Pinky Promise 069

第3章 歯車の狂うお茶会

12.終わらない六時 069

 ジグラード学院の研究室の一つ。
 フュンフ=ゲルトナーの部屋に集まり、アリスたちは顔を突き合わせていた。
「ゲルトナー先生も関係者だったんですね……」
 ギネカが複雑な顔をする。
 彼女が知らなかっただけで、不思議の国の住人の一人が、こんな近くで何食わぬ顔で日常を送っていたのだ。幼馴染にもどう言えばいいのか。
「ははは。僕をコードネームで呼ぶときは“庭師の5”と」
「庭師……白い薔薇にペンキで赤を塗っていたトランプ兵三人のうちの一人ですね」
「そうそう。さすがに女の子は『アリス』読んでるねー」
「先生が“庭師の5”なら、もしかして同じような立場で“庭師の2”と“庭師の7”もいたりするんですか?」
「お」
 ゲルトナーがぱしぱしと瞬きする。
「鋭いなぁ、ギネカ=マギラス君。その通りだよ」
「「そうなのか?!」」
 アリスとヴァイスの二人は、珍しく声を合わせて驚いた。
「アリスはともかく、ヴァイス先生まで驚くんですか?」
「聞いたこともないぞ。十年の付き合いになるのに」
 ゲルトナーは十年前、ヴァイスが今の教団の前身組織を壊滅寸前まで追い込んだ頃から協力していた。けれどゲルトナーの所属する“白の王国”に関して、ヴァイスはほとんど知らされていないらしい。
「ははははは。まぁ、二人ともたまにしか帝都に帰って来ないんだよね。うちのボス二人――“白の王国”の“白の王”様と、“クラブのエース”様が新しい指示を出したから、もうそろそろ“庭師の2”辺りは戻ってくると思うけど」
「クラブのエース……?」
 ゲルトナーの言葉が不意に脳裏で何かを掠めて、アリスは思わずその名を呟いた。
「どうかしたの? アリス」
「なんかその言葉、最近聞き覚えがあるような」
「え? 本当に?」
「ギネカは覚えないか?」
 ふわふわと漂う思考の手がかりに、ギネカもどうやら無関係ではない様子。尋ねてみるが、彼女には不思議な顔を返される。
「私? いや、全然聞き覚えないけど……」
「あれー?」
 当てが外れたアリスは舌を出す。思い出そうにも思い出せないそれが、どうにも記憶の隅に引っかかってもどかしい。
「なんだかここ数日で新しいコードネームが増えてきて頭がパンクしそうだ」
 そう思うのはアリスだけではないようで、ヴァイスやゲルトナーも頷いた。直接ティードルディーたちと顔を合わせたアリスたちはともかく、話を聞いただけのゲルトナーは実感が涌かないだろう。
「一度整理してみます?」
 ギネカがホワイトボードに近寄りペンを手に取る。そしてさらさらと、ここ数日で増えた情報を箇条書きで整理しながら書きだした。

○打倒教団
アリス アリスト=レーヌ
白騎士 ヴァイス=ルイツァーリ
チェシャ猫 シャトン=フェーレース

○白の王国
庭師の5 フュンフ=ゲルトナー
庭師の2
庭師の7
白の王
クラブのエース

○睡蓮教団
白兎
赤騎士
ティードルディー 死亡
ティードルダム 死亡

○殺人者
ハンプティ・ダンプティ

「……今、私たちにわかっているのはこれだけですね」
「……」
 死亡と殺人者の文字を見て、アリスたちは複雑な顔をする。
「ハンプティ・ダンプティか……厄介な相手が現れたものだね」
「ティードルダムとティードルディーが殺されたということは、この人も睡蓮教団への敵対者なんだよな」
「そうだけど、できれば近づかない方がいい」
「殺人犯に近づく趣味はないんだけど……」
 ティードルディーとティードルダムは、アリスたちにとって厄介な情報を握っていた敵だ。
 彼らの死がこうして大々的に報じられて、アリスたちは嫌な話だがほっとしている面もあるのだ。これでアリスとシャトンの情報は教団に流れないと。
 しかしティードルディーとティードルダムの二人は、何故ハンプティ・ダンプティに殺されたのだろうか。
 何故、ハンプティ・ダンプティは他の誰かではなくわざわざあの二人を狙ったのだろう?
 アリスたちとの戦闘で多少消耗していただろうとはいえ、彼らは決して弱くはない。 それどころか、二人揃えばヴァイスにも引けを取らないような凄腕の魔導士だった。
「……私たちがコードネームだけでは相手の陣営を判断できないように、向こうが陣営別のコードネームを気にしている保証はない。下手をすると教団関係者と誤解されて殺される可能性がある」
「!」
 ギネカは慎重に言った。
 教団の情報は欲しい。だが殺人鬼ハンプティ・ダンプティには、陽気な怪人マッドハッターのように気軽に近づくわけには行かないだろう。
「しかも、このティードルディーとティードルダムなる二人は、かなり凄腕の魔術師だったんだろう? それをあっさり殺す腕前だ。用心しておくに越したことはないよ」
 ゲルトナーも渋い顔をしている。
 アリスたちのように積極的な行動を起こさない彼は、常に教団の動向に気を配っているとはいえ平穏な生活の方が大事なのだ。なるべく無茶はしてほしくないと言う。
「でも、教団員を見分けているってことは、睡蓮教団の情報は一番持っている可能性が高いってことだよな?」
「アリス」
 しかしアリスは、警告を聞いてなお殺人鬼への興味を捨てきれなかった。
 一日でも早く元の姿に戻るためには、睡蓮教団に繋がる手がかりは何だって欲しい。
 ゲルトナーが口を開く。
「……創造の魔術師・辰砂が何故、いまだに人間扱いなのかわかるかい?」
「え……」
「彼は創造の女神の名を奪いその力を得た。だが彼と創造神の違いが一つだけある。辰砂は死者を蘇らせることはできないんだよ。人間には決して死者を取り戻すことはできない」
 死者を取り戻せないから辰砂は怒り、殺された仲間たちのために神々に反逆し復讐した。
 死者を取り戻せないから、もう決して蘇らないように人は人を殺すのだ。
 ゲームのリセットボタンを押すかの如く容易く蘇りが許されるのであれば、殺人も復讐も本当は必要ない。
「だから死ぬな。僕に言えるのはそれだけだ」
「……」
 ゲルトナーは自分の情を押し付けるようなことはしない。
 最後の決断は誰だって自分自身でするしかないのだ。
 だから一つの真実だけを口にする。
 死者は生き返らない。命は一つしかないということを。
「……わかった。無茶はしないよ」
「情報収集もこれまでより一層慎重にした方がいいわね。仲間内ならともかく、迂闊にコードネームの話をするのはやめましょう」
 ギネカが話をまとめだす。シャトンも頷き、口を添える。
「まぁ、とりあえずマッドハッターとの接触って言う大本の目的は果たしたじゃない」
「それもそうだな」
 睡蓮教団の介入に気をとられて、殺人鬼の存在に翻弄されたが、元々の目的はそれだった。
「ただ、そのマッドハッター相手にもいくつか不安が残るのよね」
「不安?」
「どうやら二人いるみたいなの」
「二人? ……え? 誰が?」
 シャトンは先日アリスとした話をもう一度この場で繰り返す。
 完全に初耳だというゲルトナーが大きく反応を見せる。
「へぇ……! それは知らなかったな!」
「お前にも知らないことがあるんだな、ゲルトナー」
「僕を何だと思っているんだい、ルイツァーリ」
「そんなに驚くことなんですか? ゲルトナー先生」
「そりゃ驚くさ。マッドハッターは世間的にも完全に同一人物扱いされているだろう? つまり、警察が十年前と今の怪盗を同一人物だと認定していることになる。それが別人となれば一大ニュースだよ」
 教団の敵対者マッドハッターに興味はあっても、怪盗に対するミーハーな興味はない面々はその手の感覚はわかりにくい。
「ってことは今のマッドハッターは先代の関係者だな。なんかいつ見ても異様に若々しいと思ったけど、本当に若者なのかもしれないな」
「そんなに若い奴が怪盗として世間を騒がせまくるかぁ」
 マッドハッターが若者と聞いてヴァイスは不信の顔つきになるが、そんな彼を一同は胡乱な眼差しで見つめる。
「高等部生時代に宗教犯罪団体と戦って壊滅寸前まで追い詰めた男が何を言う」
「ああ、そんな時代もあったな」
 ヴァイスのような学生がかつて存在したのなら、この時代にも一風や二風変わった学生がいてもおかしくはない。
「……天才ってどこにでもいるもんだな」
「やーねー、凡才の努力を嘲笑うように成果を挙げる連中って」
「いや、君らも世間的には充分過ぎる程優秀だからね?」
 アリスやギネカも世間的には充分天才の部類だ。大陸最大のジグラード学院でトップクラスの成績を誇っているのは伊達ではない。
「とにかく」
 ギネカがぱん、と手を合わせる。
「情報収集はこれまで以上に慎重になること。ハンプティ・ダンプティなる殺人犯を警戒すること。この二点ね」
 ただでさえアリスやシャトンは今子どもの姿になっていてできることが限られているのだ。無茶はしないに越したことはない。
「ところで、ダイナ先生対策は?」
 ギネカの問いに、アリスとヴァイスは思わず固まってしまった。
「……しまった、それがあったな」
 これもマッドハッターとハンプティ・ダンプティの話題で忘れていたが、ギネカの接触感応によりダイナがヴェルムの変装を見破りアリストの不在に疑問を抱いているという話があったのだ。
「……ゲルトナー、何とかならんか?」
「いやー、無理だねー」
 お手上げ、とゲルトナーはそのまま両手を上げる。
 ギネカがこれ見よがしに溜息をついた。彼女はなまじダイナの不審を接触感応で直接感じ取っているだけに、このままではまずいと危機感を抱いている。
「先生に限らないけど、そろそろアリストの不在を不審に思う人間は出てくるわよ。何か誤魔化す手段を考えなくちゃ」
 それを聞いて、シャトンが眉間に皺を寄せながらも切り出した。
「一つ、提案があるんだけど……」

PREV  |  作品目次  |  NEXT