第5章 パイ泥棒の言い分
17.ジャックの予告状 098
眼下に帝都の夜景を収め、彼らは強い風に吹かれる。
「本当にいいのか?」
彼は彼女に尋ねた。
「ええ。もうここまで来たら隠し通せないわ。真実を言えないせいで、一番大事な時に何の力にもなれないのは嫌よ」
彼女は彼に尋ねた。
「本当にいいの?」
「ああ。俺も、そろそろ自分の全てを賭けて見たくなったんだ。我らが待ち望んだ主人公、“女王アリス”にね」
そして帝都の夜に繰り広げられる物語は、一つの転機を迎える――。
◆◆◆◆◆
「ねぇねぇニュース見た?!」
「「「見たー!」」」
その日は朝から教室でもその話で持ちきりだった。彼らは一日の始まりにもその話をし、放課後になって体が空いた途端、いつもの食堂で待ち合わせをしていた小等部生たちにも開口一番それを確かめる。
「“怪盗ジャック”が、“怪人マッドハッター”に挑戦状を出したんだって!」
「帝国二大怪盗対決だってよ!」
「しかも、その現場は、今度僕たちが行くあの宝石展会場なんですよ!!」
エラフィの問いかけに声を揃え、カナール、ネスル、ローロが目をきらきらと輝かせて答える。
怪盗好きのローロなどは、もはや叫ぶような勢いだ。三人共いつも以上にテンションが上がっている。
「すっごいタイミングよね! 私たち、ジャックとマッドハッターの両方が狙うお宝をこの目で見れるわよ!」
「「「わーい」」」
盛り上がるエラフィと子どもたちに、いつもと表情を変えないで話を聞いていたフォリーが一言呟く。
「人込み……」
「うっ……」
「確かに、人は多そうだね。このニュースでもっと増えそうだ」
ヴェイツェが冷静に後を引き取る。
映画や演劇のように鮮やかな手並みで警察を翻弄し、美術品や宝石を盗む怪盗たちは犯罪者でありながら帝都の人気者だ。
それぞれ下手な芸能人よりファンが多いという怪盗が今回二人とも同じ一つのお宝を巡って決闘するのである。世間の注目を集めない訳がない。
「ま、私たちはレントのお父さんのコネでもらったチケットで確実に会場には入れるでしょ」
「レントお兄さんありがとー!」
「ははは。まさかこんなことになるとは父も思ってなかったそうだよ……」
前回の事件の終わりに実は結構なお坊ちゃまであることが発覚したレントは、予想外の盛り上がりに頬を掻いた。ただの美術展のチケットのはずなのに、いまや入手は熾烈な競争となっているらしい。
「でもこれだけ大騒ぎになったりしたら、肝心のお宝の展示とか控えられちゃうんじゃないの? 怪盗が来るってのに、うかうか宝石を展示していられないでしょ?」
「それに関しては大丈夫みたい」
シャトンの尤もな疑問に答えたのは、テラスだった。
「なんでも例の宝石細工の持ち主が、怪盗の大ファンなんだって。マッドハッターどころかジャックも来るなんて夢のようだって、大喜びでその感動を人々と分かち合うために展示室を改造してるらしいよ」
「……何それ」
一同は揃って「ちょっと意味がわからない」という顔になる。
「なんでテラスはそんなことを知って……あ、そうか。テラスのお父さんは――」
自分で疑問を口にしておきながら、途中でアリスは思い出した。
「そう。怪人マッドハッター専任、帝都警察捜査三課のコルウス=モンストルム警部だよ」
「そう言えば、ポピー美術館の時にお会いしたわね」
テレビの報道にも時折顔を出す怪盗専任の警部が、この小等部の神童の父だと知ることになったのが、ポピー美術館での怪人マッドハッターの犯行だった。その時は他でもない彼――モンストルム警部にチケットを融通してもらったのである。
「今回は元々マッドハッターの獲物だったからね。父さん、最近はずっと帝国立博物館の方に詰めてるんだよ」
「……帝国立博物館?」
「ねぇ、私たちつい最近そこに行かなかったっけ?」
エラフィ誘拐事件の際に、救出組が暗号を解読して訪れた場所の一つである。あの時はとにかく必死だったので、そんなこと気にも留めていなかった。レントにチケットを見せられたのがその日の放課後で、直後にエラフィ誘拐事件の報が入ったので皆それどころではなかったのだ。
「怪盗の獲物より、博物館の方がじっくり見物できそうね」
「えー。でもやっぱり、ジャックとマッドハッターも見たいよー」
「僕たち、怪盗に会えますかね?!」
「さすがにそれは無理なんじゃ……怪盗の犯行は日曜だろ? 俺たちが行くのは土曜日だし」
「いや、わからないよ。怪盗本人も人込みに紛れて、下調べのために美術展に来てるかもしれない」
子どもたちの会話を聞いていたフートが飲み物を噴き出す。
「どうしたの? フート」
「な、なんでもない」
怪人マッドハッター本人であるところのフートは、予定外の事態にいつもよりも動揺している。
フートが昨夜のニュースを見た時から胸の内に抱える疑問を代弁するかのように、ちょうど彼らの雑談もその内容に入った。
「それにしても、どうして怪盗ジャックはわざわざ怪人マッドハッターの獲物に後から狙いを定めるようなことをしたんだろう」
レントの疑問は、まさしく今のフートが知りたいことだ。
「そういえばそうだね」
「……同じ宝石が欲しかったなら、マッドハッターと同じようにその存在を知った時に予告状を出しますよね」
美術展の話は一ヶ月ほど前から広告が貼られてどこでも目に付くようになっていた。そして。
「マッドハッターの次の犯行は先週から散々騒がれてたし、宝石の存在に気づかなかったとは思えないよね」
不自然なのだ。今回の怪盗ジャックの犯行は。
「まるで、ジャックはあえてマッドハッターに挑戦状を叩き付けたみたい」
「ライバルってことでしょうか!」
怪盗ジャックが活動を始めたのは五年前、怪人マッドハッターは十年前にも世間を騒がせていたが一時期姿を消し、一年前にようやくの復活を果たした。
帰ってきた怪盗に、ここ数年で名を上げた怪盗が対抗心を抱いたのだろうか。
「ジャックとマッドハッターって何か因縁ある?」
「そんな話、聞いたことないわよ」
フートの隣に座っていたギネカが言う。
フートは彼女が、怪盗ジャックの相棒“料理女”であることは知らない。
ギネカはフートが怪人マッドハッターであることを知らない。
今ここで何かの拍子に接触感応能力者であるギネカの手がフートの体に触れれば難なく探れる事実だが、迂闊に人の心を読まないよう普段から気を付けているギネカはそういうことはしない。
そうして幾人もが幾つもの秘密を抱えた学院で、今日もその秘密は守られたまま過ぎていく。
「ところでテラス君、テラス君のお父さんが怪人マッドハッターの専任警部だってことはわかったけど」
レントがテラスに尋ねる。
「じゃあ、怪盗ジャックにも専任警部っているの? モンストルム警部と違って、ほとんど話聞かないけど」
「いるよ。僕もあまり会ったことないけど」
「え? いたんだ?!」
この空間にいるほとんどの人間は、マッドハッターと違って怪盗ジャックにも警察の専任がいることは知らなかった。
唯一の例外として、ギネカだけはジャックの仕事をいつも邪魔してくれる存在として、その専任警部のことを知っている。
もちろん、そのことをここで口に出すことはないが。
「ニュースに出て来ないよね、その人」
「取材はNG」
「芸能人か」
フートが思わず突っ込みを入れる。自分も芸能人並にちやほやされている怪盗であることは棚に上げて。
「怪盗ジャックのライバルって、てっきり探偵のお兄さんだとばっかり思ってた」
「俺もだぞ」
「私もー」
「僕もです」
テラスの説明に興味深々と耳を傾け、彼らはしばらくその話題で盛り上がった。
「ヴェルムさんは怪盗ジャックのライバルの名探偵として名高いですよね。今回も現場に来るんでしょうか?」
一女子高生の興味本位に見せかけて、さりげなく怪人マッドハッターの仕事を邪魔しそうな強敵の存在を探るのはフートの幼馴染でマッドハッターの相棒“眠り鼠”ムースだ。
そんなことは知らないアリスは、ついつい素直に答えてしまう。
「ヴェルムは今回は行かないって」
「え? そうなんですか?」
「他の事件を解決しなきゃいけないからって」
「そうそう。ヴェルムの奴、なんかすげー忙しそう」
エラフィも幼馴染の動向には相変わらず気を配っているようだ。
「それに、マッドハッターとジャックが両方来るならその専任警部二人も手を組むから自分が行っても邪魔なだけだって言ってたわよ」
昨夜のニュースを見てすぐにヴェルムに連絡をとったシャトンが補足する。アリスとシャトンの二人は、そこでジャックにも専任警部がいるという話だけは聞いた。
「その怪盗ジャック専任警部さんってどういう人なんだ?」
改めて問いかけられたテラスがにっこりと意味ありげに返す。
「会えばわかると思うよ」
どうせ彼らは週末に怪盗の犯行現場となる、帝国立博物館を訪れるのだ。