Pinky Promise 090

第4章 いつか蝶になる夢

15.イモムシの決断 090

 今でこそ“帝都の切り札”と呼ばれる探偵ヴェルム=エールーカだが、彼にも半人前の時代はもちろんあった。
 幾つもの事件を解決に導いてきたのは確かだが、捜査の途中で徒労に人を動かしてしまった回数は一度や二度では済まない。それも父の昔からの友人である、シャフナー=イスプラクトル警部に頼み込んでまでだ。
 それでもそうした失敗の数々を積んだからこそ、今の自分があることも知っている。 ヴェルムはどちらかと言えば泥臭い探偵だ。大衆文学に好まれる創作上の名探偵のように、椅子に腰かけたまま推理だけで見事に何もかも言い当てて見せることなどできない。
 自分の足で現場を巡り、関係者の話を聞き、被害者の人生を追って追って、そうしてようやく真実の切れ端に必死でしがみ付いてなんとかその姿を目にしようと迷宮の闇から引きずり出す。
 その甲斐あって少しずつ探偵としての実績を積み上げ、今ではこの稼業を通じた知己や協力者なども得ることができた。
 しかし。
 忘れられない事件がある。
 それはヴェルムに、この先一生、探偵として生きることを強く決意させた事件。

 ◆◆◆◆◆

 “西の魔女を倒し『偉大な魔法使い』の名を唱えよ”

「西の魔女は確か」
「ドロシーがバケツの水をかけると溶けて消えてしまったの」
「……魔女ってこれじゃないんですか?」
 怪盗ジャックが手袋をはめた手で指し示したのは、目の前の噴水だった。
「あ、魔女だ」
「確かにこれは……魔女ね」
 これまで目にはしていても特に気にかけていなかった噴水の彫像なのだが、珍しいことに魔女の姿をしていた。
「……そんな安直な」
「でも俺たち結構順調に暗号解いてきたと思うのにもうこの時間だし、そろそろ最後に辿り着いてもいいと思うんだよな」
「どちらにしろ、水をかければはっきりするだろう」
 ヴァイスが魔導で噴水の水をまきあげて、周囲が濡れるのも構わずに彫像の上に降らせる。
「ぎゃー! 俺たちが避けてからにしろよ!」
「ほら、出て来たぞ」
「え?」
 水をかけた途端、噴水の彫像から光る文字が浮かび上がってきた。
「足元を見よ……噴水の足下か?」
「今回いちいち引っかけが多いわね。今までみたいに一つ解くために車に戻ってたら絶対二度手間になってたわ」
 上手くその失敗を避けて、噴水の足下に置かれたもう一つの小箱を見つけた。
「これもさっきの鍵で開くの?」
「いや……違うようだ」
「パスワード制。……もう答は一つしかないわよね」
 ヴェルムは頷き、“偉大な魔法使い”の名を入力した。
『OZ』
 カチリと小さな音がして、箱が開く。
「次の暗号か?」
「いや」
 その紙に書かれていたのは、もはや暗号ではない。
「直接的なメッセージだ。“罌粟畑にて待つ”」
「! 確かこの近くには、有名なポピー植物園があったはずよね」
「ああ。まずそこで間違いないだろう」
「いよいよ犯人との対決だな! ……って、あれ? 電話?」
 それもギネカからだ。これまで盗聴器を警戒して直接連絡を取ることは避けていた。先程の白兎の登場でもう盗聴器を気にする段階ではなくなったが、それでも向こうがその様子を知る由はない。
 と、思ったのだが。
「襲撃された?! 畜生、そっちもかよ!」
「襲撃?!」
『大丈夫。全員無事だったのよ。たまたま親切な人と知り合ってね』
「親切な人?」
 ギネカの説明によると、エイスたちの知り合いのトレジャーハンターが一行を助けて、おまけに暗号の隠された遺跡探索の手伝いまでしてくれたらしい。
『彼女たちはここまで来たら最後まで付き合ってくれるって言うんだけど、さすがに遠慮したわ』
「そりゃまぁ、そうだろう。最後の暗号は解けたのか?」
『ええ』
 エラフィ救出ルート最後の暗号は。
 “クワドリングの国にて『南の魔女』が待つ”
 と言うものらしい。この南の魔女が恐らくエラフィのことだろうと向こうは検討をつけたのだ。
 その推測で多分正しいだろうと、ヴェルムも補足する。
「こっちは暗号の後に謎解きじゃないただのメッセージが出てきた。最後の暗号で『偉大な魔法使い』ことオズの存在を示したからには、彼は自分をオズ、エラフィを『南の魔女』グリンダになぞらえているんだと思う」
『そのようね』
「この“クワドリングの国”ってのは?」
『そっちの暗号の最初が“大王の都”としてエメラルドタワーのことを示していたでしょ? なら、南の良い魔女グリンダが治める赤色の国は一つ』
「そうか! ルビーツリーだな!」
 帝都のもう一つの象徴、赤い電波塔ルビーツリーのことだと言う。
『そっちはどうなってるの?』
「実は……」
 アリスたちはこちらも睡蓮教団の妨害を受けたこと、そして怪盗ジャックの協力を取り付けたことを話す。
『……ジャック? 怪盗ジャックがそこにいるの?』
「ああ、信じられないだろうけど、本当なんだ。……ギネカ?」
 電話の向こうの友人の様子がどこかおかしい気がする。
『いえ、なんでもないわ。そう、それは強力な手駒を手に入れたわね』
「手駒って……」
『事実でしょ。ならいっそ、戦力配分を見直さない? そっちは犯人をブッ飛ばすだけで済むでしょうけど、こっちはできればもう少し人手が欲しいわ』
 アリスたちはお互いに顔を見合わせた。真っ先にヴェルムとジャックが告げる。
「俺は当然、あの人を止めるためにこのまま行くよ。エラフィのことは、信じていいんだろう?」
『ええ、もちろん』
「私は他の皆様の信頼を得ているような立場ではありませんので、急に向こうに参加しても戸惑わせてしまうだけでしょう。こちらで探偵殿と一緒に犯人の確保に御協力しますよ」
 電話の向こうから『えー、怪盗ジャックに会ってみたかったのにー!』という主に子どもたちの愚痴が流れて来るが聞こえなかったことにしよう。
「私もこっちだな。何かあった時魔導を使える人間がいた方がいいだろう」
 ヴァイスはヴェルムのフォローをすることに決めた。彼にとっては年下の友人と教え子を秤にかけることになり、どちらをとっても苦渋の選択だ。
「……だから、アリス」
「わかった、俺は向こうと合流するよ」
「なら私も向こうに」
「シャトン?」
「……この姿で教団の幹部と顔を合わせたくないし、妥当なところでしょ?」
「そっか。魔導関係はお前がいてくれたら心強いな」
 ギネカたちの方は先程襲撃を受けた時も、守るべき人数に比して戦える人間が少なすぎて苦労したらしい。今は非力な子ども姿のアリスとシャトンでも、いないよりはマシなはずだ。何かあった時に誤魔化してくれるギネカもいる。
『でも、そっちがさすがに三人じゃ厳しいかしら』
 戦力追加を希望したものの、アリスとシャトン二人が抜けるとなると、何かあった時に手が回らなくなるかもしれない。
「なら、僕が参加させてもらおうかな」
「は? ……ゲルトナー先生?!」
「よ、皆さんお揃いで」
「来たのか、お前」
 神出鬼没にも程がある突然のフュンフ=ゲルトナーの登場に、ヴァイス以外の全員が度肝を抜かれた。
「なんであんたがここに?!」
「そりゃ知人から連絡をもらって」
「知人?」
「マギラスさんたちが会ったんだって? 魔王様たちに」
「魔王様?」
「……おっと。ごめん、そこは聞かなかったことにして。とにかく、フリーゲとペタルダの二人は知り合いなんだよ。あの二人がジグラード学院の生徒のことならって、僕に連絡をくれてね」
 電話の向こうが騒然としている。
『ちょ、あの二人何者……!』
『と言うかエイスたちといい、トレジャーハンターって一体何なの……?』
「はっはっは。魔導士に不可能はないの」
 あらゆる疑問をさらりと受け流し、ゲルトナーは参戦を表明する。
「魔導の権威ことルイツァーリ先生に僕が加われば戦力は充分だろう。今ならそこの怪盗君も手伝ってくれるらしいしね」
「あなたは、まさか……」
 ジャックはゲルトナーと出会って何かに気づいた様子。しかしウィンクを一つ返されて、それ以上の言葉を封じてしまう。
「……ええ。御協力いたしますよ」
「ならこっちの戦力は充分だろう。だからアリス=アンファントリー、シャトン=フェーレース、君たちは心置きなく、セルフさんを助けに行っておいで」
「……はい、先生!」
 本当は最初から、その言葉を待っていた。
 ヴェルムを手伝って帝都の民を救うのも大事だが、アリスたちがずっと助けたかったのは攫われたエラフィであり、二つの選択肢の間で彷徨うヴェルム自身なのだ。
「上手く話がまとまったな」
 もう少しで深夜になる。日付が変わるまでに、双方の約束の場所へと向かわなければ。
 シャトンがヴェルムに語りかける。
「さぁ、行きましょう、臆病なライオンさん? それとも全ての謎を解く時間の足りなかったあなたは脳のないかかし? 人でなしと呼ばれた、心臓のない木こりかしら?」
「向こうは俺をドロシーにしたかったんだろうが、そうだな……俺は臆病なライオンで脳のないかかしで心臓のない木こりだ。主人公になんかなれやしない」
 偉大な魔法使いを名乗りながら実態はペテン師であるオズは、ドロシーを家に帰すことができなかった。南の良い魔女グリンダは、ドロシーを元のカンザスへ送り返すことができた。
 物語と暗号の意味を照らし合わせるならば、犯人を追って帝都の民を救う道を選んだヴェルムを、犯人は生かして帰す気がないのだ。
 けれど、それがわかっていてもヴェルムはここで退くわけには行かない。
 そして。
「いいのよ。偉大なる魔法使いを名乗っていたオズの実態はペテン師。それでも彼らは必要なものを手に入れた。知恵と心と勇気を、共に旅する仲間のために」
 オズがペテン師であればこそ、ドロシーの仲間たちが手に入れたものは、オズに与えられたものではないということに気づけるのだろう。
「それは最初から彼らの中に存在したのかもしれないけれど、きっとドロシーと一緒に旅をしなければ気づくこともできなかったもの」
 長い旅をした。その旅の途中で大切なことに気づけるなら、それで良かったのだ。
 ……あの時も、そう伝えられれば良かったのに。
「だから、行きましょう」
 シャトンに背を押され、ヴェルムは二人とここで一旦別れる。
 本当は人は皆、かかしで木こりでライオンでドロシーなのかもしれない。誰もが自分のいるべき場所に帰りたがっているけれど、自分の力で旅をしなければ、最初から手に入れていた銀の靴に気づけない。
「シャトン、君はどうして『オズの魔法使い』がそんなに好きなんだ?」
「私の大事な人が……姉とも慕う“公爵夫人”が好んでいた物語だからよ」
 ヴェルムは驚きに目を瞠った。
 ――大切なものはいつも足下にあるのよ。
 事件の始まりに、ジェナーがくれた言葉を思い返す。
 だが今はこれに関して話している時間はない。
 このことについて、二人の女性にきちんと伝えるためにも、早く事件を終わらせて家に帰らねば。
 ヴェルムにとっての家。今は“公爵夫人”ことジェナーが待つあの家に。
 そろそろ出発しようと、怪盗ジャックが演技がかった仕草で促す。
「――さぁ、会いに行きましょう。偉大なる魔法使いを名乗る、不遜な詐欺師に」