Pinky Promise 078

第4章 いつか蝶になる夢

13.公爵夫人の教訓 078

「コンビニで地図を買ってくる。私も帝都の全ての道を知っている訳でもないし、犯人の暗号を解くのにも必要だろう?」
「……そうだな、頼む。ついでに長期戦を見越して何か軽食も頼んだ」
「腹が減っては戦はできぬ! って言うもんね」
「そう言えば慌てて出て来たから、三時のおやつを食べそびれちゃったわ」
 ヴェルムのもとに送られた暗号文には時間指定があった。タイムリミットは真夜中であるし、どちらにしろ途中で休憩は必要になる。
 それに食事をとっているフリで音を立てれば、筆談の際の音を誤魔化すこともできる。このぐらいはアリスもシャトンも察せることで、あえて現金な子どもの体でおやつを所望した。いや、フリも何もアリスたちは本当に食う気満々だが。
 暗号の解読に、帝都の地図が必要になるのも本当だった。携帯の小さな画面に表示されるマップでは広範囲を見ることができないし情報も少ない。
 そんな訳でコンビニの駐車場に車を停めたヴァイスは、本当に買い物をするために一度降りる。シャトンもそれについて行った。
 特に打ち合わせたわけでもないが車中に残ったアリスとヴェルムは、それを何となく見送ってから口を開いた。ヴェルムの方から。
「……すまないな。こんなことに巻き込んで」
「別に気にしないでいいよ。エラフィ……お姉さんを助けたいのは、みんな一緒だもん」
 言葉遣いに普段よりは気をつけながら、アリスはヴェルムと会話する。口調は七歳の子どもを心がけても、実年齢はヴェルムと同じ十七歳の男として。
「一人で抱え込み過ぎないでよ、ヴェルムお兄さん。こっちも出来る限り協力するからね! みんなでエラフィお姉さんを助けよう!」
「……ああ」
 犯人がアリスたちをノーマークであれば他愛ない子どもの無根拠な励ましに過ぎないが、この台詞はアリスの正体やギネカたち学院組との連携を知っている者からすればまったく意味が異なる。
「これからどうするの?」
「まずは暗号の解読に取り掛かる。とは言っても冒頭部分しか記載されていないようだが……。俺が向かうなら、犯人を追って帝都の爆破を防ぐ方だろうな」
「エラフィお姉さんの方は……」
 ギネカたちに任せる。
 先程の連絡を受けて、アリスの方はそう決めていた。そしてヴェルムも、同じように決断したのだろう。
 真っ直ぐにアリスの目を見つめて告げる。
「犯人を捕まえて爆破を止めれば、エラフィも助けられるはずだ」
「そうだね!」
 楽観的過ぎる言葉で真意を包み隠し、アリスとヴェルムの二人は道化を演じる。
 彼らは不思議の国の住人。コードネームでお互いの正体を包み込み、真実を覆い隠すのには慣れている。
 それが辛くないなんて言わないけれど。
 突如、車中に響いた軽やかなコール音に、アリスはヴェルムの胸元を見た。
「電話……探偵の助手の方からだな」
「そんな人いたんだ」
「ああ。他の仕事の話かもしれない。――少しだけ電話に出るぞ。余計なことは言わない」
 盗聴器越しの犯人に念のため言い置き、ヴェルムは発信者を確かめ通話ボタンを押す。 素早い動作にアリスはその名前を見そびれた。
“公爵夫人”
「どうかしたか?」
『……あなたこそ、ちょっと様子がおかしくはない?』
 ジェナーはヴェルムの異変に早々に気づき、逆に尋ね返してくる。
「仕事の件でちょっとトラブルが発生しただけだ。手順を踏めば問題なく対処できるから大丈夫。でも今日一日は、連絡を控えてくれるとありがたい」
『……そう。気を付けてね。私にできることがあればいつでも言って』
「ああ」
 礼を言って電話を切ろうとしたヴェルムに、彼女は待ってと少しだけ追いすがった。
『忘れないでね、ヴェルム。この都の名はエメラルド。オズの作った街の美しさは全てぺてんかもしれないけれど、大切なものはいつも足下にあるのよ』
「……そうだな」
 ジェナーが好んでいる物語の教訓。偉大な魔法使いの正体はペテン師で、主人公たちの一行は望みのものを本当の意味でもらうことはできなかった。
 けれどそれを求めるための旅路で、結果的に彼らは仲間のため、自分の中にすでにあったそれらを上手く導き出すことができるようになったのだ。
 昨夜いつになく弱っている姿を見せてしまったヴェルムを、ジェナーはこんな形で少しでも励ましてくれようと言うのだろう。
「……ありがとう。待っててくれ。必ず帰るから」
『……本当に気を付けて』
 通話が終わると、黙ってそのやりとりを見守っていたアリスがきょとんと首を傾げている。
「今の人、本当にただの探偵の助手? エラフィと一緒にいる時より、よっぽど恋人相手みたいな態度じゃなかった?」
「そんな訳ないだろう。俺にとって女の知り合いは誰も彼も恋人なのか?」
「あ、やっぱり女の人なんだ。へぇー」
「アリス……」
 この緊迫した事態の最中に一体何の話をしているのだろう、自分たちは。
 ヴェルムがそう思ってげんなりし始めた頃、地図と食べ物を色々買い込んだヴァイスとシャトンがようやく車まで戻ってきた。

 ◆◆◆◆◆

 暗い部屋の中、男は盗聴器の向こうから流れてくる声を聴いている。
 相手に自分が常に監視されていることを伝えてプレッシャーをかけるための仕掛けだったのだが、その目論見は意外な相手に崩されてしまった。
 ヴェルム=エールーカ探偵の知人であるジグラード学院講師ヴァイス=ルイツァーリ。攫った少女とも面識のあるその男が探偵の捜査を手伝うところまでは予想通りだったが、余計なオマケがついて来てしまった。
 ルイツァーリ講師が預かっているという小さな子ども二人。この二人が事件に関する緊張感をことごとく木端微塵にしていくのだ。
 十にも満たない小学生二人。何ができるという訳でもないだろうが、好き勝手なことを雀のように吐き散らしていくのはとにかく不愉快だった。
「いや、これはこれでまた一興」
「ん?」
 せいぜい他愛ない子どもの慰めの言葉に希望を持ち、それを最後に打ち砕かれればいいのだ。その方が探偵の絶望はより深くなる。
「どうかしたのか?」
「いえ、向こうの戦力に余計なものが追加されたと言うだけですよ」
 同じ部屋に待機していた組織の協力者が、怪訝な顔で問いかけてきた。
「計画を成功させたいなら、そういうことは早く言うべきだと思うが?」
 そう言ってルーベル=リッター――コードネーム“赤騎士”は、男が用意したモニタを覗き込んだ。
「ん? ……この子どもたちは」
「白騎士が預かっているという子どもですよ。とはいえ、こんなオチビさんたちが増えたところで脅威にはなりませんけれどね」
「……そうだな」
 よく知った顔を二つ見つけて、赤騎士は気もなく頷いて後は黙り込む。その様子は画面の中の子どもたちよりも、それを大した脅威ではないと吐き捨てた男の愚かさこそを観察していた。
「あの探偵は大切な相手よりも、帝都の民を救う方を選んだか……。そうだ、貴様は所詮、自らの名声のために誰かの愛する人間を殺すことに躊躇のない冷血漢なんだ」
「……」
 男は二年前のある事件の復讐のために、睡蓮教団へと入信した。
 今回その時の探偵、ヴェルム=エールーカへの復讐のために計画を実行し、教団の方からも何人か人員が配置されている。
 彼らにとっても教団への復讐を望むエールーカ探偵は目障りであるし、その協力者である白騎士ことヴァイス=ルイツァーリはもっと目障りな存在だからだ。
 その二人をまとめて消せるなら、少しくらいはこの愚かな男の妄想に付き合ってやってもいい。そのためにハンプティ・ダンプティを追っていたはずの赤騎士まで、今回こちらに動員されてきた。
 いざとなれば、この男を切り捨てればそれで済む。
 しかしどうやら状況が変わったらしい。
 このまま無関係でいるとも思わなかったが、予想以上に真正面から、“彼”は事態に飛び込んで来た。
 それでこそ物語を動かす主人公――“アリス”だと、赤騎士はほくそ笑む。
「ま、今回の主役はアリスと言うより“ドロシー”なのだが」
 少女の冒険物語に縁のある少年は、この事件の鍵を握ることになるのかもしれない。