Pinky Promise 084

第4章 いつか蝶になる夢

14.小鹿の忘れた名前 084

「その場所」で目を覚ましたエラフィは、一歩も動けないまま首だけを巡らせて周囲を確認した。
「どう見ても爆弾よね、あれ」
 帝都の景色を一望できるその場所で、しかしまず目立つのは、目の前に置かれた机の上に乗っているその物体だった。小さな時計が横に括りつけられている。
「で、この手紙か」
 そして爆弾の隣に、ご丁寧にもエラフィの位置から読みやすいように液晶のモニタに映し出された手紙が立てかけてある。
「ふむふむなになに……要するに、0時までにヴェルムが私を助けに来なかったらあれが爆発します、助けに来たら今度は帝都のどこかに仕掛けられた爆弾で大惨事が起きます……ってオイ」
 どちらを選んでもえげつない罠だ。いや、エラフィは自分が選ぶ立場なら容赦なく自分が助かる方を選ぶが。
 この場合道を選ぶのはヴェルムなので。
「まぁ、こっちには来ないわよね」
 幼馴染と帝都の多くの人間を天秤にかけるなど許されることではない。
「来るとしたら……」
 エラフィが救い手として思い浮かべたのは、学院の友人たちだ。
 探偵としてのヴェルムの協力者には、ヴァイスがいる。彼を通じてフートやギネカたちにこの状況が伝われば、きっと助けに来てくれるはず。
「他力本願な考えは嫌いだけど、これじゃ仕方ないし」
 椅子に座らされたまま、後ろ手に拘束されている。縄ならまだしも手錠なんて脱出しようがない。
 こんな時、物語に出てくるような囚われのヒロインならばヘアピンの一つも使って外す方法を試みるところだが、生憎エラフィは、そんな乙女チックなものは確認するまでもなく所持していないのだ。持っていたら持っていたで、どうせ取り上げられるだろうが。
 そしてこの拘束を外すことができたとしても、どこかで犯人やその仲間が見張っていたとしたら結局エラフィには自力での脱出は不可能だ。
 爆弾のことも忘れてはならない。ここで爆発するなら他の人間を巻き込むこともなさそうだが、だからと言って放置するわけにもいかないだろう。
 全ての問題を自分一人で解決できるような力はエラフィにはなかった。いや、彼女以外でも無理だろう。一人では。
 それでも思わず愚痴を零してしまう。
「私にもフートやアリストやギネカみたいな魔導の才能があればなぁ……」
 一年前、高等部に上がってヴァイスの魔導講座を受けると決めた時のことを思い返す。
 ――エラフィ=セルフ。私の魔導学を受講する前に、残念なお報せがある。……お前には、魔導の才がまったくない。全然ない。
 ――ぜ、全然っすか? じゃあ私は魔導を使えないってこと?! なんで!
 ――魔導は魂の資質であり、先天的にその才を有する者は限られている。更にその中でも特に優れた者と、訓練でなんとかなる者に分けられるが……お前の場合は、まず資質自体がない。魚が翼で空を飛びたいと願うようなものだと言えばわかるか?
 ――……ガーン。ねぇ、先生。
 ――なんだ。
 ――魔導の才ってどこで拾えますかね。
 ――……先生、お前のそういうところは嫌いじゃないぞ。しかし魔導の才は拾えない。
 ――さっき「先天的」と言う言葉を使いましたよね。「後天的」に獲得する方法がなければ、先天的という言葉は出ないと思うんすけど。
 ――鋭いな。その通り、ただの人間が魔導士になる方法はある。だがその方法は、死の淵から何かの切欠で蘇った者、俗に言うあの世を見てしまった者が、そちらの世界の力をほんの少しだけ持ち帰るというものだ。試せはしないし試したところで普通死ぬ。お前は自殺志願者ではないだろう?
 ――うーん。確かに私が魔導の力を得たい目的とは相反しますね……でも。
 ――何故それ程までに魔導の力を欲する? 興味本位で選んだ訳ではないようだが。
 ――自分の身は自分で守りたいだけです。ナイフからでも爆弾からでも。
 ――……お前は、ヴェルム=エールーカの幼馴染だったな。
 ――そうですよ。先生もあいつの知り合いですよね。
 ――ああ。セルフ、お前が力を得たいのは、ヴェルムのためか?
 ――そう言うんじゃないです。むしろ何かあった時にすぐ『自分のせいで……!』とか気に病むヴェルムの性格は正直鬱陶しいんですよね。
 ――同感だ。だがあいつはそういう奴だ。
 ――だからこそ余計周囲につけ込まれるんでしょうにね。まぁそんな訳で、私もあいつの傍にいて巻き添えで酷い目に遭うのは嫌なんで、自分の身は自分で守ろうと考えた次第であります。
 ――全く以って合理的だな。ふむ……そうなるとどうするか……。私自身も、お前のような性格と環境と性格の奴は身を守る術を持った方がいいとは思う。
 ――大事なことだからって性格について二度も言わなくていいです。……ところで先生、魔導の才は元々優れている人間と訓練して得る人間に分かれるそうですが、フートやアリストたちはどうなんです? それともこれは聞かない方が良い個人情報ですか?
 ――魔導の才は顔と同じように、見る者が見ればすぐにわかるただの個性だ。フート=マルティウスは先天的な魔導士、アリスト=レーヌとギネカ=マギラスは訓練によって魔導を使うことが可能な資質だ。才能の大きさで言えばマルティウスが一番で、この資質は魔導以外にも関わってくる。
 ――フートが天才なのはそれが理由ですか。
 ――理由の一つだな。本人の努力ももちろんある。ちなみにアリストとマギラスなら、アリストの方が才は上。他にヴェイツェ=アヴァールも先天的な魔導の才を有しているが、発現したのは最近のようだ。
 ――みんなそれぞれ状況が違うんですね。
 ――レント=ターイルは可能性がゼロでない分お前よりは才があるが、魔導士として身を立てられる程ではない。今から魔導を習得するつもりなら、苦労の割合はお前とさして変わらないだろう。
 ――じゃあ、私とレントはどうすればいいんです?
 ―― 一つ、提案がある。私の補助があれば魔導を使えるという、限定的な形になるが。
 ――それって学院の中でしか使えないってことでは? いざと言う時に使えない力なら、意味がないような……。
 ――意味ならばある。例えばお前が私から銃の撃ち方を習ったとして、それを理由に常に銃を持ち歩く訳ではないだろう? だが、銃の撃ち方を知っていれば、警察や軍人として生き易くなる。そう言うやり方だ。いざと言う時に出来ることがあるのとないのとでは大違いだぞ。
 ――む。
 ――それでも足りないと言うのなら……まぁ、その時は他の人間、お前の友人たちにでも助けてもらえ。その借りは他で返せ。どうせ人間一人じゃ何もできやしないんだ。
 ――そんな他力本願な。
 ――人生とはそういうものだ。頼れる人間がいない私が言うのだから間違いない。
 ――……せんせぇー……。
 ――やかましい。
 ――ところで、一つ聞き忘れてたんですけど。ヴァイス先生は、魔導の才がある人、ない人、どっちなんですか?
 ――私か。私は元々資質自体はあったものの、長らく発現しなかったものがあることを切欠に爆発した後天的獲得型だな。
 ――なんと。
 ――文字通り『死ぬ思いをした』。魔導の才が大きいのは決して幸せなことではない。大きな才を与えられたものは、それだけ大きな試練を天に与えられるということになるのかもしれない。お前の幼馴染がそうだろう?
 ――……。
 ――人の持つ力なんて、そんな大きなものでなくていいんだ。むしろ、小さな力で大きなものを動かすことこそ人の本懐だろう。

 ――蝶の羽ばたきで世界を動かせ。今はイモムシや蛹であっても、いつか必ず蝶になる。

「……今、この状況で、私にできることはない」
 エラフィは自分に言い聞かせる。ここで精神的、身体的に無駄に消耗したところでどうしようもない。悔しいが大人しく助けを待つしかないようだ。
「……その後で、絶対に、リベンジしてやるけどね!」
 助けが来ると言うこと自体は、彼女は信じて疑わない。それがヴェルムであることなど、端から期待していない。
 予定を崩されて吠え面かく犯人の様子が楽しみだと。エラフィは人の悪い顔で笑い、その時を待った。