第3章 歯車の狂うお茶会
11.三月兎の足跡 065
こいつこんな強かったっけかなぁ? と、マッドハッターは内心で首を傾げながらティードルディーと戦闘していた。
内心でどう思おうと、顔には出さない。そもそも仮面をつけていて彼の表情はわからないのだが。
ティードルディーとはここ一年程、小手調べ程度に何度かやりあった記憶があるが、今日はその時とは違う。
「はっはっは! まだまだぁ!」
繰り出される術の威力は高く隙がない。純粋な身体能力だけならマッドハッターの方が上なのでまだなんとかなっているが、このままではまずい気がする。
落ち着け。考えろ。
不自然なパワーアップには、何か仕掛けがあると考えるのが当然だ。
彼の相棒――と言うと何故か怒られるのだが――ティードルダムが傍におらず、アリスの方へ向かったことも気にかかる。
「ちっ!」
「どうしたマッドハッター、いつもの威勢はどこに置いてきた? それとも」
魔導に気をとられた隙に、背後から一般の部下が銃口を向けている。
「今日こそ年貢の納め時かな」
「!」
寸でのところで躱したものの、銃弾の一発は腕をかすめて僅かな血が飛び散る。
「あなた方に納める年貢はありませんよ」
傷口に逆の手を押し当てながら、それでもマッドハッターは不敵を装い笑う。
ズキズキと響く痛みを消すように魔導で応急処置をしながら、だんだんと浮かび上がる焦りを意志の力で押さえつけた。
落ち着け。動揺するな。
一瞬でも隙を見せれば、相手は己の喉笛を食い破ってくるのだ。
こんなことぐらいなんでもないと、余裕を持って対峙せねばならない。
マッドハッターという怪盗の立場は、そのための仮面だ。
ここにいるのは無力なただの男子高生フート=マルティウスではなく、幻想と悪夢を彩る不思議の国の住人、イカレ帽子屋なのだから。
「やれやれ。せっかく警察を撒いたのに余計な証拠を残すことになってしまったではないですか。面倒だなぁ」
「大丈夫だ。血の一滴を片づけるまでもなくお前はこれから死体になる。警察の身元確認の手間を省いてやれよ」
「ええ。省いて差し上げるつもりですよ。――この場から無事に逃げおおせてね!」
とにかくティードルディーさえ突破できればいい。マッドハッターは魔導に手を抜いてでも、身体能力頼りで飛び込む。
「馬鹿が! ダムの方ならともかく、怪我をした腕で俺とやり合おうなんて早いわ!」
確かにこれが見るからに細面のティードルダム相手だったならもう少し有利を得られただろう。だが他に道はないのだ。
「そして俺に筋肉しか取り柄がないなどと侮るのもな!」
いつも誰に言われているのかは知らないが、別にそこまでは言っていない。
「!」
躱せると信じて突っ込むが幾つもの銃口がマッドハッターを狙う。だが全ては撃って来ないとわかっている。いくら広い屋上とはいえ、こんな限られた空間で無駄に乱射すればあっという間に同士討ちだ。
しかし。
「読み通り。俺たちの勝ちだ」
今日は相手の方が一歩上手だった。退路を断たれたマッドハッターに、ティードルディーの術が――。
炸裂しない。
「何?!」
淡い光の盾に弾かれて、攻撃が霧散する。
ジグラード学院のヴァイス=ルイツァーリ魔導学講座では真っ先に叩き込まれる魔導防壁だ。
「生きてるわよね? 帽子屋さん?」
「君は……」
彼の生存確認をしたのは、淡い茶の髪の少女だった。マッドハッターの正体であるフートと同じ十七歳頃か。大層な美少女だ。
けれどどこかで見たことがあるような顔立ちだ。それなのにフートは、彼女を厳密にどこで見たのかがさっぱり思い出せない。
そしてこの美少女よりも更にフートが気になっているのは、咄嗟に割り込んで盾を張ったもう一人。
「なんなんだテメーらは!!」
激昂するティードルディー相手に、不敵に返す少年。
彼こそは覚えがあるどころか、本当に良く見知った人物だ。
「お前らをぶっ倒す人間だよ!」
現在帝都にいないはずの友人、アリスト=レーヌだった。
◆◆◆◆◆
相手の結界の影響で一時的に元の姿を取り戻したアリス――アリストはすぐにティードルダムに応戦し始めた。
手足が伸びただけではない。やはり十七歳の高等部生と七歳の子どもの体では感覚が違い過ぎる。これまでよりもずっと自由に動ける!
見るからに痩せぎすで身体能力が高くないのだろうティードルダムは、アリストが魔導だけでなく体術を交えはじめるとあっという間に防戦に回った。
ティードルディーと違って、彼は部下を連れていない。
そのためティードルダムは、仲間と合流するために上に向かった。ビルの外壁の非常階段を昇り始める。
身体能力も多少補正されている結界内では、数段飛ばしであっという間だ。
「逃がすか!」
アリスもそれを追う。そして。
「アリスト!」
「シャトン! 来たのかお前」
「今は“チェシャ猫”と呼びなさい! あなたの状況を窺っていたからね。この姿なら多少暴れてもすぐに“シャトン”には結びつかないでしょう?」
「それもそうだな」
「まったく、なんて過激なことをするのよ!」
怒られた。彼女自身もアリスの発想のおかげで一時的に元の姿に戻れてはいるのだが、それとこれとはあくまでも別らしい。
チェシャ猫が援護に回ってくれるなら心強い。
アリスがアリストへ変わる瞬間を見られているので、ティードルダムをなんとか確保しなければならない。あのまま殺されるよりはマシだが、今もなかなかピンチな状況であることには変わりない。
けれどもう後戻りはできないのだ。
彼らは屋上に戻り、明らかに苦戦していたマッドハッターと合流した。
アリスには調子に乗ったティードルダムが種明かしをしてくれたが、マッドハッター相手のティードルダムはそうしたサービスはしてくれなかったらしい。
ティードルディーとティードルダム、二人の魔導士が紡ぎだす連携魔導の絡繰りに気づかなければ、いかな怪人とはいえ優位に立つのはきついのだろう。
アリスたちがティードルディーの攻撃から怪人を庇う間、教団側もティードルダムが無事に相棒と部下と合流していた。
「さっきのガキと似てるな。兄弟か何かか?」
「それよりも……横にいるのはチェシャ猫ですか? 生きていたんですかあなた」
「久しぶりね、二人とも」
チェシャ猫はにっこりと艶やかに笑い、毒を吐く。
「二人揃わないと一つの禁呪も使えない半人前さんたち」
ティードルディーとティードルダムの額に青筋が浮かんだ。
「おいおいお嬢さん、何を挑発しているんだ?」
向こうは二人の魔導士と銃を持った男たち、こちらは男子高生と同じような年頃の少女と怪人。
チェシャ猫の挑発を不安に感じたらしく、マッドハッターが問いかけてくる。
「これでいいのよ。あの二人は性格的に反目し合っているのに、強い能力は共同でしか使えない」
「まずは足並みを乱せってか」
「その通り」
マッドハッターも伊達に怪盗として警察を撹乱したり睡蓮教団を敵に回して生き残ってはいないということか、短い言葉でも察しが良かった。
睡蓮教団の魔導士二人はチェシャ猫に対し、怪人やアリスに向けるより更に厳しい憎しみの表情を向けている。
「お前が生きてるってことは、赤騎士の奴が仕留め損ねたってことか。使えねぇな」
「白兎も共犯でしょうね。これを報告すれば幹部が何人も減りそうで……楽しみですよ」
「そうね。楽しみだわ。あんたたちが下っ端に転落するのが」
これでチェシャ猫の生存が赤騎士以外の幹部に判明した。退くことのできぬ戦いに、また一歩足を踏み入れる。
けれどシャトンもアリスも、素直に殺されたり捕まったりしてやる気はないのだ。
むしろここでこの二人を倒すことができれば、教団との戦いが少しは有利になるかもしれない。
シャトンを軸に二対二の戦闘が開始される。
その間にマッドハッターは、何も言わずに黒服たちを片づけることに専念し出した。
雑魚ちらしはありがたく彼に任せて、アリスとシャトンはそれぞれの相手に集中する。
「そっちの坊主も結構やるな」
「忌々しい……何なんだ貴様は、伸び縮みして」
「伸び縮み?」
ティードルダムはチェシャ猫の攻撃を避けるのに必死で、アリスとアリストの関連性をまだティードルディーに報告できていない。
「シャトン、どっちだ」
「ティードルダム、痩せぎすの方よ」
アリストとチェシャ猫は、別々の獲物を狙うと見せかけてティードルダムへ攻撃を集中させた。
「ぎゃ!」
「ダム?!」
しかし確保しようとした行動は、さすがにティードルディーに邪魔される。もはや魔導ではなく隠し持っていた拳銃を乱射されて、迂闊に近づけない。
そうこうしているうちに、サイレンの音が聞こえてきた。
「パトカー?」
「マッドハッターの捜索か!」
遠隔で状況を確認していたヴァイスからモンストルム警部だという報せが入る。
「……今日のところは痛み分けということにしておいてあげましょう」
最後にどう聞いても苦し紛れの捨て台詞を吐き、ティードルダムとティードルディーは撤収した。