Pinky Promise 033

第2章 歪む鏡の向こう側

6.アリスの冒険 033

 ヴェルムとヴァイスは、公園の敷地内に併設されている遺跡の管理事務所を訪れた。
 観光地であり重要文化財の一つでもある遺跡なので、当然管理人が常に置かれている。博物館の隣にひっそりと建っている小さな小屋としか言いようのないプレハブが、この遺跡の管理事務所だ。
「――それで」
 今回の依頼人と顔を合わせたヴェルムは、素っ気ない事務机の上に出されたお茶を手に取った。一通りお決まりの挨拶をやりとりした後、すぐに本題に入る。
「公園で夜毎不審な事が起こるので調べてもらいたいというお話でしたが……」
「ええ、そうなんです!」
 公園管理人の一人が勢いよく頷いた。
 この遺跡管理事務所に常駐する管理人の人数は常に二人。基本的にどちらかが事務所に詰めている間はもう一人が園内の点検・見回りにでているという。
 遺跡だけでも相当な大きさだが、その周辺の緑地まで含めば相当な敷地面積の公園になる。更に、博物館には博物館の管理人がまた別にいるという。
 今日はヴェルムに依頼をしたということで、公園管理の二人が揃って彼らを待っていたらしい。
「私らもう不安で不安で、遺跡の祟りではないかと」
 数々の怪奇現象を目撃して心身ともに弱っているらしく、居並ぶ二人の管理人はどちらも顔色が悪い。
「祟りねぇ」
 ヴァイスがふんと鼻を鳴らす。
「今のところそんな気配はまったくないな。幽霊も呪いも、この遺跡には存在しない」
 魔導による探査でとっくにこの周辺の気配を探っていたヴァイスにとっては、幽霊に怯える人々の姿は滑稽なだけだ。
「どうせ誰か侵入者が入り込んだのを見落としているのだろう。もしくは遺跡に幽霊が出るなどと噂を流して観光客の増加を狙う自作自演か」
「な、何をいきなり失礼な! エールーカ探偵、この人は何なんです?!」
「あー、気にしないでください。ただの霊媒師ですから」
「霊媒師?!」
 幽霊騒動の解決を依頼したとはいえ、いきなり飛び出した胡散臭い単語に管理人たちはひっくり返った声をあげる。
「おい、いつから私が霊媒師になった」
「うるせー。お前の肩書は長いは多いは説明すんのが面倒なんだよ。幽霊探知が主な役目なのは事実だろうが。ちょっと黙ってろ」
 実際、普通の調査ならば探偵一人で十分である。白騎士の力を借りるのは、それが魔導や霊魂と言った特殊な領域に関わる犯罪の時だけだ。
 魔導の才のないヴェルムと魔導学者であるヴァイスの関係はその時だけ探偵役と助手役が逆転する。
 ヴァイスが今回幽霊を感知しなかったということで、彼の役目はすでに半分以上終わったようなものだ。あとは探偵であるヴェルムの仕事である。
「とりあえず詳細を聞かせてください。幽霊騒動が起き始めたのはいつですか?」
「せ、先週の終わりだったと思います。確か土曜日」
「ちょうど一週間ですね。……確かあの頃はまだ、遺跡の未到達階層発見の話題は出ていませんでした」
「そういえば、先週土曜の話題はこの近くで起きた銀行強盗くらいのものだったな」
 常に事件を求めている探偵が身近にいるせいで、ルイツァーリ宅のテレビはニュース視聴時間がかなり長い。先週は死亡者まで出た銀行強盗の話題でヴァイスとアリス、シャトンの三人はあれこれ喋っていた気がする。
「あの頃はまだ遺跡のニュースは見たことがありませんでした」
「遺跡のことが話題になりはじめたのは、その次の日曜日にトレジャーハンターの一人が新階層を発見してからです。発見が日曜で、話題に昇ったのは月曜にニュースで流れてからだったと思います」
「ふむ。……確かにそのようだ」
 管理人たちに話を聞く一方、ヴァイスは簡単にネット検索して裏をとる。
「ここ数日そのことでばたばたしていて、客数も増えましたし、幽霊に関して私らでできることが何もありませんでした」
「まぁ、時間があってもいきなり周囲で心霊現象じみたことが起きて機械的に冷静に解決できる人間は限られますよ。あまりお気になさらず」
 エメラルドのジョーカーはナイフのような笑みを浮かべる。一歩間違えば不謹慎と罵られかねない、それは事件を待ち望む探偵という獣の笑みだ。
「――僕のような探偵は、そのためにいますので」

 ◆◆◆◆◆

 一通り話を聞いた後、ヴェルムとヴァイスは管理人の一人と一緒に事務所を出た。心霊現象を目撃した現場を直接調べるためだ。
 遺跡を囲む林部分を歩きながら、探偵は持参した白手袋をはめる。
 ヴァイスが幽霊を感知しなかった以上、相手は十中八九生きた人間だ。それならばどこかに確実に痕跡を残しているはず。
「あそこです」
「人魂を見たという?」
「ええ。こう、あの枝ぐらいの高さに小さな赤い光がふらふらと」
「……」
 暗闇の中で燃えている人魂。誰もいないのに聞こえるという話声。
「おい、ヴェルム。ここから見るあの高さ、そしてこの森……」
「ああ。ちょっと行ってくる。そこに立っててくれ」
 ヴェルムは恐れ気もなくさくさく歩き出すと、管理人の一人が人魂を目撃したという場所の地面に屈みこむ。
「やはりな」
「え?」
「気づかないか? 今ヴェルムがあそこに立っていたその高さ。あんたが人魂を見たというのはあの頭くらいの高さじゃなかったか?」
「! そう言えば……!」
 ヴァイスの指摘に、管理人はその時のことを必死に思い出して頷く。
 屈みこんで地面を探していたヴェルムが声を上げた。
「あったぞ!」
 その手に握られていたものは、落ち葉に埋もれるように捨てられていた煙草の吸殻だった。
「おそらくあなたが目撃したのは、この煙草の火だったのでしょう」
「それじゃあ」
「ええ。やはり、この遺跡には誰かが侵入している」
 幽霊が出たと考えるよりも自然なことだった。だが問題は、それが誰か? 何のためにこの遺跡の敷地内に侵入したのか? ということだ。
 ヴァイスが管理人に確認する。
「人魂の目撃証言は確かもう一つあったな」
「ええ。もう一人は別の場所ですが、もっと低い位置で黄色や白っぽい光を見たって。動きも大層素早いらしく」
「それは恐らく、懐中電灯の明かりでしょう」
「懐中電灯……?!」
「夜の林を歩くには灯りが必要です」
 話を聞いた時点で大体推察できたことでもある。幽霊の正体見たり枯れ尾花とはよく言ったもの、この世のものとも思えない現象の大半は、意外と身近なものでできている。
「だが……この辺りで煙草を吸っていた人間がいると言うのなら」
「ああ。灯りも持たずにちょっと一服しに出ただけなら、この近くに何かあるはず。それは恐らく」
「あの遺跡に繋がる何か、だな」
 ヴァイスとヴェルムは揃って遺跡の方を見つめた。あの中では今、アリスとシャトンを始めとする子どもたち、更にはヴァイスの生徒である高等部生たちが探索を行っているはず。
 古代の遺跡に隠された通路があるのはお約束だ。特にこんな周辺の森林を遺跡の敷地としてしっかり確保しているような構造の場合、隠し通路の出入り口と繋がっていると見てまず間違いないだろう。
 場合によっては、アリスたちの探索結果が事態を打開する鍵になるかもしれない。
「だが、気をつけろよヴェルム。こんな一般公開されている遺跡にわざわざ忍びこんで潜伏しているような奴ら、絶対ろくなもんじゃないぞ」
「ああ……」
 せいぜい地元の不良が肝試し感覚で忍び込んだ程度ならいいがと思案しながら、ヴェルムたちは更に周辺を捜索する。
 だが、嫌な予感は現実になった。
「ヴァイス、見ろよこれ」
 今は使われていない井戸の木蓋を染める大きな黒い染み。
 こんなデザインだったかなぁと管理人は首を傾げ、ヴァイスとヴェルムの二人は顔を顰める。
 木蓋自体の傷み具合に比べ、その黒い染みだけはまだ風雨に晒された気配もなく新しい。
 険しい顔つきになった二人の様子に気づき、管理人が恐る恐る尋ねて来る。
「あの……なんです、それ」
「血痕です」
「け……血痕?!」
 乾いたどす黒い染みは、最近ついたものだろう。
「開けるか?」
「……嫌な予感しかしないのだが」
 蓋の周囲についた土や泥の痕、踏みにじられた落ち葉の様子から察するに、新しい血痕を残す井戸の蓋は、最近誰かに開けられたようだった。
 もちろん公園と遺跡の管理人たちがこの使われていない井戸をわざわざ開ける理由などない。
 決定的なものを見てしまう前にと、ヴァイスが渋い顔で口を開く。
「どうやら思った以上にヤバい奴らが潜んでいるようだ。子どもたちを先に帰らせた方が――」

 その時、銃声が響いた。