Pinky Promise 079

第4章 いつか蝶になる夢

14.小鹿の忘れた名前 079

「 親愛なる地獄の探偵よ 君の大切な人は預かった
 彼女を救いたければ、この文章から始まる旅をするがいい
 そしてあの人を喪った我が痛みを思い知れ

“ペテン師より脳と心臓と勇気を手に入れる旅路”
“都より気球を降りて南へ迎え”

 旅の続きは君がその場所に辿り着いた際にまた示されるだろう 」

 ギネカたち学院のエラフィ救出組は、食堂から図書室横のブラウジングルームへと移動した。ここならば暗号解読の資料となりそうな本をすぐに調べられるし、話をしていても怒られない。
 図書室そのものは、勉強をする学生たちや一般客に公開されているため、大声で話をすることは禁止されている。どこの学校でも当たり前のことだろうが。
 ヴェルムたちの方ではシャトンが機転を利かせたらしい。携帯とタブレットを駆使して筆談しながらこちらにも情報を流してくれるという。
 電話で直接話せない分まどろっこしいかもしれないが、データのやりとりはすぐにできる。
 ヴェルムはこちらを信じてくれたようだ。友人一同がエラフィを救出することを信じて、向こうは帝都のどこかに仕掛けられた爆弾を止めるため、犯人に至るルートを示す暗号へと着手する。
 学院の一同がエラフィを無事に救出できれば、誰も犠牲にしなくて済むのだ。
 まずは帝都の地図や名所の由来などを示した資料をそれぞれで持ち寄って、一行は暗号解読へと取り掛かる。
 ……その前に。
「ちょっと気になることがあるのよね」
「どんなことだ?」
 ギネカの台詞に、フートが反応する。
「犯人はエラフィのことをどうやって調べたのかしら。ヴェルムの周囲を隈なく調査したというには、アリスの性別すらわかっていないのよ? エラフィは最近ヴェルムが忙しくて会えてないって言ってたじゃない? ……どこで接点に気づいたのかしら」
 その気になれば個人の友人関係などいつでもすぐに調べられる。そうはいかないのがヴェルムの素性だ。
 睡蓮教団に探偵であった父と母を殺されたヴェルムは、自身が父の後を継ぎ、両親を殺した睡蓮教団の犯罪の影を追うことを決めた時に周囲との関係を一度全て絶っている。
 有名人と知り合いともなれば昔の友人などが自慢しそうなものだがそうもいかない。 ヴェルムの両親が殺された事件は世間に大々的に報道されたため、かつての知人友人の多くも巻き添えを恐れてヴェルムに関わらなくなった。
 残った個人的な縁はそれこそ幼馴染のエラフィと年上の友人ヴァイス、そして警察関係者くらいのもの。
 それでもエラフィとは、難しい事件を抱えている最中はほとんど会うことはなかったと言う。
「犯人側はアリス少年のことを男だと知らなかったんだよな? 結構杜撰な調査だ。けれど見張っているという言い方からは、エールーカ探偵の周囲の人間を見知っている素振りが窺える。つまり……」
 フートがここまでに点々と挙げられた情報から、考えられることをまとめていく。
「犯人は直接見ていたんだね。探偵さんのことも、その周囲の人間のことも」
 後を引き取ったテラスの言葉に、ブラウジングルームは一瞬、不気味な静けさに包まれる。
「ってことは、俺たちのこともかよ」
「ずっと監視されてたんですか?!」
「やだー」
「まぁまぁ、まだそれはわからないよ。それに犯人の注意はエラフィお姉さんに向けられていたんじゃないかな。明らかに親しさが違うからね」
 口ぐちに反応する子どもたちを同じ目線でテラスが宥める。そしてフォリーがこういった。
「百聞は一見にしかず……とも限らない」
「そうだね。僕らは一見ただの子どもだ。でも以前、遺跡探索で強盗団と出くわして対峙したりもしただろう。そう言う情報を知っていれば、向こうはもっと僕らを警戒しているはずだよ」
 すぐにテラスが言葉を添え、ギネカも頷く。
「シャトンが教えてくれたヴェルムと犯人のやりとりを見る限り、犯人側にその気配はなさそうよ」
「つまり」
 テラスは整った顔に不敵な笑みを浮かべる。
「相手が僕らを侮っている、今がチャンスってわけ」
「うん!」
「やってやろうじゃん!」
「そうですよ!」
 子どもたちが目を輝かせて頷き、天に拳を突き上げる。強盗団にだって怯まなかったカナールたちだ、今更誘拐犯で爆弾魔相手に臆するはずもない。
「テラス君……本当格好いい……」
 そんな子どもたちのまとめ役となっているテラスの勇姿に、フートがこんな場合にも関わらずうっとりと見惚れている。次の瞬間ムースに硬い表紙を持つ大判の地図で叩かれていたが。
「じゃあ早速暗号を……ごめん、ちょっと出てくる」
 ギネカの携帯に連絡が入った。ただし今まで通りアリスやシャトンからのメールではない。
「何よ、ネイヴ。今ちょっとこっち大変なの……え?」
 廊下に出て幼馴染との通話を始めたギネカは、そこでもたらされた意外な情報に思わず拳を握り込む。
「見たの?! 本当に?!」
「ギネカ?」
 思わぬ大声に中のレントたちが驚くが、ギネカは気にせずネイヴとの会話を優先する。
『ってわけで、俺は今その黒服連中を追ってる。お前の友達の居所は残念ながら撒かれちまったからな』
「いいわよ。エラフィの居場所はこっちで暗号を解いて見つけるから。でも黒服って……何かきな臭くなってきたわね」
『ああ、ただの誘拐事件じゃないかもしれない。下手をすれば……泥棒の出番かもな』
 一般人のネイヴ=ヴァリエートはともかく、怪盗ジャックの姿であれば多少の無茶ができる。
「気を付けて」
『今回はお前の方もな、ギネカ。表の顔では探偵さんとほとんど接点のない俺と違って、お前ははっきり面識があるんだから』
「わかってるわ。でも大丈夫よ。……今は独りじゃないもの」
『……そうだな。じゃ、また後で連絡する』
 ブラウジングルームに戻ったギネカは、早速ネイヴとのやりとりで得られた情報の中から、必要なものを友人たちに流す。
「黒服の男たち……って、それはまたデンジャラスな響きだこと」
「複数犯だとは聞いていたけど、もしかしたら最初に想定したものより更に敵の規模は大きいのかもね」
 エラフィを攫った具体的な相手を聞いて、フートは呆れ、ヴェイツェは表情を引き締める。
「エラフィ……大丈夫かな」
 レントが青褪めて不安を口にすると、カナールやローロ、ネスルたちも泣きそうに顔を歪めた。詳細を聞いて、一切心配になってしまったのだろう。
「それは多分大丈夫」
「テラス君?」
「シャトンに送ってもらった犯人との会話のログからすると、相手は紳士を装いながらもエールーカ探偵の精神を抉ることに異常に拘っている。ここで人質に短絡的に危害を加えることはないはずだ」
「て、テラスくん?」
 七歳児の口から飛び出してはいけない単語を聞いてしまったような気がして、高等部生たちはこぞって目を丸くする。
「犯人がエールーカ探偵に与えたい傷は、彼自身が大切な人を自ら傷つけること。つまり、エラフィ=セルフがヴェルム=エールーカを憎みながら死んでいくことが犯人の望み」
“彼女の苦しみを味わえ お前に見捨てられた彼女の苦しみを思い知るがいい”
「だから、爆弾なの? エラフィに全てを教えることで、『ヴェルムに見捨てられる』と、犯人ではなく探偵を恨むよう仕組むために」
「そうだよ。犯人側が人質に危害を加えれば、人質の憎しみは犯人に向く。それは犯人にとっても避けたいはず」
「嫌なやり方ね」
 顔を顰めるギネカに対し、ヴェイツェが静かに告げる。
「でも、上手く行けば無傷でエラフィを助け出せる」
「なるほど!」
 ヴェイツェのその言葉にレントや他の子どもたちも希望を取り戻した。
 彼らが早く暗号を解いてエラフィを助けに行けばいい。話が振り出しに戻ったようだが、要するにそれが全てにおいて最善の結果なのだ。
「もう迷ってる暇はありませんね。早く暗号を解読しましょう」
 ムースが改めて暗号文を机の中心に置く。

 ペテン師より脳と心臓と勇気を手に入れる旅路
 都より気球を降りて南へ迎え

 それを見て真っ先に気づいたのは、子どもたちだった。
「あれ? これって……」

 ◆◆◆◆◆

 エラフィは目を覚ました。
 しかし体が椅子に縛り付けられていて動けない。
 窓から見える景色は帝都を一望できるだろう。何故、いつの間にこんなところに――。
 考え始めてすぐ、自分の身に何が起きたのかを思い出した。道で出会った男に薬を嗅がされて気を失って……。
「……あれ? もしかして、私今、相当のピンチ?」
 彼女の隣にはこの事態の経緯を説明した文章を映し続ける無機質なモニタと、時計のセットされた爆弾が置かれていた。