Pinky Promise 048

第2章 歪む鏡の向こう側

8.鏡の向こう側 048

「へぇ。超能力についてバラしたんだ」
「ええ。これからは向こうにちょこちょこ手を貸すことになるわね」
「えー、俺を見捨てんの?」
「あんたは一人で充分でしょ。私の用事を邪魔しないでちょうだい」
「酷いな。今日だって助けてやったじゃん」
「あんたいなくても、ダイナ先生だけで大丈夫そうだったけどね」
「うわ、本当にひでー。そういうこと、ふつー思ってても言うか?」
「あんたには言わなきゃ伝わんないでしょ? 人が気遣って言葉を濁したら余計疑心暗鬼になるくせに」
「それはお前の方だろ? ギネカ。なまじサイコメトリーなんてものがあるせいで、人の本音と口にした言葉が違うと不安になるくせに」
「……」
 これまで滑らかに反論を紡いでいた唇が止まり、代わりのように溜息を吐き出した。
「本当、生きづらいわね。私たち」
「生き易い人生なんて存在しない。俺たちは人よりもそれがちょっと特殊なだけだ」
 ネイヴは諦観の滲む表情で薄く笑う。人の中心にいる時の笑顔とは違う、ギネカがよく知る彼の表情だ。
「ま、良かったんじゃん? 俺以外にもお前のその力を平然と受け止めてくれる奴がいて。しかもそれが好きな男なら尚更だよなー」
「ちょっと、からかわないでよ」
 ギネカのアリストへの想いを知るネイヴは、しっかり者の幼馴染が唯一頬を染めて慌てふためく話題を何かにつけて持ちだすのだ。
 しかし今日は、ただのからかいのためだけにそれを口にしたわけではない。
「しかし“そっち”についてばらしたんなら、“こっち”もついでにばらせば良かったのに。向こうはお前が自分の手札を全部晒したと思ってるだろうよ」
 アリスはギネカが、彼女自身の接触感応能力という最大の弱味を晒したと思っている。それは確かに正しい。だが全てではない。
「言える訳ないでしょ? あんたは自分を誰だと思っているの?」
 高い高いビルの屋上で、少年の羽織った紅いマントがばさりと風をはらみ翻る。
 真夜中の闇に浮かび上がる仮面の騎士。こんな時間、こんな場所においては誰が目撃するわけでもないが、もしも誰かが見ていたら高らかにその名を叫ぶことだろう。
「天才高校生とは世を忍ぶ仮の姿、その正体は、世間を騒がす“パイ泥棒のジャック”こと怪盗ジャック様でーす」
「……そして私はその共犯者。言えるはずないじゃない」
 ギネカは「アリスト」にそっくりな「アリス」を最初から気にかけていた。公園で赤騎士に彼らが襲われている時に、胡椒玉を投げつけて助けたのは彼女だ。
「コードネーム“料理女”……私が最初から、睡蓮教団の敵対者だなんて」
「まぁ、いずれはこっちの事情を話すにしても、今はまだ時期尚早の感は否めないな。俺とそのアリスちゃんことアリスト君はほとんど面識ねーし」
「『まったく』の間違いでしょ。あんたはアリスとは今日面識を得たけれど、アリストとは会ったことないのよ」
「そうなんだよなー、帝都の切り札たる探偵と言い、なかなか勘の良さそうな白騎士様といい、異様に落ち着いた雰囲気のお嬢ちゃんといい、あの一味はみんな厄介なことこの上ない」
 本日の遺跡探索で顔を合わせることになったが、ネイヴとしてはぎりぎりの状況だった。探偵ヴェルムを始めとして、素顔で面識を持つには危険な人材がごろごろと集っている。
 今日のように人が多ければ学生たちの中に埋没して誤魔化すこともできるが、いつまでその手が通じるものか。
「まぁ……近づく必要もないでしょ」
 元々アリストの知己であるギネカだけならばともかく、その幼馴染まで急に接触を増やしたらさすがに不自然過ぎる。
 総てを明かす必要なんてない。総てを知る必要もない。
 所詮、目に見えるものの全てが真実だなんて、ただの幻想なのだから。
「真実は所詮目に見えない、掴もうと思ってもこの手をすり抜ける。私は今日やっと、いなくなったアリストの手を掴むことができた」
「そして俺は逃げ続ける。偽りの姿に身をやつし、警察から世間から探偵から教団から、お前以外の俺の日常からすらも」
 総てを騙し、欺き、出し抜く。
「この線が交わることがあれば、次は会話の一つくらいあるかもしれないな。――アリス、彼が本当に、俺たちの待ち望んだ存在なら」
 ギネカの話から「アリスト」に興味を持っていたネイヴは、今日会った金髪の少年を脳裏に描く。だがそれは自分と同じ十七歳の少年ではなく、年端もいかない子どもの顔。
「でも――気をつけろよ、料理女。教団から隠れてるあいつらの近くにいるってことは、何かあればお前も教団に見つかる可能性が高まるってことだ」
「わかっているわ。そんなへまも、無茶もしない。でもじっとしてもいられないのよ」
 穏やかな日常は忘れて久しい。いつから嘘を重ね始めたのだろう。いつから仮面を被るように表情を取り繕い始めたのだろう。
 ギネカがネイヴの怪盗稼業を手伝い、夜を翔けるようになったのはもう五年も前からの話だ。
 赦されないことを赦さないために、自らの手もまた罪に染める。もはや彼らも赦されはしない。
「ま、いいさ。見てろよ、睡蓮教団。――最後に勝つのは俺たちだ」
 ネイヴは不敵に笑む。姿こそ見慣れた幼馴染。しかしそこにいるのはもはやただの能天気な高校生ではなく、帝都中を騒がせる怪盗その人だった。

 ◆◆◆◆◆

 人間はどれだけ、本当のことを知ることができるというのだろう?
 偽ろうと思えば、いくらだって偽ることができるのが人間だ。
 真実を映すはずの鏡でさえ、本当の姿を映してくれるとは限らないというのに。

 ◆◆◆◆◆

月曜日の教室は異様に盛り上がっていた。
「マジで?! あんたら本当何やってんの?」
「うるせー。俺たちだって好きで事件に巻き込まれたわけじゃねーよ」
 エラフィ、ヴェイツェ、ルルティスの三人に、フート、ムース、ギネカ、レントの四人で遺跡探索が思いがけず強盗犯退治になった話をしていた。
「私、行かなくてよかった~」
「来れば良かったのに、セルフ。ぜひとも一緒に巻き込まれろ」
「イヤだっつの。大体私がその場にいたって何の役にも立たないよ。あんたやギネカみたいな近接格闘能力ないし」
「はは。実際俺は自分の身を守るのに精一杯で全然役立たなかったよ……」
 遺跡に同行した四人の中では一番身体能力の低いレントが項垂れる。
「んなことないって」
「今回は私たちよりむしろ子どもたちの方が頑張っていましたから」
「そうそう。強盗を無事に捕まえられたのはほとんどあいつらのおかげだったな」
「子ども……?」
 話を聞いていた三人がきょとんとする。
「あれ? そういえばお前らまだヴァイス先生のとこの二人に会ったことなかったっけ?」
「え? なになにどういうこと? ヴァイス先生また何かやってんの?」
 小等部の子どもたちと一緒に行ったという話をしたのだが、どうもカナールやテラスたちと直接面識のない三人にはピンときていなかったらしい。
 四人は改めて同行した七人の説明をする。特に食いつきがいいのは、今現在ヴァイスのところに預けられている二人のことだ。
「親戚のごたごたに巻き込まれてる子どもを二人預かっているらしいんです。小等部一年生の男の子と女の子」
「何それ面白そう! あのヴァイス先生が子育てとか、まったく想像できない!」
「ちなみに男の子の方は、外見がアリストにそっくりだよ。ミニアリストってかんじ」
「何それ面白くなさそう! あのアリスト似とか、可愛さの欠片も感じられない!」
 エラフィが手を叩きながら爆笑する。
「いや、アリスト似なら見た目は可愛いだろ見た目は」
「っていうかエラフィさん、なんでそんなにアリスト君に厳しいんです?」
 同級生のアリストはともかく何の罪もないアリスのフォローはしておくべきだろうと、フートやムースがエラフィに突っ込みを入れる。
 まるで別々の人間として違いをそれぞれ詳しく挙げ連ねるのを聞くのは、その二人が紛れもない同一人物であると知っているギネカとしては少々居心地が悪かった。
 何か別の話題はないか探そうとしたところで、視線が対面に座っていた少年の包帯に吸い寄せられる。
「あれ? ヴェイツェ、その腕どうしたの?」
「ああ、これ。昨日ちょっとドジっちゃって」
「珍しいわね……フートやギネカ程じゃなくても、あんた運動神経抜群じゃない?」
 エラフィが目を瞬かせる。この中では彼女が一番、ヴェイツェと仲が良いはずだ。ただし二人とも独特のペースをお互いに守っているので、休日まで一緒に行動するのは稀だという。
「たまにはそう言う日もあるだろ」
 フォローを入れたフートに対し、エラフィがすかさず茶化してくる。
「まぁ、時々フートが何やったらそういうことになんの? って変な怪我をしてるのに比べたらマシだけど」
「この間どうして顔面に犬の足跡ついてたの?」
「聞くな。頼むから聞かないでくれ」
 彼女の突っ込みは場を盛り上げる意図云々よりは、単純に思ったことはなんでも言わずにいられないだけだ。フートも真面目に答える気はなく、些か大袈裟な素振りで首を振っている。
 そんな二人を放ってこれまたマイペースに彼らに馴染んできた転校生が、何処か夢見る様子で口を開く。
「でも遺跡探索かぁ。私も行きたかったです。歴史好きの血が騒ぎますよ」
「次はランシェット君も行きましょうよ」
「でも残念ながら、銀行強盗は嫌いで。小市民として肝が冷えますよ」
「だから俺らも好きで強盗に巻き込まれたわけじゃねーから!」

 そして、今日も日常は続く。
 たくさんの偽りを、極自然な顔で日々のあちこちに溶け込ませながら。

 第2章 了.

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