Pinky Promise 109

第5章 パイ泥棒の言い分

19.白の王の威厳 109

 夜の街のあちらこちらで、いまだにサイレンが鳴り響いている。
 普段であれば何事かと不安がる住民たちも、今宵は怪盗ジャックと怪人マッドハッターの犯行により半ばお祭り騒ぎと化していることを知っているので動じていない。
 パトカーで怪人マッドハッターが逃げたと思われる場所を探していたモンストルム警部は、ドドンと響いた大きな音に驚いて外を見た。
「警部! あれを!」
「花火です! 倉庫街の近くで花火が上がっています!」
「何?!」
 濃紺の夜空に鮮やかな火の花が次々と咲いては消えていく。花火が上がっているのは、運河沿いの倉庫街だ。
「博物館でジャックも花火を上げていました。怪盗たちはあそこにいるのでは!?」
 モンストルム警部は、パトカーの無線に向かい怒鳴った。
「怪盗を追う全車両に告ぐ! 今すぐ倉庫街へ向かえ!」

 ◆◆◆◆◆

 逃げ回る怪盗と追ってくる睡蓮教団。彼らの戦闘は、今は倉庫二階の吹き抜けとなった空間で繰り広げられていた。
 突然遠くから聞こえてきた花火の音に、ジャックとマッドハッターはハッとする。
「料理女だな。警察の皆さんを呼んだらしい」
 ハートの王と交戦中のジャックは、口ほどに余裕があるわけではない。
 あの料理女が早々に警察を呼んで相手を撤退させることを狙ったということは、向こうがそれだけ手強い相手だったと言うことだ。彼女とアリスは無事だろうか。
 ……恐らく無事だろう。白騎士やチェシャ猫がアリスのピンチに手をこまねいているとは思えない。
「あらら大変。いきり立ったモンストルム警部がすっ飛んでくる前に、できれば皆さんお開きにしません?」
 マッドハッターは専任警部を揶揄する口調で言いながら、ニセウミガメの攻撃を避ける。
 ハートの王の実力はこれまで何度も相対してジャックも知っていたが、このニセウミガメと言う女もなかなか手強く、マッドハッターは彼女を振り切れない。
「警察の皆さんもこんな時間に御苦労さまだ。勤勉な警部たちの仕事を減らすために、怪盗などここで殺してあげた方が世の中のためだと思わないかい?」
「いえいえ、勤勉な警察の皆さんだからこそ手柄を挙げるために、宗教団体を名乗る犯罪組織の幹部を逮捕させて差し上げましょう」
 皮肉の応酬は途切れない。
 単純な戦闘能力なら互角でも、本物の「戦い」という意味ではまだ十代の怪盗二人よりも、教団の二人に分がある。
 ハートの王とニセウミガメはてんでばらばらに攻撃を仕掛けているように見せかけて、実はお互いの動きでジャックとマッドハッターが徐々に背中合わせになるように追い詰めていたのだ。
 途中で気づいてもすでに遅く、ジャックとマッドハッターは背後を相手に任せながら、正面の敵を何とか突破する方法を考えねばならなかった。
 もはやこれ以上は一歩も退けない。
 王手をかけたと見て、ハートの王とニセウミガメがじりじりと近づいて来る。
 動かない状況を無理やりにでも動かすために、怪盗ジャックがマッドハッターに声をかけた。
「ここを切り抜けるために協力しないか?」
「もう随分共闘状態だと思うけどね」
「場所とタイミングが重要なんだ」
 ジャックが目線で示したものに対し、マッドハッターはその意図を理解して頷く。
 ちょうどよくこの場所にも、パトカーのサイレンが近づいてきた。怪盗より更に後ろ暗い睡蓮教団の二人がぴくりと一瞬だけそれに反応する。
 そのたった一瞬の隙に、怪盗二人は揃って駆け出す。
「待て!」
 制止の声はもちろん聞くはずもなく、ただ虚空へと向かって。
「何?!」
 ハートの王たちが驚く中、ジャックとマッドハッターは、吹き抜けの床が途切れた闇の中に迷わず飛び降りた。
「馬鹿な、何の仕掛けもなくこの高さから飛び降りるなど――ッ!」
「ハートの王!」
 ニセウミガメの警告に、ハートの王はぎりぎりでそれを躱すが、血は飛び散った。
 二人の怪盗は高い吹き抜けから飛び降りたと見せかけて、実は荷物移動用の簡易クレーンのワイヤーにぶら下がり身を隠して反撃の機会を窺っていたのだ。
 魔導でハートの王を攻撃したマッドハッターを、怪盗ジャックがしっかりと支えている。
 そして目論見通りハートの王が負傷し、即座の正確な反撃はないと見てとるや二人は今度こそ倉庫の闇の中に飛び降りた。
 ハートの王は怪盗たちの方向に銃を向けるが、その場所から怪盗たちを狙うのにもクレーンが障害となっている。
 マッドハッターとジャックは倉庫の中のものを上手く盾にしながらハートの王の銃撃とニセウミガメのナイフから身を守り倉庫を飛び出した。
「……!」
「ハートの王、警察が来る!」
 迫りくるサイレンの音にいよいよ教団側も追い詰められてきた。ハートの王は腕から出血している。こんな現場を見られる訳には行かない。早々に倒された配下たちを叩き起こして、すぐにこの場を離れなければ。
 ニセウミガメはハートの王を促した。
「退却しよう。これ以上の深追いは無理だ」
「まだグリフォンの奴がいる」
「向こうも警察に接近されて引いたそうだ」
「……くそっ!」
 それまでの穏やかさをかなぐり捨て、ハートの王は毒づく。
「あの役立たず共が……!!」
「……」
 ニセウミガメは顔を顰めて携帯を取り出し、万一のために少し離れた場所に残していた部下に連絡を入れ始める。マッドハッターに昏倒させられた者たちに車の運転をさせるわけにも行かず、脱出のための足が必要だった。
 ハートの王とニセウミガメの二人がかりでも怪盗たちを仕留めきれず、グリフォンも早々に怪盗たちの協力者に逃げられてしまったと言う。
 不覚を取ったのは確かだ。しかしそれだけではない。
「奴らは、思った以上に厄介な勢力なのかもしれないな」
 怪盗ジャックと怪人マッドハッターが手を組んだとなれば、いよいよ教団も捨て置けない勢力となるだろう。チェシャ猫が抜け、ティードルダムとティードルディーが死に、今は魔導の使い手が減っているという事情もある。
 ティードルダムたちを手にかけたハンプティ・ダンプティの件も気にかかる。
 怪盗と殺人鬼の跋扈する帝都の夜は、これからますます騒がしくなりそうだ。