Pinky Promise 026

第2章 歪む鏡の向こう側

5.ダイナの翻弄 026

 目の前には女性がいる。つい最近も見たような顔だ。
「ダイナ=レーヌと申します。帝都一の名探偵と名高いエールーカ探偵にお会いできて光栄です」
「いえ、そんな……」
 今日も今日とて探偵として依頼を受けるため近所の喫茶店にやってきたヴェルムは、そこで対面した「依頼人」の姿に凍りついた。
 言うことを聞かない表情筋を無理矢理動かして笑顔を作る。当たり障りのない挨拶や前置きがこんなにも辛かった時間はない。
「本日はどのようなご依頼で」
「人を探していただきたいんです」
 やばい。まずい。本能が警告を発している。
 これまたどこかで見たような金髪の少年の写真を差出し、彼女はこう言った。
「私の弟、アリスト=レーヌです」

 ◆◆◆◆◆

「それにしても、ヴァイスがエールーカ探偵と知り合いだったとは」
「なんだ、突然」
 休日の平和な食卓で、小さな子どもが外見不相応に物慣れた口調で切り出した。
 さらさらの明るい金髪に快晴の空のような青い瞳の少年だ。
「私とヴェルムに面識があったらおかしいか?」
「思わないだろ普通、毎日顔合わせている隣人が帝都の誇る名探偵と友人関係だなんて」
「私の仕事を考えたらむしろ、お互いの顔ぐらい知っていて当然だと思うが」
 応える男は男で、子どものそんな態度を不自然や不愉快に思う素振りも見せない。同席していた、これまた子どもらしくない子ども――淡い茶髪に菫色の瞳の少女が口を挟む。
「白騎士は随分と色々な仕事をしているのね」
「ああ。世界の中心である帝都とはいえ、実戦に足るレベルの魔導師は少ないからな。アドバイザーと言う形で色々と口を挟んでいる」
 第三者から見れば色々と疑問が湧きだすだろう光景は、この半月程でようやく慣れだした彼らの日常だ。
 金髪の少年、アリスト=レーヌは、今でこそ七歳程度の子どもの外見になってしまっているが、本来は高等部二年生の十七歳である。
 彼は姉と共にサーカスを見に行った帰り道、“白兎”なる怪人が取引相手を禁呪によって殺害する現場を目撃してしまった。
 口封じとして同じように殺害されるはずだったアリストは、咄嗟に魔導防壁を張って禁呪の効果を削ぐことに成功する。
 けれど完全に相殺することは敵わず、約十年の「時」を盗まれたことで小さな子どもの姿に若返ってしまった。
 元の姿に戻るためにアリストが頼ったのは、隣人でありアリストに魔導防壁を教えた、ジグラード学院講師であるヴァイス=ルイツァーリ。
 実は白兎とも面識と因縁があるヴァイスは、アリストが元の姿に戻るためのサポートを申し出た。
 白兎は睡蓮教団というカルト宗教団体に属し、中でも大掛かりな犯罪を行う幹部の一人らしい。犯罪組織としての睡蓮教団を潰したいヴァイスの思惑と、元の姿に戻りたいアリストの目的が一致して、二人は手を組むことにした。
 更に、この場にいるもう一人の子ども。菫色の瞳の少女シャトン。
 彼女はアリストがかけられた禁呪の開発者だが、教団のやり方に異議を唱えて裏切った。自らの禁呪の犠牲になる人間をこれ以上増やさないためにも、アリストとヴァイスに協力することになった。
 見た目の幼さと大人びた言動のそぐわない彼女もまた、アリストと同じ禁呪をかけられている。その禁呪は彼女自身が開発したものだが、元の姿に戻るためには睡蓮教団から、「奪われた時間」を取り返さなければならないと言う。
 そしてアリストはアリス=アンファントリーという偽名を名乗り、シャトンと共にヴァイスの下に預けられている子どもを演じることとなった。
 たった一人の家族である姉には、「泥棒に盗まれた大切なものを取り返すまで帰らない」と嘘をついて。
「それにしても、あの探偵さんとあなたって似ているのね」
 ふいに、シャトンが紅茶のカップを傾けながら、アリスの方を見て言った。
「そうか?」
 アリスたちのこれらの事情を知っている人間は、後二人いる。
 一人はジグラード学院に所属する研究者の一人、フュンフ=ゲルトナー。
 もう一人は、帝都一の呼び声高い名探偵、ヴェルム=エールーカ。
 実はヴァイスの友人だというヴェルムは、アリストと同い年の少年だ。十歳も年齢差のあるヴァイスと一体どういう経緯で友人関係を築くに至ったのかまでは聞かされていない。
 ヴェルムは年齢だけでなく、その背格好や金の髪色がアリスト――小さな子どものアリスではなく、本来の十七歳の姿であるアリスト=レーヌとよく似ていた。
 そのためヴァイスに頼まれてアリストに変装し、姉のダイナと顔を合わせて長き不在の理由を取り繕うという大役を果たしている。もちろん瞳の色や顔立ち自体は違うのだが、そこはカラーコンタクトと化粧を含む変装術、そして演技力でもってなんとかしてしまうらしい。
 代役を押し付けた以上事情を話さないわけにも行かず、元よりヴェルムの目的とアリスの望みが一致するということから、かの探偵もまた、アリスたちの協力者となってくれた。
 ひとまずこれでアリバイ工作もできたことだし、警察に顔が利く探偵という味方も得られたことだし――と、彼らが安心していたところ。
「ヤバい。バレたかも」
 頼りの名探偵は、顔を引きつらせながらヴァイスの家へとやってきた。

 ◆◆◆◆◆

 アリスはようやく我に帰ってヴェルムを問い質した。
「バレたかもって……姉さんに?!」
「ああ。……いや、まだそうだと決まったわけではないんだけど……」
 第一声から三人をぽかんとさせた探偵は、疲れた様子で差し出された飲み物に口をつける。
 喉を潤したところで、本日ダイナから受けた依頼について三人に説明した。
いくらヴェルムが有名とはいえ、帝都にはいくらでも探偵がいる。あえてヴェルムのところに依頼をしに行った辺りに、ダイナの意図が窺えるようだ。
「あちゃ~」
 ヴァイスが顔を顰め、アリスはそんなヴァイスに突っかかった。
「ヴァイス! どういうことだよ?!」
「どうもこうも、やはりダイナを誤魔化すのは難しいなとしか」
「……どうでもいいけど、あなたたち、そんな大声で喋っていたら隣にまで聞こえるわよ」
 シャトンの指摘に慌ててアリスはヴァイスの口を塞いだ。もちろんそんなことをしているアリスの叫びが一番大きいのは言うまでもない。
「仕方がないだろうが。そもそもお前自身の姿を見せられない状況でダイナを納得させようと言うのが至難の業だ。あれ以上何ができたと言うんだ」
 ヴァイスとしてはそれがあの時にできた最上の仕込みだったという判断を変えるつもりはないらしく、平然とお茶の続きを楽しんでいる。
「そ……それはそうだけど! でもそこはほら、魔法でなんとか!」
「馬鹿を言え。そんな都合の良い魔導があるならそもそも今、お前が縮んだからと言って困りはしない」
「う……」
 言葉を失うアリスに困った顔のヴェルムと、涼しい顔でカップを傾けるヴァイス。
 男三人の顔色を一通り見回して、シャトンはアリスに尋ねた。
「そもそも、あなたのお姉さんってどんな人なの?」
「どう……って言われても。シャトンも朝晩二回は会ってるじゃないか」
「会っているけど、それだけで彼女の性格まで掴めるはずないでしょ。私が知りたいのは、どの程度の誤魔化しで彼女の目をあなたの失踪から逸らせるかってこと」
 だんだんこの面子での話に慣れてきたからか、最近のシャトンの口ぶりはどうにも容赦がない。
 アリストは考え考え口を開く。
「姉さんは……一言で言うなら、一人で何でもできる人だよ。あの人に苦手な物があるなんて、考え付かない」
 だから、そんなダイナが、弟であるアリストが行方不明と知って黙って手をこまねいているはずなどないのだと。
「見た目からそう言う雰囲気はあるわね。でもいくらなんでも一般人、あなたを探して動くと言っても、限界はあるでしょ」
「あるのかなぁ?」
「ちょっと……」
 どうにもはっきりしないアリストの態度にシャトンが突っ込もうとしたところで、ヴァイスが予想の斜め上から補足する。
「ダイナは魔導師としての素養もある上に、特殊な環境で育った私と張るくらいの万能選手だぞ。私ができることは、基本的に彼女もできるくらい思っておいた方がいい」
「え?」
 睡蓮教団が恐れるコードネーム“白の騎士”のその評価に、さすがにシャトンも目を丸くした。
「だからヴェルムに依頼をしたというのがまず不自然なんだ。先日の仕込みに気づいているのでもなければ、ダイナがわざわざ探偵を雇うなんて考え辛い」
 ダイナをよく知る二人が揃って頭を抱え唸り出すのに、この件に関しては未だ部外者に近いシャトンとヴェルムは顔を見合わせた。
「……ねぇ、イモムシ。今の話、どこまで本当だと思う?」
「さぁ? ……ジグラード学院は魔窟だからな。そもそもまだ高等部生のアリストが魔導の専門家である君と同じレベルの魔導防壁を張れる実力だぞ?」
「そう言えばそれがあったわね……」
 だとすれば血の繋がりはないとはいえ、アリストの姉であるダイナがヴァイス並の行動力や情報収集技術を持っているとしてもおかしくはない……のだろうか。
考え込むシャトンたちに、アリスが声をかける。
「――なぁ」
 幾らか言いよどむ気配を見せた後、意を決して切り出した。

「姉さんに、本当のことを話しちゃ駄目なのか?」

 ぴたりと、室内の空気が止まる。
「こんな話、下手な人間に話せないってわかってるよ。だけど、姉さんなら。姉さんにだけは――」
「それは」
「悪いけど」
 ヴェルムの言葉を遮る形で、シャトンがはっきりと言い切った。
「それはお勧めできないわ」
「どうして」
 シャトンとアリス。小さな二人は向かい合う。大人の腰ほどしかない子どもの体。その窮屈な器に押しこめられた本当の魂。
 本来対極の立場に存在しながら、この場でアリスと同じ目線で語れるのはシャトンだけだ。
「知ればそれだけ危険に近づくことになる。ただでさえ白騎士の隣人であるあの人が、不自然にあなたに――私たちに近づけば、いずれこのことが知られた時に教団もあの人を狙って来る」
 すでに教団側は、チェシャ猫を追い詰めるために仲間であったはずの公爵夫人を人質にしようとした。
 それでも共犯者とみなされるよりはマシだと、チェシャ猫は独りで教団を飛び出した。
「でも、まったく何も知らないよりも、事情を知って対策できる方が――」
「アリス」
 アリスもチェシャ猫に言われるまでもなく、ダイナに全てを伝えた場合彼女に危険が及ぶ可能性を考えている。
 けれど同時に弟として姉である彼女を信頼してもいた。あらゆる意味でアリストよりもダイナの方が実力が上だ。
「やめておけ」
「ヴェルム?」
 コードネーム“イモムシ”とも呼ばれる少年は、アリスではなくシャトンの判断を支持した。
「俺がどうして探偵をやっているかは、もうすでに知っているだろう」
「確か、何年か前に」
 それは帝都の誰もが知っている有名な話。ヴェルムの名をここまでの知名度に押し上げた根底。
「両親を教団に殺されたからだ」
 未だ復讐に囚われた探偵は、癒えきらない過去の傷を淡々と語り出す。
「父は探偵だった。だが、ある未解決事件の真相究明の依頼を受けたことを切欠に、睡蓮教団を調査し、彼らの実態を知りすぎたために殺された」
 ヴェルムの両親の事件は解決していない。明らかな殺人事件でありながら犯人が捕まっていない。けれど父親が先手を打っていたために、犯人が睡蓮教団である可能性が高いことまではわかっている。
 数年前にヴェルムが父の後を継いで探偵を名乗りはじめた時、世間は彼を見向きもしなかった。彼がまだ年若く子どもと呼んで差し支えのない年齢だったからだけではなく、実の両親を殺した犯人を捕まえることもできない探偵に他の事件の解決などできるものかと。
 その評価はヴェルム自身が幾つもの実績を作ることでだんだんと見直され、後に“帝都の切り札”と呼ばれるまでに至ったが、両親の事件が解決されていないのもまた事実。
 ヴェルムは自身の両親の事件を解決するために探偵になったというのはエメラルドでは有名な話。
「俺は睡蓮教団を追っている。誰もがそれを知っている。だけどまだ奴らに殺されていない。――俺が、奴らにとって殺す程の脅威にすらなれていないからだ」
 ヴェルムの父は妻には事情を話していたが、息子には自らの仕事の話を一切しなかった。
 息子は過去に父が教団について調べていた事の内容を全く知らない。その事実が今もヴェルムを守っている。
「知らなくても危険は変わりないかもしれないが、知ればもうそこから逃れることすらできない」
 だから、やめておけと。
「……わかった」
 しゅんと落ち込むアリスの肩を、膝を追って目線を合わせたヴェルムが慰めるように叩く。
 ダイナのためを想うなら、これからもアリストは「アリス」を演じ続けなければならない。
 ヴァイスが溜息と共に言った。
「なんとか誤魔化す手段を考えないとな。一番いいのは、一時的にでもアリストの肉体を元の年齢に戻せる魔導を開発することだが」
 禁呪と呼ばれるそれを開発できる程の魔導の専門家など限られている。アリスとヴァイス二人の視線が、一点に集中した。
「……わかったわよ。何か考えてみるわ」
「頼んだぞチェシャ猫」
「頼む、シャトン」
 不安要素を幾多も抱えつつ、三人の共同生活と一人の探偵の苦労は続くのだ。