Pinky Promise 091

第4章 いつか蝶になる夢

16.さなぎの見る夢 091

 “罌粟畑にて待つ”

 昼間は綺麗な植物園も、夜は只管不気味でしかない。
 帝都に仕掛けられた爆弾が爆発するまであと三十分と言うところで、ヴェルムたちは支度を終え、犯人が待つポピー植物園に辿り着いた。
 整備された花壇に生える、夜闇で色の分からない草花と、遠く見える硝子張りの巨大な温室。
 ヴェルムたちは温室の中心部へと向かう。
 探偵と共に行動しているのはヴァイスだけで、怪盗ジャックとゲルトナーは、姿を隠して二人の支援を行うことになった。もちろん大々的な戦闘になる時はこの二人も介入することになるので、つかず離れずの距離を保っている。
 そしてアリスとシャトンの二人は、無事にエラフィ救出班と合流した。
 エラフィのことは、彼らがきっと助け出す。だから今ヴェルムがやるべきことは、この事件の犯人を捕まえて、帝都の民を脅かす爆弾を止めさせることだ。
 温室の中央、開けた休憩スペースで一人の男がベンチに座って彼らを待っていた。
「お久しぶりですね、エールーカ探偵。名探偵のあなたともあろう者が、私程度の者が仕込んだ暗号に意外と手間取ったのではありませんか?」
 仕立ての良いスーツを着込んだ青年。年齢は二十代の後半から三十代の前半と言ったところか、如何にも名家や大企業の御曹司と言った風情である。
 一見して人の良さそうな表情を浮かべているが、その眼はよくよく見れば、探偵への憎しみに暗く燃えている。
「『――』さん」
 ヴェルムは彼の名を呼んだ。
「なかなか手の込んだ暗号でしたよ。『オズの魔法使い』への愛着を感じさせる」
「あの物語は、彼女が好きだったのですよ。この帝都は物語にちなんでいる。だから物語縁の名所がいくつもあると私に教えてくれたのです」
「……なるほど」
 ヴェルムは「銀の靴」で売られていたシルバーアクセサリーを思い出す。
「その様子ですと、あなたも気づいていたようですね、探偵殿」
「あなたは、彼女との思い出を、殺人の道具にしたのですか?」
「何、探偵殿に思い知ってもらいたかっただけですよ。あの人を喪った私の絶望がどれほど深いかを」
 ヴェルムが暗号を解けないのであれば、彼女の愛した世界にまったく興味がないのであれば、その時はさっさと建物を爆破していただけだと男は言う。
 探偵と犯人のじれったいやりとりに、ヴァイスがとうとう痺れを切らして口を挟んだ。
「くだらない話はやめて、早く本題に入れ貴様ら。おい、そこのお前! 帝都の爆弾を止めて、エラフィ=セルフを返せ!」
 ヴァイスにとっては二年前に死んだ女のことより、今危険な目に遭わされている自分の生徒の方が大切だ。
「これはこれはヴァイス=ルイツァーリ講師。睡蓮教団最大の敵と目されるあなたまで、こんな茶番にお付き合いくださるとはね」
「茶番だとわかっているなら、さっさと人質を解放するんだな。お前のような教団の下っ端、わざわざ捕らえる価値もない。帝都の民とセルフを今すぐ解放するのであれば、ここで勘弁してやるぞ」
「……赤騎士たちの言うとおり、随分傲慢な方のようですね」
「あいつらは自分を棚に上げて一体私についてどんな話をしてるんだ」
「くだらない話はやめて本題に入ろう、ヴァイス」
 ヴェルムは犯人に向き直る。
「『――』さん、もうこんなことはやめましょう。俺への復讐で、他人を傷つけて何になります。帝都の民を解放してください」
「あなたはこの状況で、やはり恋人より顔も知らぬ一般市民を選ぶのですか」
 ヴェルムの当然の要求に、しかし犯人は憎悪と軽蔑の眼差しを向ける。
「エールーカ探偵、あなたは大勢を救うことで得られる自分の名声が大事なだけでしょう」
「……」
「そうやってあなたは、あの時も彼女を見殺しにした。いや、あなたこそが彼女を殺したんだ! この残酷な世界に傷つけられた彼女の不幸について、斟酌することもなく!」
 では彼は、ヴェルムが帝都の多くの民の死傷させてエラフィだけを選べば満足だとでも言うのか?
 そうしてヴェルムも、彼らを殺す男でさえ顔も名も知らないような無関係な他人だって、きっとみんな誰かにとって大切な、かけがえのない人間であろうに。
「これは復讐ですよ、人殺しの探偵」
「……それならば、あなたは俺を殺しに来れば良かったじゃないか」
 この事件の始まりから考えていたことをヴェルムは口にする。
 復讐なら、直接自分のもとへ来れば良かったのだ。そうすればいくらだって真正面から受けて立った。どんな非難も受け止めた。
「俺とは無関係な、罪のない人間を大勢を巻き込むこのやり口が、あなたの正義だとでも」
 今、この男の言葉は例えどんな名文句を口にしたとしてもヴェルムにとっては上滑りするだけだ。
「あの少女にも帝都の民にも本当に可哀想なことだ。だがあなたが悪いのですよ。あなたが名声に執着して人命を軽んじるような非情な欲深い人間でなければ、私がこのような計画を実行する必要もなかった」
 彼の動作は一々芝居でも演じるかのように大袈裟に演技がかっている。
言われている当の本人よりも、隣で聞いているヴァイスの方が犯人の身勝手な言い様に苛立ちを覚えてきた。
「……ヴェルム、傍で聞いてる私の方がキレそうなんだが」
「落ち着け。今は一秒でも早くあの人に帝都の爆弾を止めさせないと」
 ヴェルムはヴァイスを制し、一歩前へと踏み出す。生き物のような影が蠢く暗い植物園。硝子の天井から、月明かりだけが青白く差し込んでいた。
「俺は確かにあなたの言うとおり、残酷なのかもしれません。だが、この通り、約束は守った。暗号を解き、あなたの下までやってきた。帝都に仕掛けた爆弾を止めてください」
「恋人を見捨てると?」
「エラフィは恋人じゃない。……仕方ないでしょう。たった一人の少女の命と、この街の大勢の人間の命とを秤にかけることはできません」
 月明かりの下で表情を変えずに宣言するヴェルムは、顔立ちが整っているだけにまるで心のない人形のようにも見える。
 一方その発言を聞いた犯人は表情を消したヴェルムとは対照的に、酷く嬉しそうな、勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。人とはこれ程までに醜悪な笑顔を浮かべられるのだろうかと言う顔だった。
「今の言葉は、少女の方へも送らせてもらいましたよ」
「……」
 そう言うからには、エラフィの方にもこの場面を見るための仕掛けが何か施されているということだろうか。
「彼女はさぞかし、嘆き悲しみ絶望したことでしょうね。可哀想に」
「……」
「まぁ、いいでしょう。私はあなたが自分の女さえ犠牲にしたことを世間に公表するまでです。あなたには悪名が付きまとい探偵としての評価は地に堕ちる」
「……爆弾の解除は?」
「今、行って差し上げましょう」
 男は小さなリモコンのような装置を懐から取り出す。
「……」
 ヴェルムたちはそれを、瞬きもせずに見守った。男の指がリモコンの上を滑る。ヴェルムもそっと、懐に手を入れて携帯のボタンを押した。
「……これで完了ですよ。帝都に仕掛けた爆弾一つ、このスイッチで解除されました。あとは……」
 爆弾のスイッチを懐にしまい直すと、男はその手で今度は拳銃を取り出した。
「あなたに死んでもらうだけです」
 やはりここまで行ったからには、男にはヴェルムを生かして帰す気はなさそうだ。
「ああ、もちろんお隣の彼にもね」
「人の生死をついでのように言うな。誰が貴様なんぞに殺されるものか――出合え!」
 ヴァイスの掛け声一つで、今まで隠れ潜んでいた怪盗ジャックとゲルトナーが飛び込んでくる。
 二人はそれぞれ地味な服装に着替えてマスクやサングラスで顔を隠していた。ここで教団に探偵と怪盗が繋がっていると認識されたり、ゲルトナーの存在に辿り着かれるとまずいからだ。
「くっ、卑怯な……! 協力者を募るなど!」
「お前さっきから人の事言えないだろうが!」
 そう言う男は男で、睡蓮教団の人員を呼び寄せはじめる。
 ヴェルムだけならまだしも、一流の魔導士である“白騎士”ことヴァイス=ルイツァーリを殺害するのは男には不可能だ。どうせこんなことだろうと、彼らもそう思っていた。
 相手の数は十人以上、こちらは四人とはいえ、一人一人の実力が違い過ぎる。勝負は呆気なくついた。
「くっ……!」
「観念して警察に出頭してください」
「しなくても叩き込むがな」
 男を抑えこんだヴァイスが冷たく告げる。
「ふん……力に訴えたとしても、あなたが自分の欲のために恋人を見殺しにした事実は消えないぞ、探偵」
 その時、男の懐で電話が鳴った。
「……なんだ?」
「出てみたらどうだ?」
 連絡内容に察しのついているヴァイスが促す。
「何?! 失敗しただと?! そんなバカな……!」
 取り乱す男を見下ろすヴェルム側には、シャトンから計画成功の電話が入ったところだった。
 それを聞いて、ようやくヴェルムは安堵の息を吐く。
「俺には、友人と帝都の民を天秤にかけることなどできない。……両方とも助けたい」
 エラフィ=セルフは無事に救出されたのだ。

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