第2章 歪む鏡の向こう側
7.白騎士の発明 037
「やべーやべー、やっと終わったわ」
来週から帝都で始まる美術展。そこで行う『仕事』の下見を終えて、ネイヴ=ヴァリエートはようやく一息つく。
この美術展は元々予定されていたものだが、今週はそれ以外の『獲物』の情報が急に飛び込んできた。
鏡遺跡の地下層発掘は、彼にとっても予定外の事態だ。けれどまさか先に『予告状』を出した仕事を取りやめるわけにはいかない――“パイ泥棒”のジャックの名にかけて。
スケジュールはきついが、なんとか調整して今日一日で二つをこなすしかなかった。美術館の下見も遺跡の探索も、人が多い日に行った方が周囲に埋没できる。
そのために幼馴染兼夜の稼業の相棒に、先に向こうの下調べを行ってもらっている。
後から合流する予定だったが、思ったよりこちらが手間取ってしまってうっかりこの時間だ。
ネイヴは時計を眺めながら溜息をつく。
「今から鏡遺跡に行ってもギネカに怒られそうだな……まぁ、行くけど」
◆◆◆◆◆
胸元から聞こえてきた小さな音に、シャトンはハッと顔をあげる。
「これって……」
慌てて取り出した通信機――ヴァイス謹製の、魔導万能小型通信機とやらだ。そのスイッチを押すと、聞きなれた声が流れてきた。
『シャトン、おいシャトン! 聞こえるか?』
「アリス」
「アリスさん?」
テラスとローロが不思議そうにシャトンの手元を覗き込む。
『おい、シャトン、聞こえるなら返事してくれ』
「聞こえてるわよ」
『良かった! 意外と役に立ったなこれ!』
無線機のような雑音交じりのものを予想していたが、いい意味で外れた。子どもの手のひらにちょこんと収まるサイズの通信機だというのに、かなりクリアな音質だ。
携帯電話の通じない空間でも、離れた場所にいる相手とこれで連絡がとれる。
「それは?」
「白騎士……ヴァイス先生お手製の通信機よ。これでアリスと連絡がとれるわ」
興味津々な顔つきのテラスに聞かれて簡単に答えると、シャトンは通信機の向こうのアリスの問いに返事をとばす。
『俺は今ネスルとカナールと一緒にいる。そっちは無事か?』
「無事よ。テラス君とローロ君と一緒にいるわ」
アリスたちは地下一階に降りてすぐの隠し小部屋の中にいるらしい。シャトンたちも地下一階だが、下り階段のすぐ横の部屋だ。距離的にはかなり離れている。
『フォリーは?』
「彼女は……」
はぐれてしまっている。顔を曇らせたシャトンに代わり、テラスが通信機に向かって囁いた。
「フォリーなら大丈夫だよ」
『テラス? 何か打ち合わせでもしているのか?』
「ないけど。フォリーなら大丈夫。状況に合わせた適切な対処くらい、あいつにもちゃんとできるから」
『……まぁ、あの連中をどうにかするまで、どっかの隠し部屋にでもいてくれればいいんだけど』
普通ならこの状況下で小等部一年の少女を一人で放っておくなどありえない。だがフォリーの常日頃の様子はアリスもシャトンも承知している。無口なフォリーはテラスにくっついて回るおっとり系に見えて、実はかなり機転の利く性格だ。
遺跡の中に入ればなんとかなると提案したのも彼女だし、心配ではあるがここは信じるしかないだろう。
「それでアリス、これからどうする? 私たちは……」
『強盗たちを倒そう。一人二人でも足止めできれば、フートたちが楽になるだろ』
シャトンたちが意志を決めていたように、アリスたちの方も同じ結論を出したようだ。
「そうね。相手は私たちが子どもだと油断している。手持ちの道具とこの遺跡の仕掛けで不意を衝けば、何人かは倒せるかも」
本領を発揮できないとはいえ、いざとなればシャトンやアリスの魔導もある。
「それに、一人でも倒せばそいつを人質に強盗たちと逆に取引できるかもね」
『「取引?」』
テラスの思いがけない台詞に、通信機の向こうとこちら側で声が重なる。
「そう。みんなを解放しないと人質を殺しちゃうよ。って逆に強盗たちを脅し返すの。相手が横たわった状態で武器を喉首にでも全力で刺せば子どもの力でもいけるよね」
「て、テラスくん……」
可愛い顔してとんでもない提案をするテラスに、ローロが顔を蒼白にする。すでに殺害方法の具体的な手順とイメージがあるのが実に恐ろしい。
確かに刃物こそないものの、手持ちの金属スコップでも遺跡内に多く存在する鏡を割って作った欠片でもなんでも、いざと言う時に武器になりそうなものには事欠かないが……。
「まぁそれは最終手段よね。よしんば実行できたとしても、元々銀行強盗で死者を出しているような連中だもの。仲間を見捨ててこちらを撃ってくるかもしれないわ」
「シャトンさん……?」
脅迫返しというテラスの提案自体は否定せず、あくまで実現の可能性や不確定要素を追求するシャトンにもまたローロは怯えている。
そしてまた通信の向こうの人物たちも、作戦会議と言う意味ではともかく、これに関しては深く考えていないようだった。
『その方法は俺たちも相手の前に姿を見せることが前提だから危険度が高いぞ? 相手も子どもならなんとかなると見て力尽くで襲い掛かってきてもおかしくない』
「アリスさんまで……」
『とにかく、あいつらをぶったおせばいいんだろ!』
『アリスちゃんの言うとおりフートお兄さんたちが強くっても、全員倒すのはむずかしいから、私たちで何人か足止めしたいよね!』
ネスルとカナールもやる気は十分だ。真面目なローロと違い、この二人はテラスの恐ろしい提案の人道的な是非は特に気にしていないらしい。
皆の様子に、ローロは何かを諦めた。彼一人でこの集団の暴走を止めるのは不可能である。
シャトンも子どもたちのそんな様子は特に気にせず着々と話を進める。
「相手は確か七人だったかしら」
強盗団が全部で何人いるかはわからないが、少なくとも遺跡の入り口に乗り込んできたのは七人だった。
『そうだ。フートとギネカなら四人くらいはいけるかな……』
友人たちの実力を知るアリスは、どのくらいの人数なら現実的に対処可能かを計算する。
「つまり三人は私たちがなんとかしたいわけね」
『ああ。上手く誘き出されてくれればいいが』
遺跡内部に逃げた子どもたちを捕まえようと、強盗たちも何人かは追って来るだろう。そこからが勝負だ。
『さぁ、作戦を立てようぜ?』
◆◆◆◆◆
一人になったフォリーは、遺跡の中を歩く。
あらかじめ調べてあった地下一階以外は知らないはずなのに、まるで最初からこの遺跡の構造を知っていたかのような迷いない足取りだった。
遺跡の地下はまだ、考古学者やトレジャーハンターも発掘しきれていない未踏の地だ。
しかし彼女は恐れもせずに階段を下り、どんどん下の階層へと踏み込んでいく。
幸い各フロアの構造は上の階と似通っているので、地下一階を皆と共に調べ尽くしたフォリーならば帰り道に迷う心配はなさそうだ。
下へ下へ降りる程に、人の気配もない静寂が世界を浸していく。
大人でも巨大と感じる遺跡は、子どもにとってはそれこそ出口のない迷宮のような圧迫感がある。
しかし彼女は動じない。通路や小部屋の各所に無数に存在する鏡にその姿を映しながら、よく知った小道を歩くかのように落ち着いて足を動かす。
一方で視線ばかりがきょろきょろと、せわしなくあちこちに向けられていた。
フォリーは周囲を誰かを、何かを探すように見回しながら、遺跡を探索し続ける……。