第2章 歪む鏡の向こう側
6.アリスの冒険 032
「おい! みんな大丈夫か?!」
一階通路の途中にぽっかりと口を開けた落とし穴。アリスは咄嗟にすぐ隣にいたカナールを抱き寄せて着地した。
シャトンはさすがに危なげなく着地し、テラスもフォリーとお互いを庇いながらなんとか無事に床に降り立つ。
ネスルとローロはべちゃっと音がしそうな落ち方だったが、幸いにもそれほどの高さではないし、柔らかな子どもの体はほとんどダメージを受けなかったようだ。
「いたた……どうしたんですか? これ」
「何の罠だよ!」
「落とし穴に引っかかったみたいね」
七人が周囲を見回してみればここも上と同じような通路の途中だった。
「どこかに閉じ込められたわけでもなさそうだし、これなら大丈夫そうだ」
「そうね」
アリスとシャトンはすぐさま全員の無事を確認して目配せし合う。こういった場合は自分と同じ立場で物を見れる同士の存在が心強い。
「あ、アリスちゃん……」
「あ、ごめん。もう一人で歩けるよな」
アリスはカナールを立たせると、天井の穴を見上げる。落とし穴に落ちたのは子どもたちだけで、フートたち四人はまだ上にいるようだ。
「大丈夫か?!」
心配した高等部生たちが顔を出す。上で調べた彼らの話によれば、これは落とし穴の罠というよりも階下へ行くためのショートカットだろうということだった。
「これがショートカットならさ」
「出口、上下階層への移動手段も当然確保されているはずよね」
テラスやシャトンが周辺を探り出す。恐らく上でも高等部生たちが同じ行動をとっているだろう。
ただしすでに仕掛けを動かしてしまった高等部生たちと違って、彼らはこれ以上下に落ちる訳にはいかない。
「仕組み的に下に落ちる機構は一方通行らしいってことは、上に昇る階段もどこかにありそうだ」
主にアリス、シャトン、テラスの三人で話し合っていると、上階の高等部生たちの方でも話が進んだようだ。
自分たちも降りるかという高等部生に、アリスは待ったをかけた。
「大丈夫! 俺たちは俺たちで上に上がる階段探すから!」
「アリス君」
幸いにも落ちたのは子どもたちだけなので、この高さならいざとなれば上の四人が頑張ってくれれば全員引き揚げることはできるだろう。上階にいる人数は減らさない方がいい。テラスやシャトンも同じ考えだ。
それに、まだ上に戻る手段がないと諦めたわけでもない。彼らの目的はもともとこの遺跡の探索だ。
テラスが頷いて、一つ提案する。
「もし、どうしても駄目そうだったらロープで引き上げて欲しいな。探索時間を決めて時間になったらもう一度ここに集合するのはどう?」
◆◆◆◆◆
アリスたち七人は落ちてきた場所をじっくり調べて、付近に上に昇る隠し階段などがないのを確認する。
「んじゃま、ひとまずこの階を全部回ってみようか」
腰に手を当てて気合いを入れ直し、アリスは当面の目標を立てた。テラスとシャトンの二人が頷いた。
「そうだね。元々探索目的なんだから」
「簡単な地図でも作りながら行くのはどうかしら?」
「いいな、それ」
こういった場で主導権を握る人間は大体決まっている。主にアリスとテラスの話し合いで、これからの方針がさくさくと決められていった。
「アリス君もテラス君も本当頼りになるねー」
「そ、それ程でもないよ」
しかし、気をつけないとやりすぎてしまう。自分は今十七歳の「アリスト」ではなく、幼く無知で無力な子ども「アリス」のはずなのだ。
普段ならともかく、非常事態ともなるとつい素の自分が出てしまってアリスは大いに狼狽した。カナールの純真無垢な眼差しが痛い。
「なんだよ。アリスばっかり」
「……」
そしてアリスの事情を知るはずもない本物の子どもたちは、比較しなくてもいい部分で自分たちとアリスを比較して拗ねるのだ。
「いや、あの、その」
落ち込むネスルとローロには、テラスがフォローを入れた。
「ふふ。僕らだって君たちを頼りにしてるよ。僕たちでどうしようもないことがあったら助けてね」
「おう、任せろ!」
「任せてください」
子どもは単純だ。単純なばかりではないが、大人より心が柔軟なのは間違いない。
本物の子どもでありながらそれさえ見越したようなテラスの態度には、アリスも頭が下がりっぱなしだ。
会話の隙間で場を纏めるように、フォリーの小さな声が響く。
「……みんなで頑張ればいい」
「そうだね! 一人一人の力は小さくても、みんなの力を合わせればいいんだ!」
カナールがそれに乗り、子どもたちは威勢よく天井に向けて腕を突き上げた。
「「おう!」」
様子を見ていたシャトンがこっそりと呟く。先程のフォリーよりもさらに小さな声だが、隣に立つアリスにだけは聞こえた。
「……子どもって単純ね」
「……可愛いだろ」
シャトンとアリスはその元気に押され気味だ。
――とまれかくまれ、探索は始まる。
「いろんな部屋があるー」
七人は遺跡の地下一階を見て回った。
好奇心旺盛な子どもたちばかりで大変だが、いきなり何の警戒もせずに部屋に入るのはやめておけと、それだけはアリスとシャトンが懇々と言い聞かせた。
テラスも説得を手伝い、七人は地味な安全確認を繰り返しながらひたすら遺跡内部の構造を確認していく。
彼らが持ってきた道具の幾つかも役に立った。壁の隙間の奥を見るためのライトや高いところに昇るためのロープ、土を掘り返すためのシャベルなどが大活躍だ。
人の手と時の流れの両方に埋められた遺跡の秘密を、彼らは少しずつかき分けていく。
「この遺跡、鏡がいっぱいだなー」
「そりゃそうですよ、鏡遺跡なんですか」
「それもそうか!」
ミラーズ遺跡は鏡遺跡の通称で呼ばれるだけあって、廊下や部屋のあちこちに、様々な鏡があった。
今でも何処かで売っていそうな飾り気のないガラス板から、逆に装飾たっぷりの古代の王族が使うようなもの。あるいは廊下の隅に鎮座する大きな岩石の劈開面がそのまま磨いた鏡のようになっている物もある。
銀色の平面が映し出す、無限に反射する世界。
七人はまた一つの部屋に足を踏み入れる。そこは他の部屋以上に鏡で溢れた部屋だった。
「あれ? ねぇ、見て見て!」
「どうしたんですか? カナちゃん」
「この鏡不思議だよ! 私が片手をあげるともう片方の手をあげるの!」
「ええ?!」
「なんだよそれ?! か、鏡の中にカナの姿をした幽霊でもいるのか?!」
「やだー!」
「違うよ」
カナールが覗いている鏡は、彼女が右手を挙げると向かって左側の右手を挙げる。
しかし、普通の鏡は上下はそのまま映し出すが左右は反転される。正面に立った人物が右手を挙げた時、鏡の中の人物が挙げるのは向かって右側、つまり左手になるのだ。
ここの鏡は左右を反転せず、カナールの動きをそのままトレースしたように映し出す。
それが不思議だおかしいと、カナール、ローロ、ネスルの三人が俄かに騒ぎ出したところでテラスが解説を始めた。
「それは正映鏡、リバーサルミラーと言って、二枚の鏡を直角に配置することによって入射した光が二回反射するんだ。そうして他人から見えている自分の姿を見ることができるようにした鏡なんだよ」
「ほ、ほえ?」
「僕らが普通の鏡で見ている自分の姿は、左右が反転した姿」
「え、ええと」
テラスの説明が難しいと、三人は必死で言葉を噛み砕こうと努力する。
彼らが注目している鏡は確かに一枚の鏡に見せかけて、実は奥行の中で二枚の鏡が合わさったものだ。
「じゃあこれが本当の私の姿なんだね」
「俺もっと男前だぞ」
「あはは。もう何言ってるんですかネスルくん」
仕組みがわかってしまえばもう怖くもなんともないと、三人は興味津々であちこち体を動かしながら鏡を見ていた。
「アリスちゃんはわかりやすいよね。目の下のほくろの位置が違うもん」
「あ、ああ。そうだな」
アリスは鏡を覗きこむ。
「本当の、姿……」
金髪に泣きぼくろの、小さな子どもが映っている。
「どうしたの?」
「なんかお前ら元気ねーぞ」
アリスとシャトンの顔が曇っているのに気付いて、子どもたちが次々に心配そうに声をかけてくる。
「え……そんなことないよ」
「大丈夫よ」
事情はまったくわからないながらも、子どもたちは仲間の変化に敏感だった。
「そうですか? でも顔色悪いですよ」
「早く上に戻ろう!」
「この次の部屋が最後だから、そこにきっと昇り階段があるはずだよ」
テラスが道を指示し、カナール、ローロ、ネスルの三人は次の部屋の扉を開けるために駆け出していく。
テラスとフォリーがその後をついて行き、アリスとシャトンの二人だけが、ミラーハウスのようなその部屋にぽつんと残される。
「アリス」
「こんなに鏡があるとやっぱり憂鬱になるもんだな」
呼びかけるシャトンに、アリスは細い溜息と共に返した。
無数の鏡があってもそれはどれ一つとして真実を映してはくれない。
ここにいるのはただの小さく無力な子どもだと囁きかけるようだ。
「……」
シャトンにかけられる言葉はない。
鏡が映しだすのは、真実よりも確かに今この場にある、ままならない現実だ。
「二人とも行くよー」
「ああ!」
わざわざ戻って彼らを呼びに来たカナールの声に応え、アリスとシャトンは子どもたちの後を追った。