サボってまでってのはおかしいよねぇ。奴はシスコンの割に真面目だし」
「エラフィさん……シスコンは関係ないと思いますけど」
 アリストは首席のフートに次いで学年成績二位の生徒だ。この伝統あるジグラード学院高等部の。
 多少は元々の頭脳も関係あるとはいえ、あまりに不真面目な学習態度でこの学院の学年成績二位はとれない。まぁ、天才と呼ばれるフートはよく授業をサボる割に首位を軽々維持していたりするのだが。
「でもそれが本当なら、あたしの幼馴染に頼んででもみる?」
「へ? セルフ、お前幼馴染なんかいたの?」
 幼馴染に何かを頼むという内容より、エラフィに幼馴染がいたという話自体に驚いて、フートたち四人は彼女に注目する。
 ヴェイツェが驚いていなかったところを見ると、彼は知っていたようだ。
「うん、あたしの幼馴染ってね、あの――」
「あ、ごめん」
 エラフィの台詞の途中で、携帯の着メロが鳴り響いた。皆の視線が今度はその携帯の主、ギネカへと集中する。
「……うちの幼馴染から。頼みごとをしてたから、ちょっと出てくるわね」
 エラフィの幼馴染の話は知らないが、ギネカの幼馴染が別の学校に通っている話はフートたちにはお馴染みだ。軽く詫びを入れて中座する彼女の背をなんとなく見送ってしまう。
「……えーと、それで? セルフの幼馴染に頼むってどういうこと?」
 何を頼むかということも気になるが、そもそもその文脈からするとエラフィの幼馴染は頼れる人物だという意味らしい。それが気になると、フートは先程の彼女の台詞の続きを促した。
「うん、実はね――」
 そして聞かされたエラフィの幼馴染の名に、フート、ムース、レントの三人は驚きの声を上げた。

◆◆◆◆◆

『『『えー―!!』』』

 教室の方から大きな声が上がり、廊下の隅にやってきたギネカは一瞬びくりと肩を震わせた。
 がいない間に彼らは一体何の話をしていると言うのだろう。
『……どうかしたのか?』
 電話の向こうで一瞬の間を不思議に思った幼馴染の声が尋ねて来る。
「いえ、なんでもないの。なんか教室の方が騒がしいみたい」
『ごきぶりでも出たのかー? ジグラードは古臭いのだけが取り柄だからな♪』
「失礼ね。うちの学院の校舎は文字通り魔法の手入れが行き届いてぴかぴかよ」
 いつも通りの軽い口調で茶化してくる幼馴染に文句を言いつつ、ギネカは先日彼につい頼んでしまったことの確認をする。
「それで……どう?」
『今のところなんとも言えねーな。俺も片手間にやってるからあんまり行き届いた情報じゃねぇかも知れないけど、とりあえずお前のお友達のアリスト君とやらが帝国を出たなんて情報はないぜ。かといって帝都内のどこかにいるっていう情報も引っかからなかった』
「そう……」
『でもあんまり当てにするなよ? 一般的な学生が痕跡を残さず消えることは簡単じゃないが、難しいとも言い切れない。俺は探偵じゃねーし、なまじ本人を知って聞き込みしたんじゃないからそう言う意味では遠回りなことやってるぜ。ホテルの顧客データや飛行機の乗客名簿なんかいくらハッキングしたって、本人がそれらを使ってなきゃ意味ないんだからな』
「ええ。わかっているわ。でも……聞き込みだけなら、私もやってるのよ。実際に聞いているわけじゃないけど」
『……』
「“怪盗ジャック”が調べて情報が出て来ないなら、アリストが帝都を出てないことは確からしいわね。まぁ、私の調査もまだ本命が残っているから何とも言えない部分はあるけれど」
『ふうん? だったら多少不自然でもなんでも、その本命に当たった方が確実じゃないか? お前ならそれで確実に知りたいことを知れるだろう? “料理女”』
 電話の向こうで彼は笑う。自分にできるのはここまでだと、幼馴染はギネカに告げた。
 帝都を騒がす怪盗でもある幼馴染は、このところ中々忙しいらしい。だから彼が直接盗聴対策をしたこの携帯への連絡は場を中座してでもすぐに出ておきたかったのだ。
「ありがとう、ネイヴ」
『力になれなくて悪いな、ギネカ』
「いえ、こっちこそ。忙しいところに頼みごとなんかして悪かったわ」
『別にいいけど。何、お前がそんな必死になるなんて、そのアリスト君のことが好きだったりするの?』
「――」
 幼馴染の冗談じみたかまかけに、ギネカは咄嗟に応えを返せなかった。
『え……マジで! お前が惚れてる相手ってそいつ――』
「ああもう! とにかく、ありがと! 助かったわ! じゃあね!」
『おい! ちょっと待てギネカ、お前――』
 問答無用で終話ボタンを押し、ギネカは会話を終わらせる。
「まったく」
 アリストの奴、本当にどこ行っちゃったのよ。
 どこか落ち着かない様子のダイナ=レーヌを見ると、ギネカも胸が痛む。姉である彼女があの態度ということは、アリストはまだ微妙な立場にいるに違いない。
 とにかく、少しでも無事な様子を見せてくれれば――。
 ギネカがそう考えた時だった。ふと何気なく見下ろした中庭に、人の影がある。金髪の、細身の。
「え……?」
 校舎と校舎を繋ぐ連絡口に向けて、歩いているその姿は。
「アリスト……?!」