Pinky Promise 077

第4章 いつか蝶になる夢

13.公爵夫人の教訓 077

 帝都警察、別名警視庁捜査一課。終話ボタンを押して電話を切ったものの、シャフナー=イスプラクトル警部は何かがおかしいと感じていた。
 今日のヴェルムの様子、何かが引っかかる。多忙な名探偵が依頼を受けて、約束をキャンセルすること自体はよくあるのだが――。
「……そうだ。今日は理由を言ってなかった」
 電話口でのヴェルムの淡々とした勢いに押されて確かめるのを忘れていたが、今日のヴェルムは、約束を反故にした理由を説明しなかったのだ。単に忘れたと言うよりも、あえて隠したいという様子で。
 他に依頼を受けただけならば、ヴェルムはそれを口にしたはずだ。ここ最近はハンプティ・ダンプティ事件という連続殺人事件解決のために警視庁の依頼を優先してくれてはいたのだが、どうしても断りきれぬ付き合いだってあるだろう。
 こちらも未成年を昼夜問わず借り出して事件解決に協力させている負い目からか、その辺りなかなか強く出られない。しかし、今回は――。
「……何か、あったんだろうか」
 刑事と探偵と言うだけでなく、知人の息子としても付き合いのある少年の身をイスプラクトルは案じる。
 彼の傍に自分たち警察だけではない、誰か他の味方がいてくれるといいのだが。物理的に危険なことをしろという意味ではなく、精神的にヴェルムを支えてくれる人間が。
「警部、例の事件に関してなんですが」
「すぐに行く」
 イスプラクトルもまた多忙な帝都警察の警部。部下に呼ばれて、すぐに自分の仕事へと戻らなければいけなくなった。

 ◆◆◆◆◆

 犯人からの連絡が入った。
「!」
 固唾を呑んで見守るアリスたちの視線を受けながら、ヴェルムは盗聴器付きの携帯を取り出し通話を開始する。
『二年ぶりだね、親愛なる地獄の名探偵殿』
「……お久しぶりです」
 電話の向こう、変声器を使ってはいるが、かろうじて男とわかる声が流れてくる。
 その人物に向けて、ヴェルムはいきなり本名で呼びかけた。
「あなたは『――』氏ですね」
『!』
 電話の向こうとこちら側で、それぞれ犯人とアリスたちが息を呑む。
『……どういうつもりだね?』
「あの事件で、俺を恨んでいる相手と言えばあなた以外にありえない」
『ははははは! そうか! お前にもわかっていたのか! わかっていて……!』
 犯人は些か芝居がかった調子で狂ったように笑うと、すぐに平静を取り戻して言った。
『……まぁ、いい。過去のことは取り戻せやしないんだ。ここで君に長々と恨み言を口にしたところで何になろう』
「え?」
 復讐のためにエラフィを攫って悪趣味なゲームを仕掛けてきた犯人とは思えない言葉に、アリスが思わず小さく声を上げる。
 しかしそれはアリスの考えた常識とは違う、ただの狂気の発露に過ぎなかった。
『私が彼女を取り戻せぬように、君にもあの少女を“過去”にしてもらおう。とても取り戻すことのできない過去に』
「なっ……!」
「……」
『もちろん帝都の民よりも、君の彼女を優先してもいい。その時は数え切れないほどの犠牲者たちが、君の探偵としての名声が不当であることを証明してくれるだろう』
 犯人の言い分を聞くヴェルムの表情は、感情を読み取ることもできない程に凍り付いている。
『どうだい? 君に相応しいゲームじゃないか? 私の愛しい彼女の命よりも、探偵として事件を解決することを選んだ、人でなしの君にはね』
「ちょっと待てよ! その理屈はおかしいだろ!」
「アリス、ちょっと黙って」
『……さっきからそのお嬢ちゃんたちは元気すぎるようだな。足手まといを引きつれて大丈夫かい? 探偵殿。こちらとしても余計な犠牲を増やしたくはないのだがね』
「どの口がそれをもがもが」
「アリス、落ち着きなさいってば」
 シャトンがアリスの口を両手で塞ぎ、強制的に会話から引きはがす。
『君の味方はその小さな友人だけと言う訳だ。それとも、警察の協力者として度々名のあがるルイツァーリ講師に泣きつくかね? どうせ君たち二人で何が出来る訳でもないだろうが』
「む」
 自分の事を言われて、ヴァイスが不愉快だと眉根を寄せる。
「……ヴァイスはただの運転手だ。彼に暗号を解く力はないし、子どもたちだって同じことだ」
『その通りだね。余計なおまけがついたとは言え、私のゲームの相手は君一人。ああ、もちろん私たちはいつでも君たちの行動を見張っているよ。ルイツァーリ講師が君の傍を離れて単身でもう一つの暗号を解くようなことがあれば、すぐに少女の居場所に置いた爆弾を爆破させてもらう。選べるのは帝都の民か君の大切な恋人か、どちらか一つだよ』
「エラフィは恋人なんかじゃない……と、あなたに言っても無駄なんでしょうね」
『それでも君の大切な人間に間違いはあるまい。君が彼女を選ばなかった場合、彼女には爆弾の置かれた部屋で、君に見捨てられる恐怖を散々に味わって死んでもらう』
「……」
『健闘を祈るよ、名探偵』
 そして電話は切れた。
「あーもう! なんだよあいつ!」
「アリス、うるさいわよ。犯人を刺激するような行動は慎んでよね」
 ようやくシャトンから口を解放されたアリスが悪態をつくと同時に、シャトンが窘める言葉をかけた。
 と、思うと彼女は、同時にアリスとヴェルムに自分の持っている多機能携帯と、タブレット端末の画面を見せてくる。

“このまま普通に会話を続けて。いい? 変な反応しちゃ駄目よ”

 アリスとヴェルムはハッと目を瞠り、その無言の驚きさえも隠すように、アリスは平静な声を絞り出した。
「……でもさー、腹立つじゃん。なんでエラフィお姉さんが、こんな目に遭わされなきゃなんないわけ?」
「探偵は大変なのよ。私たちが邪魔してしまったら、ヴェルムお兄さんは誰も助けられないわよ」
 声に出してこの状況で考え得る子どもらしい会話を続けながらも、アリスとシャトンは手元の携帯とタブレット端末に情報を映して筆談を進めていた。ヴェルムは自分の携帯を使うと疑われる可能性を考えて何も出さない。
 代わりに、この先のカモフラージュとなる台詞を発した。
「とにかく俺は、この暗号について考えてみるよ。目的地に着くまで二人は何をやってもいいけど、できるだけ静かにしててくれ」
「「はーい」」
 タブレット端末と携帯のタッチパネル画面上のキーボードを、大人のものよりも細く繊細な子どもの指が軽やかに踊って、音もなく言葉を綴る。
 シャトンは携帯とタブレットを的確に使い分けて、アリスと会話しながら必要な情報は随時学院のギネカたちの方へも流していた。
“お手柄よ、アリス。彼らは私たち小等部生の情報を持っていない。それに、複数犯のようね”
“どういうことだ”
“さっきのイモムシとの会話。あなたのことを女の子と間違えた。確かに今の子ども姿のあなたは女の子とよく間違えられるけど、ヴァイスの預かり子について書類関係を詳しく調べればわかることよね。いえ、そんなことをしなくても学院の生徒についてほんの少し聞くだけで”
“俺が男だとわかるはずってことか。相手は俺の声や外見しか知らないんだな? 詳しい事情は調べていない”
“それにこうも言っていたわ。「私たちはいつでも君たちの行動を見張っている」。「私たち」と言うことは、相手は複数犯よ。イモムシも気づいているでしょう?”
“ああ”
 自分の携帯が使えないヴェルムは、アリスの携帯を覗きこんで返答を打つ。その間にシャトンは同時進行でこの状況を自分の携帯からギネカたちに説明していた。アリスの携帯とシャトンのタブレットを使ってこの場での筆談を行い、学院の友人たちには、シャトンの携帯から情報を送ったり、アプリケーションでやりとりをすることになる。
“さっきイモムシが犯人と電話している間、私は私で色々不審な行動をとってみたのよ。泣きながら電話をかける真似をしたり。無言でね”
“?”
 怪訝な顔になるアリスと、すぐに意図を察するヴェルム。
“そうか。相手は盗聴器を仕掛けてはいるが、カメラは使っていない。こうして筆談しても問題ないと言う訳か”
 犯人が本当に逐一ヴェルムたちの行動を見張っていたなら、警察に通報するかのような行動をとったシャトンを見咎めるはず。それがないと言うことは、彼らは携帯に盗聴器を仕掛けただけで、全てを見ている訳ではないらしい。
 だから犯人たちの視界の死角を見つければ、こうして音もなくやりとりできるのだ。
“今は車の中だからいいけれど、それでも一応外では注意しましょう。特に犯人の暗号で呼び出されたような場所にはね”
「あー、お前ら、ちょっといいか。コンビニに寄るぞ」
「コンビニ?」
 無言で携帯を使った筆談を交わすアリスたちに、運転席からヴァイスが声をかけてくる。彼はそのままさっさと近くのコンビニの駐車場を見つけると、車を停めた。
 そして無言で彼らに自分の携帯を突きだした。アプリのメッセージにはこう書かれていた。
“私一人除け者にするんじゃない”
“ヴァイス、お前……”
 運転をしているので、会話に交じれなかったことが寂しかったらしい。