Pinky Promise 101

第5章 パイ泥棒の言い分

17.ジャックの予告状 101

 展示ケースの前に姿を現し、一瞬にして観衆の心を鷲掴みにした怪盗ジャックの姿にフートは驚愕した。
「怪盗ジャック……?!」
「フート、気づいた?」
「わかるもんか。変装は怪盗の十八番だぜ」
 同じ時間に同じ場所で、二人の怪盗が下見をしていたことになる。
 フートがレントの協力でチケットを手に入れたのはまったくの偶然だが、この機会を逃すわけにはいかなかった。友人や子どもたちと一緒なら、誰にも怪しまれずに現場へと近づける。
 友人の存在を利用する自分に嫌気がさしながらも、だからこそ自らのもう一つの姿について知られる訳にはいかない。
「宣戦布告かしら?」
 今回怪盗ジャックは元々怪人マッドハッターに挑戦するかのように、滑り込みで予告状を出してきた。
 観衆の前に姿を現すことで、マッドハッターよりも自らの方が上手だと示したかったのだろうか。
「いや……」
 ムースの疑問に対し、フートは違うと答える。
「あいつ……アリスと話をしてたみたいだ」
「アリス……君と?」
 アリス=アンファントリー。またの名をアリスト=レーヌ。
 彼は本来十七歳のジグラード学院高等部二年生なのだが、今現在は睡蓮教団の禁呪によって時を盗まれ、七歳の子どもの姿にまで若返っている。
「そう言えば前回の事件の時に顔を合わせたのでしたっけ」
「それで縁ができたのか?」
 同じ怪盗とは言え、マッドハッターであるフートにとっても怪盗ジャックは謎の存在だ。
 世間ではよく比較されるが、本人たちとしては顔を合わせて話をしたこともない相手である。
「今回は手強い相手だな」
 いつもと同じ仕事だと思っていた。しかしもう一人の怪盗が横槍を入れてくるならばそうもいかない。
 更には、怪盗ジャック専任の刑事、マレク警部の存在もある。
「とりあえず――」
 ムースが呆然としながらも呟く。
「格好良さでは、すでに向こうに負けているかもね」
「あああああ」
 フートは小さく呻いた。
 人目を惹き付けることに関してマレク警部にも怪盗ジャックにも負け、怪人マッドハッターの地位が危うい。

 ◆◆◆◆◆

 それ以降怪盗は姿を現さず、一通り宝石展を観賞し終えた一行は帰路に着いた。
 駅までの道のりをのんびり歩いて行く。
「マレク警部って面白い人だったね」
「そうね」
「それに、すっごく綺麗な人でした」
「あの兄ちゃん男なのになー」
 子どもたちは本日出会った美貌の警部や一瞬だけ姿を現した怪盗のことで盛り上がっている。
「怪盗ジャックも見れたし」
「でも一瞬で消えちゃいましたよ」
「アリスちゃんの背中にカードがついてたってことは、ジャックがすぐ傍にいたんでしょ? ねぇ、どんな人だった?」
「いや、俺も知らない間につけられてたから誰がジャックかなんて……」
「この前も今日も変装していたものね」
 実際、隣で話していたとはいえいつカードをつけられたのか、アリスにもさっぱりわからないのだ。ギネカに触れられるまで、誰かに背に触れられた感触などまるでなかったのに。
「いいなーアリスちゃんジャックと会ったなんていいなー」
「いい……のか?」
「ずるいぞアリス、お前だけジャックに会うなんて」
「僕らも怪盗に会ってみたいです!」
 カナール、ネスル、ローロは怪盗に直接会ってみたいと、無茶なことを言う。無茶と言っても、怪盗を打倒睡蓮教団の同盟相手として勧誘しに行くアリス程無茶ではないかもしれないが。
「あの首飾り、本当に綺麗でしたね」
「そうだな。きっとダイナがつけても似合うだろう」
「あら? 買ってくださいます? あれ一つで戦闘機が買える値段らしいですけれど」
「いや、そのー、その件に関しては」
「うふふ。もちろん冗談ですよ」
「そ、そうだよな。アーハハハ」
 大人は大人でいつも通り、まったく進展のないやりとりだ。生徒たちの前で同僚を口説こうとするヴァイスに、アリスは後で蹴りを入れることを固く誓う。
 何となく二人のやりとりに聞き入ってしまっていたアリスは、不意にダイナが何かを見つけて表情を変えたのに気付く。
「あら?」
「おや、ダイナじゃないか」
「レジーナ、こんなところで会うなんて珍しいわね」
 道の途中で足を止めた、短い黒髪のボーイッシュな女性がダイナと言葉を交わす。
「ちょっと知人の用を手伝いに、あのホテルに泊まるところなんだ。君は……もしかして、学院の生徒さんたちと宝石展見学かな?」
「よくわかったわね」
「今の時期ならそれしか話題はないだろう? ちょうど博物館の方から来たみたいだし」
 彼らが通ってきた曲がり角の向こうを指差し微笑む女性に、他の面々も次第に興味を示し始めた。
「ダイナ、そちらは……」
「私の友人、レジーナ=セールツェです。ほら、先日お話しした……」
「ああ、最近よく会っていると言う……私はヴァイス=ルイツァーリ、ジグラード学院で魔導学を受け持っています」
「こちらもお噂はかねがね伺っておりますよ、ルイツァーリ先生」
 ヴァイスと一通り挨拶の言葉を交わすと、レジーナは次に子どもたちの方へ視線を寄越した。
「君が面倒を見ているのは、その後ろの二人?」
 ダイナはアリスたちのこともレジーナに話していたのか、彼女はひょいと腰を屈めて正面から子どもたちを覗きこんでくる。
「ルイツァーリ先生が預かっている子たちよ。アリスさんとシャトンさん」
「そう、よろしくね」
 にっこりと笑う。昔から大人びていると言われたダイナとは対照的に、無邪気な子どものような印象を受ける笑顔だ。
「あ、うん……」
 その笑顔に何か感じるものがあり、アリスは人見知りの子どものように、ヴァイスの脚の後ろに隠れた。
「アリス? ……すまない、人見知りをしたようだ」
「気にしないで。二人とも可愛い子だね」
 見た目だけは可憐と言ってもいいアリスのそんな態度をレジーナは不思議に思わなかったらしく、それで会話が済んでしまう。
「じゃあダイナ、また今度」
「ええ。気を付けて」
 二人が挨拶を交わし、一行は再び帰路につく。
「どうしたの? アリス」
 ギネカが近寄ってきてアリスに声をかけた。先程の態度は元のアリストをよく知る彼女にしてみればやはりおかしかったらしい。
「あの女の人、何か変な感じがしなかったか?」
「変?」
 ギネカも、ずっと隣にいたはずのシャトンもそれこそ変な顔になる。
「……何も感じなかったわよ?」
「アリスだけに気づく何かがあったの? ……読んでみれば一発だけど、初対面の人に馴れ馴れしく触るなんてできないし」
 接触感応は肝心な時に役に立たない力だと、ギネカが口を尖らせる。
「ヴァイス先生はどう思います?」
「わからん。アリスは魔導的な感覚は鋭いからな。実際に何かあったのかもしれないし、まったく別のことで何かに気づいたのかもしれない。あるいはただの勘違いかもしれない」
 アリスとしては勘違い呼ばわりは心外だが、かといって自分の感覚の根拠を説明することもできずもどかしい思いをするしかない。
「ダイナの知り合いにそう変な奴がいるとは思いたくないが……いや待てよ、いっそ変な奴だらけの方が追い払う理由になる……?」
「お前が一番の不審者だ」
 ダイナに近づきたい余りにマンションの隣室に越すと言うストーカーまがいのことまでしでかしている男は、思考がだんだん危ない方向に行っている。
 ヴァイスの手を握る振りでこっそり抓りながら、アリスはしばらくレジーナのことを考えていた。
「アリス君、遅れますよ」
「あ、ごめん。すぐ行く――」
 しかし答も出せずまとまらない思考は、やがて平穏な日常と言う名の影の中に埋もれてしまった。

 ◆◆◆◆◆

 この時間にかかってくる非通知着信の相手は決まっている。彼はいつもこちらの事情を全て見透かしたように、絶好のタイミングで電話をかけてくるのだ。
「――もしもし」
『やぁ、ジャック』
「……よぉ、ジャバウォック」
 怪盗ジャックことネイヴ=ヴァリエートは、警戒を隠さないまま応えた。
 面識のない知人、顔も見たことのない情報屋がまるで旧知の友人のように話しかけてくる。
『随分と思い切ったことをしたね』
「なんのことかな」
『マッドハッターへの挑戦状の話さ』
「私は彼に喧嘩を売りたい訳ではありませんよ」
『だが帽子屋の方ではそうは思わないだろう。パイ泥棒、君はやはり自分にとっての敵なのかと疑うはずだ』
「ジャバウォック、お前ならあの怪人の正体もすでにわかっているのではないか?」
『知っていたとして、それを君には教えないよ』
「相変わらず、本当に欲しい情報は売ってくれないんだな。“姿なき情報屋”」
 彼を情報屋と呼ぶのは皮肉でもある。この世の全てを知っているかのようなジャバウォックだが、彼は自分の持っている情報を一方的に教えるだけで、決して金で情報を売り買いすることはないのだ。
『君が君のやりたいことをやるように、こちらもやりたいようにやると言うだけさ。……怪人のことに関しては、“三月兎”への義理もあるからね」
「三月兎?」
 怪盗ジャック――ネイヴとしては初めて聞くコードネームに思わず怪訝な声を上げる。
『怪人の身内さ。今のマッドハッターは、三月兎を探すために怪盗をしているんだよ』
「! ……何故今、そんなことを俺に教える」
『そろそろ彼も舞台上に上がって来るからさ。役者同士、せいぜい仲良くしてくれ』
「お前は一体――……」
『じゃあね』
 ジャバウォックは怪盗ジャックに対して比較的好意的な存在だが、やはり全てを知られているような気がして恐ろしいものがある。
 それでも、ネイヴは今回の盗みを諦める訳には行かなかった。
「ネイヴ……」
「大丈夫だギネカ、決してアリスに危害を加えるようなことにはさせない……俺が使うのは、怪人マッドハッターの方だ」
 睡蓮教団との長い戦いを終わらせるために、自分にとっては“アリス”の存在が必要なのだ。

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