Pinky Promise 046

第2章 歪む鏡の向こう側

8.鏡の向こう側 046

 なんとか警察の相手を無難に終えたサマクは、エイスたちのもとへと戻る。
 一歳や三歳の年齢差など「この歳」になってくると比べるのもおかしいくらいだが、なまじ外見は他二人が幼いだけにどうしても初対面の人間にはサマクがリーダーだと勘違いされる。
 よくよく彼らの会話を聞いてみれば、一人だけ敬語を使って話されるエイスの方が主導権を握っていることに気づくのだが。
「警察か。厄介なことになったな」
 とりあえず今日のところは宿に帰ることができるが、明日から事情聴取だのなんだのとやらねばならないことがある。
「ま、僕らの調査は終わったことだし、問題ないんじゃないですか?」
「問題ならある。この格好でトレジャーハンターなどしていると、もっと学校に通え真面目に生きろと説教されるのが面倒臭い」
「……事情聴取どうしましょうね」
 エイス、ラーナ、サマクの三人は、一斉に溜息をついた。
「保護者が必要な歳でもないんですけどね」
「まだまだ若いとでも思っておけ」
「そりゃ外見は十七と十六と十四歳ですからそうでしょうよ……」
 くだらないやりとりは多少の現実逃避が入っている。遺跡探索に来て銀行強盗とやりあう羽目になるとは、さすがの彼らも思わなかった。
「面倒は面倒ですが、ちょっとこの街に残ってみてもいいと思いますよ」
「どうした?」
「さっきのあの子、“アリス”って名乗ってたでしょう」
 ラーナの言葉に、エイスとサマクも一瞬目を見交わす。
「……考えすぎではないか? あれはどう見ても子どもだろう?」
「そうですか? 俺はあの子、普通よりしっかりしているように見えました。七歳ではなく、もっと年上だと言われても納得できるくらい」
「そうだったか?」
「ええと……大人っぽいのは、青い髪の男の子だったような気がしますけど……」
 一口に子どもと言っても七人もいたのだ。強盗騒ぎで大変だったことだし、そう細かくは見ていない。
「あの金髪の子は、俺がアリスの名に反応した時、一瞬動揺を隠そうとしました。あの子どもらしさは演技です」
「うーむ……」
「何より、“アリス”ですよ」
 あの“アリス”が本名ではなくコードネームだとしたら。
 それは彼らが、この十年求め続けた存在なのかもしれない。
「我らの中には魔術師がいないからな。色々と確かめようにもその手段がない」
「いっそ呼び出しますか? もし本物だったとしたら」
 話を進めるエイスとサマクに、大事なことを見落としていることをラーナは突っ込む。
「……というか、ジグラード学院にいるはずのあの人に聞けばいいじゃないですか」
「「その手があったか」」
 ――ジグラード学院、そこはもう何千年も前から、この世界の中心に存在する特別な学校。

 ◆◆◆◆◆

「着いたわよ」
 ダイナの優しい声に起こされて、アリスはぱちりと目を開けた。
 朱と蒼の入り混じった夕闇の帳が降りている。すっかり遅くなってしまった。
 明日の事情聴取は昼ごろにでも行けばいいと言うのがまだ救いだ。
「みんな、今日はお疲れ様。でもマギラスさん、家まで送らなくて大丈夫?」
「大丈夫です。どうせこの近くのマンションですもの」
 聞きなれた声に、あれ? と首を傾げると確かにギネカがそこにいた。
 自宅が近いので、個別に送ってもらうのを断りヴァイスたちのマンションから歩いて帰るらしい。
「じゃあ、また明日ね。マギラスさんも、今日はゆっくり休むのよ」
「はい。ありがとうございました。また明日」
 ギネカは一同に別れを告げて歩き出す。
 その後で、アリスは彼女の忘れ物に気づいた。
「あ……」
「そのストール、マギラスさんのものね」
「そう言えば、起きた時に毛布代わりにかけてくれてたのってこれかしら」
 車の中で寝ていた時のことを思い返した様子でシャトンが言う。まさかぐーすか寝ていたアリスとシャトンの二人と、それを見守っていたギネカが全員同じ歳とは思うまい。
「明日会った時にでも渡せばいいだろう」
 長い一日の終わりにわざわざ追いかける程のことはないとヴァイスは言う。だがアリスはそうは思わなかった。
「俺、届けてくる」
「そうか? 明日でいいと思うがな。まぁ、任せる」
 まだ夕暮れだ。付近の子どもたちはすっかり帰ってしまったが、そんな遅い時間ではない。ましてやアリスの中身は十七歳の男子高生だ。現在の保護者であるヴァイスもこういうところは気にせずにアリスを送り出す。
 ギネカの自宅はアリスも知っている。どんな道を辿るのかも予測がついて、すぐにその背中を発見した。
 いつもきびきびと行動するギネカもさすがに今日は疲れているのか、歩みが遅い。アリスはすぐに追いつけた。
 ちょうど公園の前にさしかかったところで彼女に声をかける。
「ギネカお姉さん、あの」
「ようやく見つけた」
 振り返ったギネカがパシリとアリスの腕を掴む。驚いたアリスは思わず彼女のストールを落としてしまった。いきなりなんだ?
 そして次の瞬間、困惑は驚愕にとって代わられる。
「見つけたわよ、アリスト」
「へ?」

 ◆◆◆◆◆

「な……何言ってるの? 僕の名前はアリスだよ? 似てるけど、間違えな――」
「ごめんね、アリスト。私もずっと、あなたたちに黙っていたことがあるの」
 アリスは混乱に見舞われていた。何故だ。何故ばれた。
 シャトンの開発した禁呪でもなければ、人間の時間を巻き戻す魔法なんて理解の範疇を超えている。容姿が多少似ているくらいで、十七歳のアリストと七歳のアリスを結びつける人間なんているだろうか。
 だが、相手は自分もよく知るギネカだ。彼女は大事な場面で軽はずみな事など言わないはず。
 あなたたちと言うのは、どこまでのことだ?
 ギネカは何を知っている?
「睡蓮教団、白兎、赤騎士……そう、それがあなたをこんな姿にした相手なのね」
「!」
 アリスは咄嗟にギネカの手を渾身の力で振り払い、距離を取った。
「なんでその名を……」
 まさか。そんなことは信じたくないが。
「不思議の国のコードネームを知るのは、彼らと同じ世界に関わる者だけ――」
 まさかギネカは彼らの――。
 警戒するアリスの前で、ギネカがきょとんと目を丸くした。次いでアリスの思考を理解したらしく、いきなり慌てだす。
「ちょっと待って! 何か盛大に誤解してない?!」
「誤解?」
 胡乱な目付きを隠せないアリスの前で、わたわたと不思議な動きをしていたギネカが腹を括って口を開く。
「私は、睡蓮教団とは関係ないわ。今のは、あなたの記憶を読んだだけよ」
「記憶?」
「そう」
 ギネカはアリスに手を差し伸べて言った。
 そう言えば先程、彼女に腕を掴まれた。以前も脈絡なく触れられそうになったことがある。
 その時はまだこの姿になったばかりで警戒して他人を避けていたが、本日は強盗の銃弾から庇った時や、帰りの車の中など何度か彼女に触れている。
「私は、接触感応能力者なの。触れた相手の記憶を読めるのよ」
「……は?」
 今度はアリスがぽかんとして口を開ける番だった。
 一年間同級生を、友人をやっていたのにそんなこと聞いたこともない。
 だからこそ彼女も先程「黙っていた」と言ったのだろうが――。
「疑うなら、こうして目を閉じているから、私の手に触れて何かやってみて。あなたの手を通じて見ないでそれを当ててみせる」
 考えてみて、ではなく、やってみてと来たか。相手の思考を読むだけの精神感応とは違い、接触感応能力者は相手の思考から行動まで、全ての「記憶」を読み取るという――。
「もちろん今は他の記憶は読まないようにするけど……あなたが私を、そこまで信用できないと言うなら別だけど……」
 いつもしっかりとした口調で喋るギネカだが、だんだんと語尾が弱くなる。
 小説やドラマでありがちなパターンだと、心や記憶を読める能力者はそのせいで人に嫌われたり、人間不信に陥りやすいらしいが……。
 アリスは片手をギネカと繋ぎ、くるりと後ろを向いた。
「!」
 もう片手で手持ちのメモ帳とペンを取り出して告げる。
「今から俺が紙に書く物を当てて」
 アリスはメモ帳にさらさらとペンを走らせる。体でメモ帳を隠すようにして、例えギネカが薄目でこちらを覗き込んでも見えない位置に立つ。
 すぐさまギネカが答を告げてきた。
「一枚目は○、次は△、次は……うさぎ? アリスト、あなた絵が下手ね」
「余計なお世話だ」
 返す言葉はもう子どもらしい“アリス”の演技ではなく、十七歳の“アリスト”のものへと戻っている。
「百、六六六、二〇一五、猫……絵じゃなくて文字の方ね、朝、夜、夕方、わかった……?」
「『お前を、信用する』」
 見もせずに文字を読み上げるギネカの声と、口に出したアリスの声が重なる。
 ギネカは目を見開いた。
「『俺は、アリスト=レーヌだ』」
「アリスト……」
 繋いだ手から、ギネカの震えがアリスに伝わる。今は彼女よりも随分小さくなってしまった子どもの手。
「そうだよ、俺はアリストだ。こんな姿になっちまってるけど、でも――」
「良かった!」
「ぎ、ギネカ?」
 振り返ったギネカは、そのまま思い切りアリスを抱き締めた。
「無事で……生きてて良かった……アリスト……!」
 ギネカは、ようやくアリストを見つけたのだ。