Pinky Promise 022

第1章 月夜の時盗人

4.指切り―Pinky Promise― 022

「それで、やっぱり君が“アリス”になることにしたんだね」
「ああ……じゃなくて、“うん、そうだよ!“」
「ははは。ここでまでそんな気合い入れた子どもぶりっこしなくてもいいよー」
「……そう言ってもらえると正直助かる」
 相変わらず地獄のように苦い珈琲をビーカーで提供されながら、アリスはジグラード学院講師フュンフ=ゲルトナーの研究室にいた。
 ヴァイスがちょっと何か用があるだとかで、一時的にこの部屋に預けられたのだ。ゲルトナーとは初顔合わせのシャトンも一緒である。
 アリスは初め驚いたビーカー入り珈琲に、シャトンはまったく動じていなかった。研究者とは皆こうなのか? とアリスは苦い気持ちで苦い珈琲を啜る。ヴァイスの家ではビーカーに飲み物を入れられないよう注意しよう。
 そしてゲルトナーの紙束に埋もれたこの部屋の惨状にも動じなかったシャトンだが、部屋の主の名を聞いた時は驚いていた。
「フュンフ=ゲルトナー? “庭師の5”と呼ばれる……“白の王国”の一員ね」
 不思議の国由来のコードネーム持ちたちの情報網は一定の共有があるようである。またしても耳慣れない言葉が出てきて、アリスはシャトンの袖を子どものように引っ張った。
「ホワイトキングダムって何?」
「睡蓮教団の敵対組織よ。ただし全貌は不明。教団側からの認識は『手強い相手』ってところ」
「別に僕らは教団に敵対するために組織を作ったわけじゃないんだけどね。僕らの目的は最初から一貫して“辰砂の魂の欠片を集めること”だ。喧嘩を売ってきたのは向こうだよ」
 シャトンが眉根を寄せた。子どもの頃から(今も見た目は子どもだが)教団育ちと言う彼女は、ゲルトナーの属する組織が教団にとって明確な敵だとずっと聞かされてきたという。
「白兎にしろ赤騎士にしろ、俺にとってはどうにも教団も一枚岩ではないっていうか謎の多い組織なんだけど……ゲルトナー先生も結構謎だよな」
「うん。まぁ、そうなるだろうね」
 謎と呼ばれて否定もせず、ごくあっさりとゲルトナーは頷いた。
 この教師のあだ名の一つに「妖怪」というものがある。学院に何十年も勤めるよぼよぼの御爺ちゃん教師が、自分の若い頃からゲルトナーはこの学院で教師をやっていたと折に触れ話すからだ。
 大抵の生徒はそれをただの冗談だと思っている。だってそれじゃまるでゲルトナーが、年をとらない化け物みたいではないか。
 けれど今のアリスは、その噂もあながちただの噂ではないのかと思い始めている。
 教団の刺客であった白兎と赤騎士。あの二人はどうにも見た目の年齢とその内側の雰囲気が一致しなかった。彼らの外見年齢以上に永い時を生きて来たかのような空気を持っていたのだ。
 だが、ヴァイスやシャトン曰くあの二人は教団内部でも異質で特別なのだという。あとの構成員はほとんど普通の人間だと。その時にヴァイスが少し気になることを言っていた。
 ヴァイスと言う男が初めて教団と関わりを持った十年前、白兎や赤騎士と出会ったのもその頃だという。そしてその頃から今までずっと、白兎も赤騎士もあの少年の見た目から変わっていないと。
 面と向かって「お前らは不老不死か何かか?」などと尋ねずとも、確かにそんな話を聞けばあの二人が異質であるということも納得できる。
 そして立場こそまったく異なるようだが、アリスはゲルトナーにも彼らと同じ匂いがするように思う。
「“白の王国”は辰砂の魂の欠片を集めている。だから辰砂の欠片を手に入れようとするものは教団であろうとなかろうと敵対するし、そうでなければ普通に交流するよ」
「だから十年前に“白騎士”を助けたの?」
 ゲルトナーとシャトンの流れるような会話に、アリスは今一度口を挟んだ。
「どういうことだ?」
 謎が多いのはゲルトナーだけではない。
 この事態に入ってから一番身近な人間であるはずのヴァイスもそうだ。
 彼は積極的に事情を隠すタイプではないが、自分が言いたくないことは基本的に黙っている。
 そこにアリスや誰かを騙したり誤魔化したりする意図がないのでアリスも積極的に問い詰めはしないのだが、やはり気になるものは気になる。
 赤騎士との戦いでも、ヴァイスは色々と気になる言葉を投げられていた。
 そして何より、あの時の白兎や赤騎士の言葉からすると、まるで他でもないヴァイスこそが“アリス”を決める決定権のようなものを持っていると感じられたからだ。
「なぁ……ヴァイスは、何なんだ?」
 何故教団と関わりがあるのか。どうして教団から一目置かれているような、厄介者としてマークされているような扱いなのか。教団を壊滅しかけたという十年前、一体何があったのか。
 それらの疑問は結局たった一言に集約された。
 ヴァイス=ルイツァーリは「何」なのか。
「なかなか的を射た問いだね」
 ゲルトナーが笑う。こんな時の彼は、とてもせいぜい二十そこそこの人間には見えない。
「彼は……」
「私はただの善良な一般人だ」
 がらりと戸を引いて、ヴァイスがゲルトナーの研究室に顔を出した。
「よぉ」
「あれ? 早かったね」
「下準備が整ったからな。もう十五分もしたら出る」
 ヴァイスの態度はいつも通り変わらない。むすっとして眉間に皺が寄っているのはいつものことと言えばいつものこと。
 ただし今の彼の不機嫌の理由は、彼のいないところで彼の話をしていたことだろう。
 アリスにじっと見つめられ、ヴァイスは深く嘆息する。
 シャトンの態度が変わらないのは、彼女はすでに教団の人間として「それ」を聞いたことがあるからだ。
「言っちゃえば? 彼が“アリス”になると決めたのであれば、お前の事情を避けて通ることはできないよ。なぁ、“白騎士”」
 “白騎士”、“白の騎士”と呼ばれるのがヴァイスのコードネームだ。
 これらのコードネームがその者の立場や性質を考慮してつけられると言うのであれば、ヴァイスが白騎士であることにはもちろん意味がある。
 物語中では公爵夫人の飼い猫であり、女王を怒らせることになる“チェシャ猫”が教団を裏切ったように。
「やれやれ。仕方がないか」
 そして“白騎士”ことヴァイスは、ついに彼がその名を得るに至った十年前の事件――その発端について明かした。

「私はな、背徳神グラスヴェリアの欠片なんだ」

 ん?
 あまりに端的に語られた答に、さしものアリスの理解も追いつかない。
「……んん?」
 欠片? 欠片って何?
 ゲルトナーは背徳神の欠片を追っていくのが教団に近づく手段だと言った。が……。
「え? 何、どういうことだ?」
 神の魂の欠片。
 集めると言ってもこれだけの情報では残念ながらアリスの中にはまだイメージが湧かない。そもそも魂の欠片などという目に見えないものをどうやって探すのか、そういう魔術でもあるのかと考えていたのだが。
「先日ここで話したことを覚えているかい?」
 混乱するアリスを見遣り、ゲルトナーが助け舟を出す。
「かつて剣と魔法の時代に、無数の黒い流れ星が降り注ぎ数多の魔物と魔王が生まれた。その黒い流れ星こそ背徳神の魂の欠片」
「ええと、その残りはまだ地上にあるっていう話だっけ? って……」
 無数に引き裂かれ、無数の欠片となってこの地上に降り注いだかつての邪神。誰がその総数をカウントしたわけでもないだろうが、その破片がまだ残っていることだけは確かだと。
「そう。昔々、黒い流れ星は世界中のあらゆるもの……植物や鉱石、動物や、人間にまで降り注ぎ同化してその存在を変質させた。その時神の欠片を受け入れた魂は何度も生まれ変わり、また地上の人間として生を受ける」
「じゃあ、神の欠片は……人間の中にあるものなのか?」
 どうやって探すのかまったく方法も思いつかなかった話がいきなり具体性を帯びてきたようだった。
 神の魂の欠片を手に入れること。
 それは神の欠片を宿す人間を見つけることと同義でもあるのだ。
「人間だけじゃないよ。この世界のあらゆるものに神の魂は宿っている。ただ……あれから大分経つからね。欠片そのものも時を経て収束していったんだ」
「収束?」
「神の魂の欠片だ。そんじょそこらにあるようなものと一緒にされても困る。それは、欠片でもそこにあるだけで相当の力を持つんだ。例えば」
「宝石だったら周囲の人間を呪う曰くつきのような影響を持ち、芸術家ならばその作品に魔力が宿り、またそれを見た人間が魅了されて狂気に堕ち……そもそも“邪神”とまで呼ばれた神だ。そんなものを欠片でも受け入れて、人間の方に良い影響があるはずもない」
 ヴァイスの具体例に、アリスは何かの本で読んだ、いまだ帝都を騒がせるゴシップの数々を思い出した。
 例えば犯人が見つからない不可思議な事件や、関係者が一斉に狂気に陥ったとしか思えない事件。その中心にある絵画や宝石の呪われた噂。まさか……。
「この男を見ればわかるだろう? ほら、こんなに性格が歪んじゃって」
「誰の性格が歪んでいるって? お前よりマシだ、ゲルトナー。私は善良な一般人だぞ」
「嘘をつけ」
「ヴァイス、それはいくらなんでも嘘だ」
「白騎士、世の中には人を騙せる嘘とそうでない嘘があってね」
「お前らこんな時だけ結託するな」
 自称善良な一般人は一同をじろりと睨む。
「ま、そういうわけでな。背徳神の欠片はあらゆるものに宿りこの地上に存在している。そしてそれが宝石だろうと絵画だろうと人間だろうと構わずに集め回っているのが睡蓮教団だ。……もうわかっただろう?」
 促されて頷いたアリスが答を叫ぶ。
「ヴァイスも教団からそうやって集められそうになったのか!」
「そうだ。ま、人間相手だからな。他のものと同じような手段で回収するわけにもいかない。奴らは十年前、私を睡蓮教団に勧誘したんだ」
「……で、どうなったんだ?」
 今ここにヴァイスがいることで答は八割方わかりきっているようなものだが、問題はここまで語られてこなかった残り二割である。
 ほぼ聞き役に徹していたシャトンがくすりと小さく笑いながら先を促した。
「オチは知っているけれど詳細は私も聞かされていないし、ぜひ聞きたいわね」
「……お前らなぁ」
 ヴァイスがまたもや深い溜息をつく。彼に限らずここ数日でアリスたちの幸せは大分逃げていったようだ。
「もちろん、私がそんな誘いに乗るわけはないだろう」
「なんで」
「人に自分の人生を決められるなど腹が立つ」
 ヴァイスは睡蓮教団に「御神体」として崇められるのを嫌い、強引な手段に出ようとした彼らと徹底抗戦することにしたらしい。
 その理由は、人としては非常識なのだが、あまりにもヴァイスらしかった。
 アリスは呆れ返る。と、同時に深く納得もした。
 ヴァイスはやはり、アリスの知るヴァイスなのだ。
「ルイツァーリは一匹狼でね、僕ら“白の王国”にも最低限しか関わらなかった。だから僕以外の人間のこともほとんど知らないくらいだ。でも、それで多数の信者を抱える睡蓮教団を完全に壊滅に追い込むのはやはり難しくてね」
 当時ヴァイスに手を出してきた人間は潰したが、残党は残り、その残党が再び睡蓮教団の勢力を取り戻した。
 否、今の帝都における教団の影なる勢力は、十年前ヴァイスが彼らを壊滅寸前に追い込んだ時の何倍にも膨れ上がっている。
 ヴァイスは背徳神の欠片だけあって、人道的な正義感とは程遠い性格だ。だからこそ自分に火の粉が降りかからない限りはあえて教団に手を出すこともないだろうと、教団側はこれまで彼を再び刺激することのないようにしてきた。
「これで納得したか」
「ああ、まぁ」
 背徳の神の欠片を持つとはいえ、そのこと自体でヴァイスがこれからどうにかなるわけではない。ゲルトナー断言の歪んだ性格は今から矯正するのも不可能であるし。
「何か私に失礼なことを考えていないか、お前」
「気のせいだ」
「はん」
 けれどそれを差し引いても、背徳神の欠片を持つというヴァイスの事情は紙一重だ。
 教団を心底憎む者で、事情をよく知らない者からしてみれば、教団が崇拝する邪神の一部を身に宿す人間も悪魔に見えることだろう。
 ヴァイスがなかなかそれをアリスに言わなかった理由も今ならわかる。
「それで……なんで“白騎士”なんだ」
 教団と真っ向勝負をしたならそれこそ“アリス”ではないのか? そのような意味を込めて「アリス」が尋ねると、ヴァイスは肩を竦めた。
「私は、主人公なんて柄じゃない。英雄や勇者にもなる気はない」
だからアリスの原典を読み返しながら、自分がどんな立場の人間でいるか考えたのだと言う。
「もしも再び教団が手を伸ばしてくるのなら、その時の私の役目は“アリス”のサポートだ。だから“白の騎士”を名乗った」
 鏡の国に登場する落馬ばかりのその騎士は、少女アリスにとって唯一無条件で味方をしてくれる存在だから。
「騎士って柄でもなさそうだけど」
「そこはまぁ、設定上仕方ない」
 それを言うなら“赤の騎士”ことルーベル=リッターも似たようなものだ。物語中では赤騎士は少女アリスの命を狙う刺客なので、その意味では運命的な巡り合わせだったが。
 ふいに、アリスはあることに気づいた。
「なぁ、その昔、黒い流れ星が飛び散ってその欠片を受け入れたものは魔物に変化したんだろ?」
「ああ、そうだ」
 ゲルトナーとヴァイスの頷きを受け、アリスの眉間に皺が寄る。
「動植物に神の欠片が宿って魔物になるなら、人間に神の欠片が宿ったものが所謂“魔王”になるんじゃないか?」
「その通り」
 魂は繰り返し生まれ変わる。そして神の欠片は何らかの手段で自ら集めない限り知らぬ間に体に宿しているようなものではないという。
 それでもヴァイスや他の人間たちが魂に神の欠片を宿して生まれてくるのは、前世でそれをすでに手に入れていたからだ。すなわち。
「つまりヴァイスは、前世で魔王だったってことじゃないか」
「なんだ。今更そんなことに気づいたのか?」
 前世のどこかで魔王だった男は、その巡り合わせを面白がるようににやりと笑った。

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