Pinky Promise 096

第4章 いつか蝶になる夢

16.さなぎの見る夢 096

 ようやくの再会を果たしたシャトンとジェナーを二人きりにさせてやるために、アリスとヴェルムはホテルの屋上へと上がった。
「今回は本当に迷惑をかけてすまない、アリス」
「それはもう言うなって。あの食事会でチャラのはずだろ」
「でもお前は、レーヌ教諭の怪我を気にしてるだろ?」
 超高層ビルの屋上から一望できる帝都の夜景を眺めながら、ヴェルムはアリスに言った。
「だから、ごめんな」
「違うよ、ヴェルム」
 アリスは、その言葉を否定する。エラフィに気遣われた時と同じ、けれど少し違う決意で。
「俺が悔しいのは、今の自分のこの姿だ。俺が白兎に後れを取って時間を盗まれたせいで、一番大事な時に役に立てなかったって」
 髪型はずっと変えていないから、ビルの屋上で感じる強い風になびく金髪は今も昔も同じ。けれどこの景色を見る視線の高さは、全く違う。
「でもある人が言うには、そんなの関係ないんだって。“一人で何もかも出来る訳ない”“って。だから、自分にできないことを誰かにやってもらう代わりに、誰かができないことを自分がやるんだって」
 エラフィは実際にそうした。
 白兵戦の能力や魔導の才自体は優れたもののない彼女は、代わりにヴァイスの補助を受けての魔導狙撃を学んだ。今回の事件は彼女の狙撃能力がなければ、あそこまで被害を減らすことができなかっただろう。
 同じように狙撃能力を有するレントやヴェイツェ、接触感応能力をフル活用したギネカ、肉弾戦担当のフートやその補佐役のムース。エラフィの友人たちは、高等部から小等部まで全力を挙げて彼女を助けに行った。
 一人では成しえないことも、周囲の協力があればこそ実現できる。けれどそれには、そのための日頃からの努力も何より必要なのだ。
「ヴェルム。お前はどうして、そんなにも周囲を遠ざける。人を傷つけることを恐れて、差しのべられた手さえ振り払って」
 アリスは真っ直ぐにヴェルムを見つめた。
 元のアリストとヴェルムは同じ金髪で比較的似たような顔立ちなのだが、瞳の色がはっきりと青と緑で違うために普段は変装でもしなければ間違えられることはない。
「……俺は」
 そしてヴェルムは、ようやく本心を吐露する。二年前の事件に関する彼の本当の気持ちを。
「人を殺した」
 差しのべられた周囲の手を、救いを受け取る資格などない。それがヴェルムの自分自身に対する認識。
「一人の女性が全てをかけて費やした復讐を解き明かし、その後彼女が死を選ぶのを止めることができなかった」
 直接この手にかけた訳ではない。それでも彼女を殺したのは自分なのだ。
「今回の犯人は、その女性の婚約者だ。だが……彼女は、復讐のために彼に近づいた。彼もそれを直接彼女から聞いた」
「……それって、本心だったの?」
 愛する恋人への嘘だったならば、まだ救いもあっただろうが……。
「俺には真実だと思えた。彼がどう思ったか、どう思いたかったのかはわからないが……」
 それを知ることはもうできない。
 今回の事件の犯人は、すでに何者かに殺害されていた。白兎が言っていたように、恐らく、睡蓮教団の粛清。
 ヴェルムはそれを止めることができなかった。アリスも。
 警察はヴェルムたちから一通り事情聴取をしたものの、帝都への影響や睡蓮教団の名を出す危険さを考えてこの事実の大部分を世間には伏せることにしたらしい。当たり障りのない部分だけが、翌朝の新聞の紙面を飾っていた。
「俺は、自分にはもっと力があると信じていたよ。けれど何もできなかったんだ。今回も……彼女にも」
 ヴェルムが復讐を望むように、その女性も復讐者だった。だからだろうか、事件解決までに色々と話をした際も波長が合った。まるで長い付き合いの友人のように。
「彼女の殺人を止めたいと思ったけれど、同時に自らも復讐者である俺にそんなことを言う資格はないと思って、真実を明かすことを躊躇った」
「……でも、最後には全て解き明かしたんだろ?」
「ああ」
 解き明かした。解き明かしてしまった。全ての真実を。
 封じられたままでいい秘密も。優しい嘘も。
 この世の残酷さを露わにしてしまった。
 ――ごめんなさいね、『――』さん。私、そのためにあなたに近づいたの。
 ――愛していないの。あなたのこと。
 ――あなたに近づいて、あなたの両親を殺せれば、それで良かったの。
 ――だからもう、あなたには興味がないの。
 彼女の婚約者であった男は、その残酷さに耐え切れなかった。それが今回のエラフィ誘拐と帝都爆破未遂事件の真相だ。
 あの時、ヴェルムがもっと気を遣って、彼にそれを聞かせないようにしていれば、彼が睡蓮教団への接触などという危険な道を選ぶことはなかったかもしれない。
 自分自身のためには真実を隠すことさえ考えたのに、彼のためにそうすることもできない程、あの時のヴェルムは幼稚な子どもだったのだ。
 ――彼女は彼を愛していなかった。けれど彼は愛していた。
 愛していたからこそ、自分を裏切った女よりも、その真実を解き明かしたヴェルムを憎んだ。
「いや、それは違うだろ」
 途中まで大人しく話を聞いていたアリスは、けれどここで首を横に振る。
「自分の道を選ぶのは自分なんだ。その状況で本当に誰もが、あの男みたいに大きな事件を巻き起こすと思うのか? そうじゃないだろ」
 人はそれ程弱くない。
 それが、アリスの考えるこの世で唯一永久不変の真理だ。
「でも……誰もが自分の力だけで全ての問題を解決できる程強くもない」
 だから心を許せる家族だったり、友人だったり、導いてくれる師であったり、集団の統率者であったりが必要なのだ。
「そうだな。だから」
 ヴェルムは絞り出すように口にした。
「俺は、“アリス”にはなれない」
 二年前、事件の最中に知り合ったヴァイスから、睡蓮教団の敵対者たちをまとめ上げる“アリス”になってくれと頼まれたことを語り出す。
「なれないんだ。物語を終わりに導く主人公には……」
 どれ程残酷だとしても真実に拘るヴェルムに書けるのは、全てを破滅させる悲劇だけだ。幸福な作り物としての物語を書くことができない――。

「“アリス”になんてならなくていいだろ。……俺が“アリス”なんだから」
「!」

 ヴェルムがハッと目を瞠る。
 アリスはヴェルムと違って、その名が背負う重みに関しほとんど考える暇は与えられず、半ば勢いでこの名を背負った。
 だが後悔はしていない。ヴェルムがアリスになれないように、アリスもまた、いつ訪れるかわからない主人公を辛抱強く待ち続けることなどできない。そのぐらいなら自分が“アリス”になってやる。
「この姿になって、俺はこれまでの俺でいたら知らなかったことをいくつも知るようになった。……一度自分の足で別の世界を旅してみなければ、わからないこともあるもんだな」
 幼馴染に対するエラフィの本音など、アリスト=レーヌからこの姿……アリス=アンファントリーと言う名の子どもにならなければ、一生聞くこともなかっただろう。
 人は自ら旅をしなければ、足元にある銀の靴の持つ力に気づけないのだと。
「独りじゃ物語は紡げないんだよ」
 敵も味方も通り過ぎるだけの人々も、確かに存在してこその物語。主人公一人で回る訳ではない。それは、現実にしたって同じことだ。
「ヴェルム、俺に力を貸してくれ。俺は睡蓮教団から、盗まれた時間を取り戻して元の自分に戻りたい。その代わり、俺もヴェルムの力になる」
 夜の屋上で向かい合ったヴェルムに、アリスは右手を差し出した。
「頼むよ、助言者“イモムシ”」
 アリスとヴェルムの関係は、二人を繋いだヴァイスの存在が大きい。名探偵の助力を得ることに関しアリスは何の努力も必要としなかったし、ヴェルムも自分で“アリス”を探し出したわけではない。だからこそ。
「こちらこそ、よろしく頼む。我らが“アリス”」
 ヴェルムがアリスの手を握り返す。
 お互いの本心――その強さと弱さに触れあった今この時、ようやくアリスとヴェルムは彼ら一対一の関係を始める。
「悪夢の連鎖を断ち切って、この物語を終わりに導くために」
 彼ら自身の帰るべき場所に帰るために。

 ◆◆◆◆◆

 月曜日。
 学院の教室にエラフィがいる様子に、ようやく日常が戻ってきたことを、彼らは実感する。
「あ、そういえばエラフィ、これ」
 休み時間になると、レントは以前皆に見せたチケットを、戻ってきたエラフィにも差し出した。
「宝石展? あ、これマッドハッターが狙ってるって言う?!」
 ベルメリオン=ツィノーバーロートの宝石細工展、しかも怪人マッドハッターの次の標的として注目されているというオマケ付きだ。
 むしろ美術鑑賞に興味のない一般客としては、オマケの方が本命かもしれない。
「小等部の子たちも誘ってみんなで行こうって話になってさ。エラフィも行くよね」
「もちろん」
 チケットの裏表を眺めながら、エラフィは即答する。遺跡探索のようなアウトドアは嫌いな彼女も、前回の美術館と同じくこういうイベント事には付き合うのだ。
「最近の帝都は物騒と言いつつも、昼間はなんだかんだで平和だしね」
 平和な日常が戻ってくる。
 嵐の前の静けさが戻ってくる。
 つい最近誘拐されたばかりのエラフィの言葉に乾いた笑いをもらしつつ、レントはその台詞で、ここ数日の平穏を思い出して言った。
「そう言えば、今週はハンプティ・ダンプティの事件がなかったね」
「いいことじゃない。連続殺人がないなんて」

 ◆◆◆◆◆

 エメラルドタワー内の喫茶店の一つ。フリーゲとペタルダの二人は、久々に帝都に戻ってきた機にと、ゲルトナーと顔を合わせていた。
「それで結局、あの遺跡には何もなかったのよ」
「そりゃ残念」
 トレジャーハンターの彼らはもう何年もこの国で、帝都内外の遺跡を調査している。フリーゲとペタルダの二人だけではない。エイス、サマク、ラーナの三人もだ。
 長い長い戦いを、彼らは続けている。
「そっちはどうなのよ。女子高生誘拐事件」
「ニュースになってたね。犯人が殺された方だけど」
「ああ」
 ゲルトナーはあの事件に間接的にとは言え関わった二人に対し、ある筋から手に入れた情報と共に顛末を話した。
「エラフィ=セルフ嬢は無事に助け出されたよ。犯人を殺したのは、どうやら赤騎士のようだね。内部の粛清だろう」
 彼が苦い顔をしているのは、今飲んでいる珈琲のせいではない。
「白兎と赤騎士か……あの二人にも困ったものね」
「けど、彼らは肝心な時には僕らの邪魔はしないと思うよ」
「あの二人は、基本的にこの世界に興味がないから」
 まったく厄介な二人組だ。三人の意見はそれで一致していた。
「それで、どうだった? うちの生徒たちは」
「なかなかの粒ぞろいね。どうせならこっちで話しやすいように、勝手に呼び名をつけてしまいましょうか」
 トレイシーは黄金の帽子屋敷で出会った一団の顔を思い浮かべて指を折り始める。
「小等部の三人はシンプルにカナール=ハウスエンテちゃんが“アヒル”、ローロ=プシッタクス君が“オウム”、ネスル=アークイラ君が“子ワシ”でいいんじゃない? それに加えてレント=ターイル君が“ドードー”ってところか」
「涙の湖で濡れた服を乾かすコーカス・レースの参加者たちだな」
「それにエールーカ探偵の幼馴染エラフィ=セルフは、名前を忘れてアリスと仲良くなる“小鹿”ちゃんだね」
 これだけの人数がいると二つ名があることは便利なのかややこしいのか。まぁ、小さな子どもたちの方はそうそうコードネームなどで呼ばれる機会はないだろう。
 と、ゲルトナーとフリーゲは考えていたのだが。
「後の連中は」
「必要ない」
 ペタルダが言った。彼らが出会った一団の中にも、ゲルトナーが認識している彼らの交友関係もまだ残っているというのに。
「あとは全員、すでに自分のコードネームを持っているから」
「……マジで?」
「え? そうなの?! 僕も知らない奴が何人もいるんだけど?!」
 古い時代の魔導士であるペタルダは、所謂“辰砂の弟子”たちとはまた違った魔導の知識と技術を有している。
 彼の眼には“不思議の国の住人”と呼ばれるコードネーム持ちは普通の人間とは違った形で視界に映るという。
 今回エラフィ救出班の一行に声をかけたのも、彼らの中に何人もコードネーム持ちがいることをわかっての行動だ。それで彼らと接触後、ゲルトナーに連絡して確認をとったのだ。
「“アリス”たちはわかるけれど……あ、でも、その調子だとギネカ君にもコードネームがあるってこと? ……何も言ってなかったけどな……」
 アリスやギネカたちと直接面識を持ち秘密を共有するはずのゲルトナーでさえ、全てを聞き出せてはいないらしい。
「で、その名前って?」
「そこまでは俺にも。ただ、彼らの魂にかかる影を見ただけだ」
 不思議の国のコードネームを持つと言うことは、邪神として奉られるかの神に近づいているということ。
「それってまさか……うちの生徒たちに睡蓮教団の信者がいるかも知れないってこと?」
「そこまではわからない。でも」
 ペタルダは目を伏せて、この世ではないどこか別の場所を見つめたまま告げる。
「“庭師の5”」
「はいはい」
「気をつけておいてやれ、お前の生徒たちに」
 暗い予感を覚えさせる忠告の言葉に、ゲルトナーが顔を引き締めた。

 第4章 了.

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