Pinky Promise 039

第2章 歪む鏡の向こう側

7.白騎士の発明 039

 新たに子どもたちを確保するよう命令された男は、地下一階をきょろきょろと捜し歩く。
「ちっ! 結構広いな……面倒だ……」
 手当たり次第に部屋の扉を開けて探していた男だったが、次第におかしなことに気づいた。
「待てよ……ガキ共だけじゃねぇ! なんであいつらもいねーんだよ!」
 逃げたり隠れたりしているだろう子どもたちだけならともかく、それを追っている立場の自分の仲間たち二人の姿も見えないのは妙だ。
 まさか、何かあったのか?
 だが追っているのは年端もいかない子どもたちだ。あんな子どもに銃を持った大の男たちが何かされるとは考え難い。
 それでも用心を怠らないようにしながら、男は遺跡の中を歩いていく。
 廊下の角を曲がると、ゴト、と音が聞こえた。続いてカチンと金属がぶつかる音が。あれは銃の音だ。
「! まさか、他に誰かいるのか?!」
 相手が仲間なら声で気づくはず。そうしないということは、この遺跡の中に、彼ら以外に銃を持った人間が存在するということだ。
 遺跡の入り口は封鎖したが、それ以前に誰かが入り込んでいた可能性はゼロではない。
 これまでに彼らが撃ったもの以外の銃声は聞こえなかったが、相手が本当に武器を手にしているのであれば、それを見せるだけで脅しになる。
「くそっ! どこのどいつだ!」
 男は慎重に音の出どころを探し、一つの部屋に辿り着いた。
「ここかっ! 出てきやがれ!」
 しっかりと銃を構えながら、乱暴に扉を蹴り開ける。
 しかし、広く薄暗い部屋の中には誰の姿もない。
 いや。
「!」
 最初の一瞬は気付かなかったが、部屋の奥に人影がある!
「てめぇ! なにもんだぁ!!」
 相手は答えない。
 自分が近づくと相手もこちらに近づいてくる。その格好や動きは自分とよく似ていて、まるで鏡写しのようだ。
 鏡? そうか鏡だ。この遺跡にはあちこちに鏡があった。
 今見ているのはきっと鏡だ。そうに違いない。何せこの遺跡の中には、自分の仲間たちを除けばほとんど子どもたちしかいないのだから。
 しかしそこで男はハッと気づいた。
 違う。相手は自分と同じ側の腕で銃を構えている。つまり、鏡写しになっていないのだ。
「この野郎!」
「はい、そこまで」
 男が発砲しようと銃の引き金に指をかけた瞬間、背後にこっそりとにじり寄っていたアリスは簡単な魔導で相手を昏倒させた。
 強盗の一人は訳も分からぬまま崩れ落ちる。
「さすがに跳弾の危険性までは制御できないものね」
「それに銃声が上に聞こえたらまずいよ」
 不測の事態に備え、魔導防壁を用意していたシャトンもようやく警戒を解く。
「これで三人目だね!」
「やったぜ!」
「うまく引っかかってくれましたね!」
 子どもたちが三人目の強盗にやはりロープをかけていく。その様はもうかなり手馴れたものだ。
「ここは鏡遺跡。もっと警戒するべきだったんだろうね」
 テラスが倒れた男を見下ろしながら笑って言う。
 先程男が見ていたものは、確かに鏡だった。
 ただし普通の鏡ではなく、正映鏡だ。
 二枚の鏡を直角に配置することによって入射した光を二度反射させる。そうすることによって、他人から見ているように自分の姿をそのまま映すことができる鏡だ。
 部屋の薄暗さや奥行も相まって、男はそれに気づけなかった。
 アリスたち子どもたちは最初の探索の時にこの正映鏡のある部屋に入って鏡の存在を確かめていた。その時の経験が役に立ったのだ。
 人間は意外と自分自身の本当の姿を知らない。
 暗い部屋で男は鏡に映った自分を見て、それを自分の知らない誰かだと判断した。顔の良く見えない鏡像が自分自身の姿だとは気付かなかったのだ。
 これらは基本的にテラスの発案だ。そろそろ強盗たちも子どもたちが何かしたのかと警戒していただろうから、アリスたちは迂闊に姿を見せたくなかった。
 それに相手も、子どもしかいないと思っている遺跡の中で急に大人の姿を見つけたら驚くだろう。
 一瞬の虚をつければ、アリスやシャトンの正しく子供騙しな魔術でも相手の意識を奪い昏倒させることができる。
 あとはこれをどうにか「上」に伝えるだけだ。
「これで少しは、お兄さんお姉さんたちも楽になるかなぁ……?」

 ◆◆◆◆◆

 子どもたちを捕らえに遺跡内に入った男たちが戻ってこない。
 最初は二人、更に一人が遺跡に潜って、気がつけばこの場を支配している強盗の人数が減っているという状況になった。
「なぁ、マギラス」
 フートはそっとギネカに向けて囁く。この場で少しでも戦闘能力があるのはフートとギネカの二人だけだ。
「ええ。あの子たち、何かやったみたいね」
 ギネカも半信半疑ながら、子どもたちが強盗に対して仕掛けたことを理解していた。
 強盗たちは先程から遺跡内に逃げ込んだ子どもたちを捕まえようとしているのだが、どうやら上手く行っていないようだ。七人もの子どもたちが一斉に逃げて遺跡の中に隠れてしまえば、それを追うだけでも大変だろう。
 本気の「かくれんぼ」ならば、探索目的で鏡遺跡を訪れ、午前中を費やして地下一階の構造を調べた子どもたちの方が分がある。
 遺跡の中では携帯電話は使えない。強盗たちの無線も遺跡外の博物館とは連絡がとれても、この遺跡地下とは通じないらしい。主犯の男が直接の報告待ちで苛々している。
「この人数なら私たちだけでも――」
「でも、そんなに上手く行くの?」
 話を聞いていたムースやレントは不安な顔だ。
 まだ警察はやって来ない。警察が来た時に彼らが人質のままだと厄介なことになるだろう。
 できれば今のうちに形勢を逆転したい。しかし賭けに出るには、遺跡内の子どもたちの安否が心配だった。
「これがもしもただの偶然で、中で子どもたちが捕まってしまったら、ここで俺たちが下手に抵抗するのは危険だ」
 フートやギネカたちは、遺跡の中のアリスたちと連絡が取れない。当然子どもたちの奮闘も知る由がない。
 だが、今が絶好の機会である。ぐずぐずしていて強盗の人数が増えたらまた振り出しだ。
 さて、どう動くべきか。
 その時、かたりと彼らの背後の壁が何か音を立てた。
「しっ――」
 小さな声が囁き、四人は慌てて無言で息を呑む。
 壁際の排水溝の中がどうやらこの遺跡に無数に存在する隠し通路の一つだったようだ。そこからひょこりと、若い顔が覗く。
「驚かないで。このまま話を聞いて」
「あんたたちは――!」

 ◆◆◆◆◆

「おいおい、なんだこりゃ」
 バイクをかっ飛ばしてミラーズ遺跡に駆けつけたネイヴは、遠目から異変に気づいて顔を顰めた。
 職業柄、足となるバイクはついつい人目につかずかつ逃走手段として利用しやすい位置に隠してしまう癖がある。今日もそうしてある程度離れた位置から遺跡の敷地内を確認して、やたらと武装した怪しい連中が見回りのように歩いているのをいち早く発見してしまった。
「道理でサイレンが聞こえるなぁと思ったら」
 考えなしに遺跡に辿り着いて正面から巻き込まれるよりはマシだが、どちらにしろすでに面倒事が始まっている気配を感じる。
 携帯を取り出して幼馴染の位置情報を表示した。画面上に記されたマークの位置に溜息をつく。
「ギネカの奴はやっぱり中か……どう見ても巻き込まれてるよな、これ」
 後で俺が怒られる流れだこれ。ネイヴは頭を抱える。怪盗として鏡遺跡のお宝を確認しなければならない彼の仕事に、幼馴染を巻き込んだ。
 彼女もその友人たちも、怪我などしていなければ良いのだが。
「さて、助けなんかいらなそうな武闘派お姫様を救出に行きますか」
 後の予定も閊えていることだし、とネイヴは口元を歪める。
 事件のせいでこの遺跡にはもうすぐ警察がやって来るだろう。そうすると探索に支障が出る。警察に事情聴取を受けるのもできれば避けたい。――ならば、やることは決まっている。
「さっと行って人質を助けて遺跡の探索をとっとと終わらせる。これしかないな」
 オペラグラスの向こう、拳銃を持った強盗の姿にも動じることなく、ネイヴ=ヴァリエートこと“怪盗ジャック”の名を持つ少年は不敵な笑みを浮かべた。