第4章 いつか蝶になる夢
13.公爵夫人の教訓 076
「そんなの逆恨みじゃん!」
「って言うか、正直それエラフィ関係ないよね……?」
ギネカから先程のヴェルムの態度とエラフィのことについて事情を聞いた友人一同は、一斉に犯人に向けて非難の声を上げた。
「ヴァイス先生の言うところによると、ヴェルムは探偵として活動し始めてから、他の友人関係をほとんど絶っているらしいのよ。親しい知り合いは警察関係ばっかりだし……幼馴染の女の子ってことで、エラフィは格好の標的だったんでしょうね」
「そうだな。ジグラード学院の生徒とは言っても、セルフはマギラスと違って、襲撃を仕掛けてきた相手を白兵戦で返り討ちにできるような戦闘力はないし」
「ど、う、い、う、意味、よ!」
「いでっ!」
軽口を叩くフートの頬を、ギネカはこれでもかと抓る。
「しかし厄介なことになったね。エールーカ探偵がエラフィを助けようとすれば、帝都に仕掛けられた爆弾が作動してしまうなんて」
「ま、俺たちのやることは決まったけどな」
ヴェイツェの溜息に対しフートが口を開きかけるが、彼よりも早く別の方向からその言葉が飛び出す。
「エラフィお姉さんを助けに行く!」
「そうそう……って、あれー」
台詞をとられたフートだけでなく、高等部生全員が驚きの目で彼らを振り返った。
「って、君たちまで」
困惑するレントに、小等部生五人は口ぐちに言い返した。
「当然のことですよ!」
「エラフィ姉ちゃんが危ないんだろ!」
「私たちが助けに行かなきゃ!」
ローロが、ネスルが、カナールが、真っ直ぐな目で訴え。
「帝都の人を救えるのは探偵だけ、でもエラフィ=セルフの知り合いはここにいるみんな……」
フォリーがいつもの淡々とした口調ながら告げる。
「まぁ、最悪の場合でもこっちの道なら、僕らはエラフィお姉さん一人を助ければいいだけだからね。帝都の大勢の住民を救うなんて大業は、名探偵に任せとこうよ」
では暗号にとりかかろうか、とテラスの号令の下、子どもたちはギネカの書き写した暗号文に目を走らせた。
「おいおいおい、待てよお前ら。相手は女子高生攫って帝都に爆弾を仕掛ける凶悪犯だ! 危険なんだぞ!」
なんとか思いとどまらせようとするフートの言葉にも、子どもたちは動じるどころか勇気を鼓舞されるようだった。
「でも、今この瞬間もエラフィお姉さんはもっと危険な立場なんでしょ?」
「僕らが助けに行かなければ、誰が行くって言うんですか!」
迷うどころか、臆する様子の一つすらない。
「あなたたち」
「ギネカお姉さんも、私たちのこと反対するの?」
「いいえ。このこと、アリスに連絡するからちょっと待ってって言いたかっただけよ。暗号の解読はさっさと取り掛かる必要があるけれど、向こうとの連携も意識しましょう」
「ギネカさん!」
慌てるムースと顔を輝かせる子どもたち。小さな目が二つの暗号を真剣に見比べて、何とかその意味を解き明かそうとする。
二つの暗号はそれぞれ犯人の居場所とエラフィの監禁場所に繋がると言うが、どうやら関連性があるようだ。一方を解けばもう一方も解けるかもしれない。
「マギラス……」
「どっちにしろエラフィを放っておくわけには行かないわよ。暗号だけでも解ければ、ヴェルムが動くのも楽になるわ。資料集めだって解読の相談だって、盗聴器をつけられている向こうより、私たちと、そしてこの子たちの方が自由に動けるはず」
それに子どもなら、犯人の警戒心も働かないかもしれない。ギネカの説得に、ついに高等部の面々も折れた。
最悪の場合、危ないことはさせなければいいだけの話だ。決定的な現場に踏み込むのはフートたちがやればいい。
「……凄いね」
ヴェイツェが感嘆の声を漏らす。
「僕たちがエラフィ救出を決断できるのは、ヴァイス先生のおかげで魔導をかじっていて、少し腕が立つくらいの犯罪者相手なら負けない自信があるからだ。でも彼らは違う」
子どもたちには何もない。大人に勝てるような腕っぷしも権力も、いざとなった時に自分の身を守ってくれるような要素は何もないのだ。
それでも彼らは自分たちの大切な人間を助けるためなら、平気で危険に飛び込むことを決断する。
「僕たちも怖気づいてる場合じゃないよ」
「別に怖気づいてなんか」
「そうだね。自分のことなら怖くない。でも自分のせいで誰かを傷つけるのは怖い。さっきのエールーカ探偵と同じだ」
ヴェルムがどうしようもない二択を迫られたように、独りでは解決できないこともある。
「彼らの力を僕らも借りよう。僕らの力も、どこかの探偵さんに貸そう。それでいいじゃないか」
「……そうだな」
フートとヴェイツェも暗号解読に参加することにした。ギネカたち三人は、もう子どもたちの上から暗号文を覗きこんでいる。
◆◆◆◆◆
「ええ、ええ。そういうことですので、本日のお約束の件はまた後日改めて伺います。……申し訳ありませんでした」
「警察の知り合い?」
「ある殺人事件解決のために力を貸してくれって言われてたんだけど、今は警視庁に行くわけにはいかないから」
ヴェルムは父親の代からの知人、捜査一課のシャフナー=イスプラクトル警部に、本日の訪問に関して断りの電話を入れた。
犯人から持たされている携帯電話についている盗聴器に、あえてその旨を告げる念の入れようだ。こうしてきちんと連絡を入れておかないと、ヴェルムの訪問がないことを不審に思った警察が動き出してしまう。
ヴェルムとヴァイスがわざわざ学院の食堂に寄ってアリスには簡単に事情を説明しようと思ったのもそのためだった。事情を知る者がいなければ、エラフィと連絡がつかないことに気づいた友人一同が、警察に連絡してしまう可能性があるからだ。
当初の予定では、ヴェルムはアリスとシャトンにだけ事情を話し、彼らの傍にヴァイスもついてもらって、自分一人で事件解決のために動くつもりだった。
しかし年長の友人であるヴァイスは、それはあまりに危険すぎるとヴェルムの案に反対していた。彼の預かり子という立場であるアリスとシャトンに関しては、この際協力して動けばいいと。
自分のことに他者を巻き込んで傷つけたくないヴェルムと、探偵一人で危険なことをさせたくないヴァイスの意見が割れていたのが、食堂に入ってきた時の会話だ。結局アリスとシャトンは無力な子どもを装ってヴェルムについて行くことを決断し、残った友人一同には、ギネカの超能力を介して事情が伝わることになった。
接触感応能力で全ての事情を読み取ったギネカの下には、コピーを送るまでもなく脅迫状や暗号文の内容も届いているし、ヴェルムの思考も伝わっている。
勝手にヴェルムの心を読んだ形になるギネカだが、この件に関してアリスたちは全面的に彼女の味方に回る予定である。エラフィはあの場にいた全員の友人であるのに、一人で行動しようとしたヴェルムが悪いのだ、と。
「それよりも探偵さん、さっき、ヴァイス先生が二年前の事件と言ったわね」
普段事情を知る者たちの間ではヴァイスのことを“白騎士”と呼ぶシャトンだが、今回は人目ならぬ盗聴器の向こうを憚って、お子様モードでの呼び方を採用したらしい。
「良かったら話してくれない? 二年前に何があったのかを」
「……」
消えない過去が、免れぬ罪が。
二年の時を超えて、彼を追いかけてくる――。