第3章 歯車の狂うお茶会
12.終わらない六時 071
「……アリスト?」
「そうだよ! 姉さん本当久しぶり!」
アリストは目の端に薄らと涙を浮かべ、姉へと抱きついた。姉弟はヴェルムそっちのけで話し合う。
「アリスト! 本物のアリストなのね?!」
「うん! 俺のどこが偽者に見えるってのさ!」
今まさに偽者の話をしていて、かつて偽者を演じたこともあるヴェルムはぽかんとしていた。
一体これはどういうことだ?
本物のアリスト=レーヌはかつてチェシャ猫が教団にいた頃開発した禁呪のせいで時を盗まれ、七歳の姿に巻き戻ってしまっている。
禁呪を解くには「盗まれた時間」そのものを取り戻す必要があるので、そんな簡単にアリストが十七歳の姿に戻れるはずがない。
じゃあ、今、ここにいるアリストは?
子どもの姿になる前のアリストと面識のないヴェルムには、今目の前にいるアリスト=レーヌが本人だと断定できる要素はなかった。
しかし姉のダイナは、このアリストこそ本物だとすでに確信しているようである。
そして涙目になりながらダイナに抱きつくアリストの様子は、確かに本物の行動に見える。
「……アリスト、それはそうと、あなた大丈夫なの?」
「あー、いや、それは」
「以前彼が……エールーカ探偵があなたの変装をして私やマルティウス君たち、あなたの友人の前に現れたのよ。あれは何だったの? あなたはそれを知ってるの?」
「……知ってます」
アリストは素直に頷いた。そしてちらりとヴェルムに目くばせする。
多分これは、本物のアリストだ。もしくはヴェルムが変装した時のように、アリストの事情を知る限りなく彼に近い人間だ。
「実はあれ、俺の頼みが曲解された結果で」
「曲解? 誰に」
「ヴァイスだよ」
なるほど、とりあえずヴァイスの責任にしておく展開か、とヴェルムは納得した。
「……ルイツァーリ先生?」
「そう。だからあいつの友人のヴェルムに頼んだって。いや、後で事情を聞いた時は俺もヴァイス何やってんの? って思ったけど」
その辺りは別に嘘をついてはいない。
ヴェルムの変装計画を持ちこんだのはヴァイスで、アリストには話を通していなかったらしい。いきなり目の前に本物の自分と同じ姿の人間が現れて、アリスト自身も困惑したという。
「でも……何故そんなことを?」
ダイナの疑問はいちいち尤もだ。
「実は俺、あの時はちょっとこっちに帰れる状態じゃなかったんだよ。でも姉さんとの別れ方がほら、如何にも不穏な感じだったろ? あれからすぐ行方不明とかになったら心配させちゃうかなーって」
「……本当に心配したわよ」
「ご、ごめんなさい」
その点に関して一切反論できないアリストは、ひたすら姉に対し謝るしかなかった。
「ヴァイスになんとか誤魔化してって頼んだらまぁ……こんなことに。だよな、ヴェルム」
「そんな感じです」
ヴェルムもアリストに合わせ、なんとも申し訳なさそうに頷いた。
――責任は全てヴァイスの奇人変人っぷりに押し付けよう。
――というか、この件に関してはマジでヴァイスのせいじゃね?
アイコンタクトで通じ合った少年たちは、見事に考えを一致させる。
「そう……ルイツァーリ先生の……確かに変わったこともやりかねない人だけれど」
ヴァイス、お前は彼女を口説くより先にまず真人間として信用を得るようにする方が先だ、とヴェルムは思った。
どう考えても苦しい言い訳にしか聞こえないのに、ダイナの中のヴァイス像は「そういうことをする人間」だと思われているのだから。
「帰れる状態じゃないって……今、どんなことしているの? アリスト」
「えっと、あの、それは」
「……申し訳ありません。依頼内容に関しては守秘義務があるので言えないんです」
「探偵さん?」
「私たちの間を繋ぐのはヴァイスです。実は私が前々から調べていた事件と、アリスト君の巻き込まれた窃盗事件が裏で繋がっていることが判明しまして」
「そうなの? アリスト」
「うん。凄く大雑把に言えばそうなる。俺は盗られたものを取り返したいし、ヴェルムはその犯人を捕まえたいってことで手を組んでるんだ」
「……」
ダイナはまだ裏を探るような表情をしていたが、ひとまずは納得したようだった。
「まだ、帰って来る気はないのね」
「……ごめん」
事件は終わっていない。否、むしろ始まったばかりなのだろう。
睡蓮教団。白の王国。怪人マッドハッター。そして、殺人鬼ハンプティ・ダンプティ……。
もつれ絡み合った全ての糸を解き、鏡の向こうの正しき時間を取り戻すまで悪夢から覚めることはできない。
「……いいわ。あなたが、しっかりと覚悟を持ってやっているのなら」
弟の強情な性格もその実力も知っている姉は、心配を押し込めて無茶を許容する。
「でも体には気を付けて、ちゃんと無事で帰って来るのよ」
「はい、姉さんもね」
「ええ」
もう一度抱擁を交わし、彼らは別れることになった。
「私への用がこれならば、もう出かける必要はないのでは?」
「あれは嘘。お忙しい探偵さんにたまたま行き合ったから揺さぶりをかけただけよ」
ヴェルムは絶句する。
「本当は友人と予定があるの。じゃあね。二人とも」
そして長い黒髪を翻し、ダイナは二人のもとから去っていった。
◆◆◆◆◆
「ふー、なんとかなったぁ」
「それで、お前は一体……」
ダイナの目がなくなったのなら今度はこちらの謎を解く番だと、ヴェルムはアリストへ目を向ける。
「アリスト、そろそろ時間よ」
「うおっ、やべっ!」
路地裏から小さな少女が覗いている。
「……シャトン?」
「イモムシ、あなたもこっちへ来て」
そして人気のないその場所へ引っ張り込まれた。
シャトンの他に、この前の遺跡事件の時にちらりと見たような顔の女子高生――ギネカもいる。
「ヴェルムに会ったのは誤算だったけどいいタイミングだったな。ずっと歩き続けだと話しかける機会を失っちまうし」
「……」
ヴェルムは目の前の少年をよく観察した。
これはヴァイスから聞いていたアリスト本人にしか見えない。だが今、彼は子どもの姿になってしまっているはず。
「そろそろね」
シャトンの合図と共に、アリストが胸元から小さな懐中時計を取り出す。
その時計の針は、通常ではなく逆回りで回っていることにヴェルムは気付いた。
「ワン、ツー、スリー」
シャトンが淡々とカウントすると、懐中時計から幾つもの魔法陣が現れてアリストを包み込んだ。
そして光がすっとアリストの体に飲みこまれて消える頃には、そこにいるのは見慣れた七歳の小さな子ども。
「……アリス?」
「よ!」
「こういうわけよ」
どんなわけだ。
ヴェルムは目をぱちくりと瞬かせた。
「先日睡蓮教団の幹部とやりあったのだけど、その時に相手が特殊な術を使っていたの」
「思考力を手助けして構成を補足するような結界でな、その中では自分が思い描いた姿になることも可能なんだって」
「……思い描いた姿?」
ヴェルムにはアリスやシャトンのような魔導の才はないが、その言葉と先程の現象で何が起きたかわかった気がした。
「つまり、その術の構成を解析して一時的にアリストの姿を取り戻したんだな」
「ピンポーン!」
アリスがVサインを見せる。久々に元の姿に戻れてテンションが上がっているようだ。
「結界の範囲と持続時間を極限まで絞ることによって、認識と言う殻で魔力を包んで実態が変化したように見せるのよ」
「すまん……そこまで行くともうわからん……」
聞くとシャトンこと“チェシャ猫”は、本来ティードルディーとティードルダムという二人の魔導士が行っていた術を一人で解析し再構築したのだという。
彼女はヴァイスをして本物の天才と言わしめる、物凄い魔導士なのだそうだ。
「ひとまずこれで、姉さんの不安はちょっと晴れたと思う」
「ヴァイス先生がアリストを殺して埋めたとか思われなくてすんだわね」
「どんだけ信用ないんだあの男」
やはりヴァイスはまずダイナの信用を勝ち取るところから始めた方がいいとヴェルムは思った。
「とりあえず、一時的にでも元の姿に戻れて良かったな、アリスト」
「ありがとな、ヴェルム。お前が時間稼ぎをしてくれたおかげもあるぜ」
「さっきは確かにひやひやしたよ」
事態は好転したが、和やかにしている場合ではない。
「ところで、話したいことがあるんだけど」
「ああ……俺もだ」
一行はハンプティ・ダンプティ対策の話をするために、ひとまずヴァイスの家へと向かうことにした。