Pinky Promise 099

第5章 パイ泥棒の言い分

17.ジャックの予告状 099

 帝国立博物館。前回の事件でギネカたちエラフィ救出班が訪れた、国内最大級の総合博物館である。
 広大な敷地内に帝国全土のみならず、別大陸をも含めた世界中の学術的資料、重要文化財、美術品などが収められている。館内はいくつかのブロックに分かれて、子どもから大人まで楽しく鑑賞できるよう工夫を凝らして数々の品が展示されていた。
 帝都は初めてのシャトンはともかく、アリスは見学等で何度も訪れたことのある博物館だ。とはいえこの大きさである。何度見て回っても、飽きると言うことがない。
 古代生物の化石が今にも動き出しそうに活き活きと配置され、過去の偉人の彫刻は本物の人と見紛うリアルな表情を浮かべている。
 過去から現在まで様々な民族の衣装や生活用品も並べられ、遠い異国の滅びた種族の痕跡を残す。
「あの時は、せとものコーナーの向こうのお土産屋さんに暗号が隠されてたんだよ」
「へぇー」
 約束の土曜日、アリスたちはいつものメンバーで博物館へと向かった。
 事前に話をつけていたヴァイスやダイナも一緒である。
「うわ、やっぱ混んでるわね~」
 人の多さにエラフィがさっそくうんざりした顔を見せた。
「俺たちも人の事言えないって」
 正直、飾られた数々の美術品よりも怪人マッドハッターと怪盗ジャックが見たいのはこの野次馬だけでなく、自分たちも同じである。
 一行は館内を見て回りながら段々と目的のフロアに近づいて行く。
 本日の主役、二人の怪盗から狙われた姫君こと、美しい宝石が強化硝子の展示ケースの中に飾られているのが遠目に見えた。
「怪盗さんたちの今回の獲物はこれですって」
 広い展示室の中央に飾られた宝石を見るには、まだこの人込みを更に並ぶ必要がある。その暇つぶしにと、シャトンは宝石細工展の広告に目を通し始めた。アリスも横から彼女の手元を覗き込む。
「ベルメリオン=ツィノーバーロート、生涯最高の作品……『女神に捧ぐ首飾り』」
「女神に捧ぐ……」
 それは不思議な宝飾品だった。
 決して華美ではない、しかし巨大な宝石を取り囲む台座全体に精緻な細工が施されていて、一ミリの手抜きも許さないと言わんばかりの存在感を放っている。
 かと言って首に飾っても主役の座を奪う訳ではなく、自然と肌に馴染み身に着ける者を不思議と引き立てる装置の一つとして活躍する。
 主張せず、かつ埋没しない。圧倒的な、しかし装着者の邪魔をしない存在感。
「凄いわね……このデザイン……」
 綺麗なものが好きなシャトンも、まじまじと魅入られたように広告の写真を見つめている。
「これはまるで……」
 アリスが胸の中に湧き上がるその想いを口にしようとした瞬間だった。
「装着者にとって恋人のようなデザイン、だろう?」
「へ?」
 この首飾りの装着者への馴染み具合は、並び立つ姿がそのまま一幅の絵になる恋人のようである――自分が思ったことをそのまま言われて、アリスは変な声を上げた。
 シャトンと共に背後から声をかけてきた相手を振り返り、二度驚く。
「……!」
 相手は、とても綺麗な青年だった。
 ぬばたまの黒髪に深い湖か、砂漠のオアシスを思わせる青い瞳。きめ細かな白い肌、すらりとした立ち姿。
 一歩間違えれば人形のように整っていながら、どこか自信に満ちたその不敵な表情が、彼をこの上なく人間らしい魅力に溢れさせている。
「この宝石の名前――『女神に捧ぐ首飾り』の『女神』とは、月の神セーファ様を指しているんだ」
「月の女神……?」
「ああ。神々の長兄にして主神、太陽神フィドランの妻セーファ。月神は太陽神の妹であり神々の長姉でもある。昔から人々との距離が近しい女神で、青の大陸においては神官を通して託宣を与えて人々を導き、黄の砂漠においては慈悲深き守護の女神として崇められている」
 アリスは知らぬうちに、彼の語る神話に引きこまれていた。
「けれど本人はまぁ気さくな方だから、きっと何かの縁で地上に降りてベルメリオン=ツィノーバーロート本人と出会い、その時にこの首飾りを作ってもらったのだろう」
 偉大なる主神の妻をまるで知り合いの女性のように言って、彼は視線を宝石の収められた展示ケースからアリスたち――アリスへと映した。
「初めまして」
「は、初めまして……って、誰?」
「モデルさん……?」
 シャトンが思わずため息を零しながら口にする。
 俳優か、モデルか、それとも生まれながらの王族か貴族か。思わず今の皇族にこんな人物がいただろうかと脳内検索を始めるアリスたちの前で、その青年はにっこりと笑う。
「君たちはモンストルム警部の息子さんの友人だろう。テラス君はあの歳でとても優秀なアドバイザーだ、その友人である君たちも歓迎しよう」
「え……ってことは、あなたはまさか」
 アリスたちの様子を見て近寄ってきたギネカたち高等部生も、青年の美貌に驚いて息を呑む。
 自分が一番魅力的に見える振る舞いを知っている顔で、彼は名乗った。
「私はアブヤド=マレク。帝都警察捜査三課、怪盗ジャック専任警部だ」

 ◆◆◆◆◆

 どう見ても二十歳そこそこにしか見えないのだが、アブヤド=マレク警部の年齢は三十一だと言う。
 彼を実際にその眼で見て、ジグラード学院の生徒たちは、「取材NG」の意味がわかった。
「正直、怪人マッドハッターより怪盗ジャックよりイケメンね」
 ポピー美術館の件で怪人マッドハッターと、前回のエラフィ誘拐事件で怪盗ジャックと直接会ったシャトンが思わずぽろりと本音を口にする。
「ふぐわっ!」
「しっかりしなさいフート! 傷は浅いわよ!」
「?」
 何故か背後で上がった奇声と掛け合いは無視し、アリスは冷静なツッコミを入れる。
「イケメンも何も、マッドハッターもジャックも仮面で顔を隠していたのになんでそんなこと言えるんだ?」
「あら、わからないの?」
「まぁ、正直頷けるものがあるわね」
「ギネカお姉さんまで? と言うか女子は全員わかってるの?!」
 残りの女性陣も顔を見合わせあってうんうんと頷く。小等部のカナールやフォリーどころか、先程までフートを慰めていたはずの幼馴染ムースもである。
「おお、君たち、すでに顔を合わせていたか」
「父さん」
「モンストルム警部!」
「テラス君のお父さん、こんにちは!」
 テラスの父親、コルウス=モンストルム警部がやってきた。その段階になると周囲の客たちもこちらに気づいてざわざわとし始める。すぐ傍に展示された宝石よりも、マッドハッター専任警部の傍にいる美青年と子どもたちの怪しい一団の方が気になるのは仕方がない。
 怪人専任警部だからと言うよりは、友人の父親であると認識しているモンストルム警部に一同はお行儀よく挨拶をし、改めてマレク警部を紹介してもらう。
「マレク警部は、怪盗ジャックの専任警部だ。今回はいきなりジャックが予告状を送りつけてきたため、急遽応援に入ってもらった」
「元々ジャックはこちらで捕まえるべき怪盗だ。モンストルム警部が敷いた対マッドハッター用の警備体制に突然お邪魔して申し訳ない」
 よく警察は身内内での競争心や縄張り意識が強いと聞くのだが、この二人の関係はそうでもないらしい。
「ですがご心配なく、あの野郎に悪さをさせないよう、さっさと捕まえて退散いたしますので」
 モンストルム警部との仲は良好だが、怪盗ジャックへの対抗心はしっかり持っている。 それがマレク警部のようだ。
 怪盗たちの狙う宝石を見に来たはずの客たちも、周囲を制服警官に囲まれている彼の正体がなんとなくわかったらしく色めきだっている。
 マレク警部がモンストルム警部と違ってテレビに顔出ししない訳がよくわかる。こんな顔のいい男、怪盗の存在以上に周囲が騒ぎすぎるに決まっていた。