Pinky Promise 075

第4章 いつか蝶になる夢

13.公爵夫人の教訓 075

「ヴェルム?」
「え? なんで?」
 年齢的には高校生だが、この学院的には部外者。食堂の入り口に姿を現したのはヴェルム=エールーカだった。
 背後にヴァイスもいて、何事か話している。ここからでもわかるくらい不穏な雰囲気だ。
「どうする? 下手なことは言えないが」
「状況説明だけ。アリスを抑えてくれ。あとは俺が――」
「馬鹿を言え。警察も動かせんのに、お前だけでは手が足りないだろうが」
 ギネカたち高等部生も、アリスたち小等部生も呆気にとられてそのやりとりを見守っていた。しかしアリスだけは、たまらず彼らに駆け寄った。
「おい、ヴェルム! 一体何があったんだよ!」
「アリス」
 子どもの振りも忘れて問い詰めるアリスに、ヴェルムは何とも言えない顔を向ける。
「話せないって言うなら、無理矢理ついて行くからな!」
「アリス、今はそれどころじゃ――」
「そんな台詞、自分の顔を鏡で見てから言うことね」
 シャトンが常よりもきつい口調で、ぴしゃりと告げる。
「酷い顔色よ」
 ヴェルムの様子からすれば、何か大変なことが起きたのは明らかだ。
 そして事態が決定的になったのは、テラスの言葉だった。
「僕たちは今、エラフィお姉さんが今日学校に来ていない、連絡もつかないって話をしてたんだ。エールーカ探偵は、何を知ってるの?」
「あ……」
 小さな子どもたち三人に囲まれて、帝都の切り札と呼ばれる探偵はついに言葉を失う。 いつもは証拠を詳らかにし悪事を発く側の彼が、彼に罪を見抜かれた犯人の如く。
「エラフィが……いや、やっぱり駄目だ」
「ヴェルム!」
「そういう条件なんだ。とにかく」
 悲壮な程の決意を込めた瞳で彼は言う。
「……俺が、絶対に何とかする。大丈夫だ」
「……」
 シリアスな雰囲気とは裏腹に、大丈夫ではなさそう、と誰もが思った。それこそ子どもたちさえ。
「じゃあ俺もついて行く」
「アリス!」
「話せないならついて行くって言っただろ。それにヴァイスは一緒みたいじゃないか。だったら俺が一緒でもいいだろ」
「なら私も行くわ」
「シャトン」
 名目上ヴァイス=ルイツァーリの預かり子となっている二人は、その立場を利用して当然のように同行を決めてしまった。彼らが本当にただの子どもなら、確かにこの状況で誰もいない家に帰すわけにも行かないのだが。
「わかった。説明は車の中でする。ヴァイス、出てくれ」
「ちょっと待ってくれよ! 俺たちには一切説明なしかよ!」
「エラフィさんに何があったんですか?! エールーカ探偵!」
 フートとムースが食い下がるが、ヴェルムは彼らにはほとんど説明もなしに踵を返す。
「ヴェルム!」
ギネカがすれ違う瞬間の彼の腕を無理矢理掴んで、一瞬だけ引き留めた。
「……! ……気を付けて。アリスたちもよ。慌てると危ないから、焦らず落ち着いて行動するのよ」
 手の触れたその瞬間だけ驚愕に目を瞠ったギネカは、すぐに表情を戻すと真剣な口調でそう言った。
「あ、ああ」
 強引な接触とその割にあっさりと解放された腕を取戻し、ヴェルムが戸惑った様子で頷く。
 追おうとするフートたちを、ギネカが引き留める。
「マギラス! お前、どうして――」
「待って、フート。今、説明するわ」
「ギネカには、何かわかったの?」
 ヴェイツェの真剣な瞳に、ギネカも同じだけの真摯さを込めて返す。
「ええ。陰でこっそりヴァイス先生がメールをくれたのよ」
 もちろんヴァイスはそんなことはしていない。情報を得たのは、ギネカの特殊技能――接触感応能力によるもの。けれど事情がわかったのは確かだ。ヴェルムのあの態度の意味も。
 放課後の食堂の席に座り直し、彼らは額を突き合わせて話を始める。
「落ち着いて聞いてね、みんな。エラフィは――」

 ◆◆◆◆◆

「「誘拐?!」」
 アリスとシャトンが愕然とした声を重ねる。
 ヴァイスの車の中、二人はようやくヴェルムからこの状況の説明を受けていた。
「ああ、そうだ。――俺の、せいだ」
「探偵に付き物の逆恨みってやつ? 有名人も大変ね」
 その台詞だけで事態の八割を読み取って、シャトンが鼻を鳴らす。
「エラフィがヴェルムの幼馴染だから? でも、なんで?」
 ヴェルムに恨みがあるなら本人を直接襲撃すればいいだけの話ではないかと、アリスは詳しい事情を聞きたがる。
「二年前の話だ。今でこそ華麗に事件を解決することに定評のある探偵にも、未熟な時代はあった」
「ヴァイス」
 運転席でハンドルを握るヴァイスが口を挟む。
「黙っていろ。お前が言いたくないなら私が話すまでだ。……ヴェルムが過去に担当した事件で、犯人が自殺したものがあるんだ。その犯人の関係者が今回、こいつに恨みを晴らすためにセルフを誘拐して悪趣味なゲームを仕掛けた。ちなみにこの会話も、ヴェルムの探偵事務所に送られてきた盗聴器付きの携帯電話により拾われている」
 うんざりした顔で溜息をつくヴァイスの視線は、バックミラー越しにヴェルムのジャケットのポケットに向けられている。そこに件の携帯を入れているということだろう。
「それでみんなに事情を話せなかったのね。この手の事件だと『警察や周囲には言わないように』ってのがセオリーですものね」
「そう言うことだ」
 ヴェルムは唇を噛む。彼の頭の中には今、色々な感情が渦巻いているに違いない。
 シャトンはそっと、彼の手に自分の小さな子どもの手を重ねた。焦る気持ちはわかるが、焦ってばかりでは事態は解決しない。探偵のヴェルムには言わずともわかっていることだろうが。
「ゲームってのは何だ?」
「……これだ」
 アリスの問いに、ヴェルムは懐から取り出した封筒――犯人から脅迫状と携帯電話と共に送られてきた郵便物の中から、二枚のカードを差し出した。
「……暗号?」
「元の手紙がこれね」
 アリスとシャトンは意味のよくわからない文章が書かれたカードにまず簡単に目を通した後、改めて脅迫状を読み始める。
 そしてすぐに顔を顰めた。
「……一枚は『爆弾を解除し、帝都の多くの民を救いたければ、この文章から始まる旅をして我がもとへ辿り着け』――すなわち犯人につながる道を示す暗号」
「もう一枚は『彼女を救いたければ、この文章から始まる旅をするがいい』……誘拐したエラフィの居所を示す暗号、ってヴェルムこれ……」
「ああ」
 いまだ顔色の悪いヴェルムが頷く。
「犯人の要求は、暗号を解いて自分の下に辿り着くか、エラフィを助けるかどちらかを選ばせるものだ」
 ヴェルムの身体は一つだ。どちらかの道しか選べない。しかし。
「俺がエラフィ救出を選んだ場合、帝都のある場所に仕掛けられた爆弾が爆発して、多くの犠牲者が出るらしい」
 二重の罠。
 二重の人質。
 もちろん、ヴェルムが帝都を救う道を選べば、エラフィは助からない。
「ちょちょちょ、どうすんだよこれ! だって、ヴェルムがどっちを選んでも」
「落ち着きなさい、アリス。あなたが慌てても何にもならないわ」
「シャトンは落ち着き過ぎ!」
 どちらか片方しか救えないなんて馬鹿げている。けれどヴェルムは、必ずどちらかを選ばなければならないのだ。
「落ち着きなさいよ。アリス」
 シャトンはあえてアリスの腕を強く掴み、真っ直ぐに目を見てこう言った。
「ここを出る前、ギネカさんにも言われたじゃない。“気を付けて”って。焦らず落ち着いて行動するようにって。ちゃんと思い出してよ」
「ちゃんと……」
 言われてアリスは、食堂を出る際のギネカの行動を思い返す。あの時彼女はヴェルムの 腕を――。
 腕を“掴んだ”。
「あ!」
 アリスの突然の大声に、ヴェルムがびくりと肩を揺らす。この状況でそんな声を上げる理由が、ヴェルムにはわからないからだ。
 けれどアリスたちは知っている。
 彼女が――ギネカ=マギラスが触れたものの記憶を読み取る接触感応能力者(サイコメトラー)であることを。
 まずはエラフィが攫われた現場での痕跡を検証しようと、ヴェルムのマンションから学院までの道筋を辿るために車は走る。
 ハンドルを握っているヴァイスも、シャトンの言葉に頷いた。
「なるほど、マギラスの言うとおり、落ち着かないと駄目だな」
 折しもアリスの携帯にギネカからの連絡が入ったところだ。
 電話ではなく、多機能携帯のアプリケーションの一つを利用した連絡ツールの方だった。グループ機能によって主な面子全員とリアルタイムで会話ができる。
 盗聴されている以上電話で直接話すことができないのは仕方ないが、これなら最低限の連絡はとれる。
 ギネカからのメッセージにはこう記されていた。
『探偵さんの心は決まった? 私たちはもちろん直接エラフィ救出に動くつもりよ。帝都の全てを救える探偵はヴェルム一人かもしれないけれど、エラフィの友人は私たち全員だもの』

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