Pinky Promise 070

第3章 歯車の狂うお茶会

12.終わらない六時 070

 ここしばらく忙しくてヴァイスの家にも行けなかったヴェルムは、ようやくできた暇をぬっていつものマンションへと向かっていた。
 彼が最近呼ばれていたのは、とある連続殺人の捜査本部である。
 ――ハンプティ・ダンプティ殺人事件。
 ついにその名がつけられた事件は、今回新たに二人の犠牲者を出したことで世間的にも一躍有名になった。
 そして世間的には名探偵であるヴェルムの負担も増大した。
 ニュースで大々的に報道されたことによって、事件の早期解決を願う声が高まったからだ。
 道を歩きながらも、ヴェルムの頭はその事件のことでいっぱいだった。
 この事件、これまで彼が手がけた数多の殺人事件と違っていまだ解決の糸口すら見つからないのだ。
 何より被害者たちに接点がなさすぎる。
 明らかな殺人。
 明らかな憎悪。
 だが、理由がわからない。彼らは何故殺された。まだ素性のよくわかっていない今回の被害者二人を除けば、それまでの被害者たちは誰も人から恨みを買うような人間ではなかったと、関係者たちは口を揃えて言う。
 だが無差別殺人とは思えない。ただの猟奇快楽殺人ではない。
 ヴェルムだけではない、他の刑事たちも同意見だった。この事件には何かある。
 毎回の現場から、あまりにも整えられた犯人の執念と言うべきものを感じるのだ。
 これは、ただ行きずりに殺しただけの事件ではない。
 誰でもいいと無差別に狙った殺しではない。
 殺人の快楽に酔った狂人の犯行ではない。
 己の力に自負を持つ傲慢な人間のゲームではない。
 では、犯人は一体何を思ってこんな事件を繰り返すのか。
 まるで職人の仕事だと、ある刑事は言った。
 犯人は殺人を楽しむでもなく、怒りで興奮して現場を必要以上に乱すでもなく、ただただ冷静に、まるでそれが義務であるかのように人を殺していく。
 だが血の通わない暗殺者の仕事と考えるには、その現場にはあまりにも犯人の憎悪が遺され過ぎていた。
 現場に残された『ハンプティ・ダンプティ』のカード。
 それは警察への挑戦だ、殺人を楽しんでいるのだとある捜査員の一人は言った。
 だがヴェルムは証拠品の一つだとそのカードを見せられた瞬間、真っ先にあるものを連想した。そう――。
『不思議の国の住人』
 “ハンプティ・ダンプティ”は、恐らくコードネームなのだ。隠す気などない。彼は初めから己の正体をずっと名乗り続けている。
 しかしこの殺人が教団の仕事とは思えない。ヴァイスから聞かされた過去の暗殺者のどれにも当てはまらない。第一教団がわざわざ自らの犯罪を世間にアピールなどするはずがない。
 だとすれば彼は、ハンプティ・ダンプティは――。
「とにかく、ヴァイスに相談だ。あいつなら十年前から教団に関わっている。俺の知らない情報を持っている可能性がある」
 今のところ警察の調査は被害者たちが教団関係者だとは辿りついていないが、恐らくは「そう」なのだ。
 人から恨みを買うような人ではない。そう口を揃えて評価される善男善女の被害者たちは、恐らくどこかで睡蓮教団の犯罪に関わっている。それさえわかれば事件解決の突破口になりうる。
 しかしヴェルムの心中は複雑だった。ここ数年、探偵として活動してきた自分よりも、ハンプティ・ダンプティはどうやら復讐者としての立場から教団の核心に迫っている。それがなんだか悔しいし、それが確かなら、ハンプティ・ダンプティも教団に何かを奪われた被害者と言うことになる。
 すでにハンプティ・ダンプティ連続殺人事件の被害者は昨日の二人で七名を数えている。
 犯人が成人であればまず間違いなく死刑は免れない。だがもしも、犯人自身が睡蓮教団の被害者だと言うのなら――。
(俺に、捕まえられるのか? この犯人を)
 睡蓮教団に両親を殺されて、犯人を捕まえる復讐のために探偵になった。そんな自分に。
 睡蓮教団を捕まえるために探偵になったのに、実際は睡蓮教団員を殺した復讐者を捕まえねばならない立場になっている。
 いや、待て、まだ決まったわけではない。
 犯人は教団も何も関係なくただ洒落でハンプティ・ダンプティの詩を使ったのかもしれないし、被害者たちは本当にただの一般人かもしれない。
 決めつけては駄目だ。推理に先入観は禁物。
 冷静な視点で物事を見極めるためにも、今は自分と教団の情報を共有し、警察の捜査員にはない目線で判断をしてくれる相手が必要だ。
 だからヴェルムは、白騎士ことヴァイス=ルイツァーリのマンションに向かっている。
 あそこならヴァイスも、アリスも、シャトンもいる。シャトンに聞けばこれまでの被害者たちが教団関係者かどうかも分かるかもしれない。
 だから――。
 夢中になって考え事をしていたヴェルムは道で人とぶつかった。
「きゃっ」
「あ、すみません……って」
 ぶつかった相手は知った顔だった。
「レーヌさん」
「探偵さん」
 アリストの姉、ジグラード学院の女教師ダイナ=レーヌだ。
「奇遇ですね。これからヴァイスのところに向かおうと思っているんですが……」
「あら。私はちょうど探偵さんのところに伺おうかと」
「へ?」
 そんな連絡を受けた覚えはない。大体彼女とは表向き探偵と依頼人、ヴァイスの存在を通した知人の知人であるだけで、連絡もなしに急に顔を出されて世間話をするような間柄でもない。
 にっこりと笑ったダイナは困惑するヴェルムの腕をがっしりと掴む。
 よし、これはまずいとヴェルムは頬に汗をかいた。女性がこのような笑顔をする時は例外なく面倒なことになるのだ。
「先月のあれについてお聞かせ願いたいんですの」
「あれ、とは?」
「あなたがジグラード学院に、うちの弟の変装をして現れた時のことです」
 バレとる。
 頑張って変装したにも関わらず、しっかりばれている。
「何か誤解されていませんか? いくらヴァイスの友人だからって、私はジグラード学院に足を踏み入れたことなど」
「そう仰ると思って私も証拠を色々と集めてまいりました。御覧になります?」
 アリスト=レーヌとあの時の偽アリスト、二人の写真をダイナに突きつけられる。
 それはヴェルムが幼馴染のエラフィに指摘されたほくろの話だ。
 あの時写真をとられたような覚えはないのだが、一体いつ撮ったのか。ダイナの手際の良さは異常である。確かアリスが以前「なんでも出来る人」だと言っていた気がするが、有能過ぎるだろう。
 もはやどちらが探偵でどちらが一般人なのかわからない。
「ほくろの位置がここと、あとここもですね。二カ所とも完全に一致するのはあなただけです」
「……ただの偶然です」
 言い逃れもそろそろ苦しくなってきた。だがここで認めてしまったら、アリスのことを誤魔化すことが難しくなる。
「……あなたが変装してアリストに成り代わったことがどうとか、責めているわけじゃないんです」
 ダイナは曇り空のような表情で、ヴェルムに必死に詰め寄った。
「ただ私は知りたいんです。アリストが、あの子が今どうしているのか! 危険な目に遭っていないか、不安な思いをしていないか!」
「……!」
 身内の安否を必死になって調べようとする女性に対し、これ以上嘘をつく必要があるのか。ヴェルムの心もぐらぐらと揺れてくる。
「あ、アリストは――」
 その時だった。
「姉さん!」
「え?」
 金髪の少年が、二人に駆け寄ってきた。