Pinky Promise 066

第3章 歯車の狂うお茶会

11.三月兎の足跡 066

「畜生~、惜しかったなぁ」
「彼ら自身はともかく、ティードルディーとティードルダムの師匠は確か教団の重鎮の一人だわ。捕まえれば中核に近づけそうだったけれど」
「逃がしたもんは仕方ない……とは言ってられないよなぁ。どうする? シャトン」
アリスがアリストへ変わるのをティードルダムに目撃されているのが厄介だ。
 「雲隠れするにしてもまずは帰って白騎士に相談よね」
「そうだな。……お?」
 術が解ける。
 魔法は終わる。
 夢の時間から覚めていく。
「なっ……!!」
 マッドハッターが今日一番の驚愕の声を上げる。
「……もう終わりか」
「あの二人が結界を解いたのね。……仕方ないじゃない。鏡に映る今の私たちの姿はこっちなんだもの」
 全身を包む淡い光が消える頃には、アリストの声が澄んだ高いものに変わっていた。
「これは一体……どういうことだ?」
 声音からでも呆然としていることが伝わるマッドハッターに向けて、アリスト――すでに子どもの姿に戻ったアリスが肩をすくめて見せる。
「これが、俺たちが睡蓮教団を追う理由ってやつ」
「何故大人が子どもに……いや、子どもが大人に……?」
「ちょっと時間を盗まれちゃってなー」
「時間を……盗む?!」
 神妙に悲劇的に演出しようと思えばいくらでも悲劇になるはずのそれを、アリスはからりと笑いながら口にした。
 相変わらずぽかんと口を開きっぱなしの怪人に問いかける。
 最初に顔を合わせた時からそう感じていたが、怪人マッドハッター、彼はやはり相当若い。
「で、マッドハッター。お前の方はどうなんだよ。と言っても、さっきの様子からすると教団と敵対しているようだが」
「ああ……そうですよ。彼らは私の敵、彼らからしたら、私は目障りなコソ泥と言ったところでしょう」
「あなたがツィノーバーロートの絵や他の宝飾品を狙うのは、魂の欠片を集めているためね」
「その通り」
 怪人マッドハッター……フート=マルティウスは頷く。
 本当はそれだけではないのだが、いくらアリスト相手でもそこまでは明かせない。
 否、むしろアリス少年の正体が友人のアリスト=レーヌだと知ったからこそ、これでマッドハッターには自分の正体がフート=マルティウスであることを明かす機会が消えたと言える。
 言える訳がない。
 友人に、自分が怪盗であるなどと。
「俺たちは元の姿に戻るために、睡蓮教団と戦うための仲間を集めているんだ。あんたの持ってる情報も知りたい」
「私たちと手を組まない? マッドハッター」
 フートの事情を知らないアリスたちの側からしてみれば、十七歳の姿をマッドハッターに見られたのは好都合でもある。七歳の子どもの姿よりはこの方が説得力があるだろう。
「……先程の姿でも、あなた方はせいぜい高校生かそこらでしょう? そんな子どもに、一体何ができるって?」
 しかし、マッドハッターの方は。
「危険なことはやめて、おうちに帰りなさい」
 アリスとシャトンは表情を曇らせる。
 彼らにはまだ、怪人マッドハッターの正体はわからない。
 けれどその言葉が咎めではなく、気遣いから発せられたものくらいはわかるのだ。
「そう言う訳にもいかねーよ」
「危険だからこそ……余計な人を巻き込めないわ」
 そしてシャトンの切実な訴えが、ここ十年のマッドハッターの……フートの孤独を呼び起こした。
 だから、なのか?
 だからザーイエッツは……兄は帰って来ないのか?
 仮面を被る怪盗と偽りの子どもたち。誰も彼もが真実を喪って、それでも足掻いている。
 総てを知る者はここにはいない。
「……情報の交換くらいは、機会があればしてあげますよ。けれど私に仲間などいらない」
 巻き込めない。そんなことできるはずない。
 例え彼らの心を傷つけてでも。
 どうして帰ってこないの? 記憶の中の後ろ姿に問いかけ続けた答が今ようやく手に入ったのかもしれないけれど。
「マッドハッター!」
「もう遅い。そろそろお帰りなさい。それとも、私を捕まえるためにこの辺りをうろうろしているモンストルム警部にでも代わりに捕まりたいのですか?」
 正体がどうであれ、今のアリスとシャトンは子どもなのだ。
 大人の腕で簡単にくびり殺せるような無力な存在でしかない。
「まぁ、先程のことには礼を言いますよ」
「別にいいわよ。借りを返しただけだし」
 単に会話の繋ぎ代わりを兼ねた礼を口にしたマッドハッターに、シャトンは不思議な答を返した。
「……?」
「借り?」
 マッドハッターが危うく声を呑み込む傍でアリスが不思議そうにシャトンを見ている。
「ええ。協定のことはともかく、これであの時の借りは返したわよ」
「……そうですか」
 そしてマッドハッターは屋上から姿を消す。
「シャトン、借りってなんだ?」

 ◆◆◆◆◆

「どうやら全員無事のようだな」
「良かった……!」
 遠くで様子を監視していたギネカとネイヴは胸を撫で下ろす。
「そんなに心配ならギネカも行けば良かったのに」
「いくらなんでもそんなことまでしたら不審に思われちゃうでしょ! 犯罪的宗教団体とガチで戦う女子高生なんていないわよ!」
「お前は銀行強盗とガチで格闘する自分を普通の女子高生だと思ってんのか……?」
 幼馴染の自己評価は一体どうなっているのかと、ネイヴは盛大に呆れた。
「それにしても、アリスとあの、シャトンの姿が大人に戻ったのは何なのかしら?」
「その辺は後日何があったか聞けばいいんじゃないか? 問題がなかったらそのくらいは教えてくれるだろ」
 ギネカのたっての頼みで危険なことをするアリスたちを見守っていたネイヴは、素早く現状と問題点を整理していく。
「マッドハッターには色々ばらしちまったみたいだけど、まぁ、あいつなら大丈夫だろう。問題は残る二人だな」
「ティードルディーとティードルダムね……ただ」
「ああ、ジャバウォックからの情報か。一体どういう意味なんだろうな。“あれは放っておいても大丈夫”って」
 姿なき情報屋は何故かマッドハッターを敵視している割に、同じ怪盗であるはずのジャックに対しては好意的だ。時々こうして情報を流してくれる。
 情報どころか、一見意味不明の示唆さえも。
 それでもこれまでの経験から彼の言葉には信用がおけると知っている二人は、ジャバウォックの言葉をひとまず信じてその場を後にすることにした。
 その内容まで彼らが知っていたら、それを後悔するとまではこの時は夢にも思わなかったのだ。

 ◆◆◆◆◆

「くそ……!」
 黒服を着て集団で行動しているために目立つ部下たちと別れ、ティードルディーとティードルダムは彼らの本拠地に向かうために走っていた。
「あのガキ、それにチェシャ猫の野郎……一体なんだってんだ!」
「ディー、あの金髪の少年ですが、元は七歳程の子どもでしたよ。それが私たちの結界の特性を理解した途端、急に大人の姿になったのです」
「なんだって?!」
 二人は物陰で足を止める。
「道理で似ていたわけだ。ってことは、元の姿はもしかしてあっちか?」
「あっちってどっちですか? まったく、あなたの雑な言い方はいつも紛らわしい」
「俺に文句言ってる場合じゃねぇだろうが! 高校生ぐらいの姿の方だよ。本物の子どもが想像だけで大人になってみたと考えるより理にかなっているだろうが!」
「確かにそうですが、では何故あの少年は最初から子どもの姿だったのです? 変装や幻惑の術をかけていたわけでもなく、容姿はそのまままるで時を巻き戻したかのよう――」
 ティードルダムが口にした言葉から、二人はあることに思い当たる。
 今日あの子どもと一緒にいた魔導士。
 彼らにとっては目の上のたんこぶであった、チェシャ猫という存在。睡蓮教団の秘蔵っ子でもあった天才魔導士。
「時を盗む禁呪だったか、チェシャ猫の奴が作ってたのは」
「実用化された際に運用していたのは、確か白兎と赤騎士だったはず」
「ふん、裏切り者のチェシャ猫はともかく、赤騎士たちはとんだ失態だな」
 否、あえて見逃したのか?
 赤騎士と白兎の二人組は睡蓮教団の中でも異端だ、何を考えているのかわからない。
「どうします? あの二人を上層部の前で追及するか、それとも裏で弱味を握るか……」
 顔を見られたと言っても相手はどちらにしろ所詮は子ども。まだアリスのことを侮っていたティードルダムとティードルディーはそう考える。それよりも白兎と赤騎士の弱味を握る方が大事だと。
 この後、もしもの話をするのであれば。
 彼らがこっそり赤騎士たちの弱味を握ろうなどとその話をしたが最後、アリスの存在を隠しておきたい赤騎士は彼らを即座に殺してしまったに違いない。
 だが現実は、そもそもティードルディーとティードルダムの二人を、この後教団本部で赤騎士に会わせてすらくれなかった。
「――ねぇ、そこのお兄さんたち」
 物陰に隠れていた彼らにかかる若い声。
「こんな夜中に何用です。良い子はさっさと帰る時間ですよ」
「ガキ、俺たちは忙しいんだ。あっち行けよ。でないと」
 そろそろ苛立ちが頂点に達し始めたティードルディーは無関係な少年に八つ当たり的に凄む。十六、七の高校生らしき相手の年齢が、今まで対峙していた奴らに近いと言うのも鬱陶しさを増大させていた。
「殺しちまうぞ」
 だが狂気のような月明かりを浴びた顔の見えない少年は、それを聞いてにっこりと笑った。

「ああ、それはちょうど良かった。僕もあなた方を殺したくて殺したくて仕方がなかったので。――相手が殺しにかかってくるなら、僕が術を振るっても正当防衛ですね」

「なんだと?!」
 相手の様子がおかしなことに気づき、二人は一気に警戒を強めた。だが遅い。彼の――ハンプティ・ダンプティの行動の方が早い。
「コードネーム“ティードルディー”及び“ティードルダム”」
「私を、ディーの、下風に置くな」
「言ってる場合か、ティードルダム」
 この期に及んでそこに拘る相棒に突っ込みながらも、ティードルディーは本能的な危機感を覚えていた。
 この相手はまずい。
 頭の隅で警告のアラートがひっきりなしに鳴り響いている。
「大丈夫、あなたたちの素性はまだ隠しておいてあげますよ。全てを殺すまで共通点に気づかれたくはないので」
 でも名前を記述する順番への抗議は、明日の新聞社へでもどうぞとハンプティ・ダンプティは語りかける。
 断末魔を上げる二人は、もうそれを聞くこともできなかった。彼らは死という、終わらない夜の中で悪夢を見続ける。
 白いカードが死体の上に落とされ、端から血に染まっていった。

 良い子はお家で夢を見ている真夜中。
 だからここには、悪い子しかいない。

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