Pinky Promise 110

第5章 パイ泥棒の言い分

19.白の王の威厳 110

 アリスと料理女をヴァイスとシャトンが車で拾い、警察や睡蓮教団に見つかる前に倉庫街を離れた。
 アリスは渡された仮面を外し、料理女は顔に影を落とすよう目深に帽子を被る。
 あえて長閑な住宅街の中の小さな児童公園を、怪盗二人との集合場所にした。周辺には何も知らない住民たちが眠っている、こんな場所は睡蓮教団も潜伏場所に選ぶまい。
「……全員無事で良かったわ」
 当事者であり部外者、近く遠い微妙な距離にいるシャトンが、こればかりはと代表して言った。事件を起こした怪盗二人や首を突っ込んだアリスには少しばかり口にしにくい台詞なので。
 落ち着いたところで、ようやく話ができる。
「なぁ……“料理女”。お前って……」
 アリスはずっと気になっていた、料理女へと目を向ける。
 色とりどりの遊具に囲まれた深夜の公園は、まるでおもちゃ箱の中の世界だ。
「そうよ」
 闇の中でも鮮やかなその視線に頷きつつ、料理女はそっと仮面を外した。
 相棒である怪盗ジャックは静かにそれを見守る。
 怪人マッドハッターが息を呑んだ。
「――ギネカ」
 アリスは彼女の名を呼ぶ。
「マギラス?!」
「何故、あなたが……」
 ヴァイスとシャトンも驚きを露わにした。
 まさか知る人ぞ知る怪盗ジャックの相棒“料理女”が、毎日のようにジグラード学院で共に過ごす生徒の一人だとは思ってもいなかった。
 ギネカは数少ない、アリスの正体を知る者である。

「私はギネカ=マギラス。そして、睡蓮教団の敵対者の一人、コードネーム“料理女”、怪盗ジャックの相棒」

「待てよ、ギネカが料理女ってことは、怪盗ジャックは――」
 アリスが振り返ると、ちょうどジャックも仮面に手をかけたところだった。
 ついに、帝都を騒がせる謎の怪盗の素顔が晒される。けれどその素顔も名前も、彼らはすでに知っている。
「ネイヴ=ヴァリエート……?」
「正解」
 ギネカの幼馴染のネイヴだ。遺跡探索の時にも世話になっている。
 怪盗ジャックとしてエラフィの件でも協力してもらったことを考えれば、知らぬ間に随分助けられていたことになる。
「お前たち……」
 珍しくヴァイスまでもが、途方に暮れたような顔で知り合いの二人に声をかける。
「隠していてすみません、先生。私は最初から、“不思議の国の住人”の存在を知っていました」
「……だから、アリスのことに関しても呑み込みが良かったわけだな。普通の高校生なら混乱するところだが……」
 もともとしっかりしているギネカだから、今度もそのように覚悟して受け入れたのだろうとヴァイスは考えていた。接触感応能力という秘密を抱えていて、世間の常識から外れた事態に耐性があるのだろうと。
 だが違った。
 ギネカは最初から、ある程度教団の裏事情を知っていたのだ。
「ネイヴが怪盗ジャックで不思議の国の住人ってことは、ええと、その」
「……あなたも、アリスと同じように教団の被害者なの?」
 シャトンが静かに尋ねた。
「……!」
 アリスは思わず息を詰める。
 元教団員の一人である彼女にとって、そういった人々を目の前にするのは辛いことだ。
 ギネカの性格を知っている一行にとっては、いくら幼馴染とは言え、彼女が安易に犯罪に手を貸すとは思わない。
 ネイヴが怪盗を始めたのには、相当な理由があるはずだ。
「そうだな。だが気に病む必要はないよ、チェシャ猫のお嬢さん。俺の両親は、教団の事情を知りすぎて殺されたんだ。君の禁呪は関係ない」
「……ごめんなさい」
 ギネカがシャトンを気遣わしげに見る。
 怪盗ジャックこと、ネイヴ=ヴァリエートは説明を始めた。
「始まりは七年前のこと。サーカスの団員だった俺の両親が、何者かに殺されたのが切欠です」
 怪盗ジャックの犯行は時折、最高のサーカスと評される。
 それはネイヴの両親が実際にサーカス団員で、その技術を息子である彼にも仕込んでいたからだったのだ。
 怪盗ジャックの武器は百発百中の投げナイフとされているのもここから来ていると言う。
「俺の両親は、事故死として処理された。けれど俺はその捜査に納得が行かず、不審を覚えました」
 独力で調査を重ねた結果、ネイヴはついに両親の死が誰かに仕組まれたものであることに気づき、その復讐を目指すことにした。
「復讐……」
 その言葉はアリスたちの脳裏に、怪盗ジャックのライバルと呼ばれる探偵、ヴェルムを思い起こさせる。
 ヴェルムが教団に敵対する理由も、両親を殺された復讐からだ。
 同じ理由を持つ二人は、しかし怪盗と探偵という、まったく逆の道を選んだ。
「俺は、白い星――辰砂の魂の欠片を持って生まれてきた」
 ネイヴは自らの胸に手を置く。
「!」
「両親の死の理由を知った俺は、この力が復讐に役立つと思い、怪盗になった」
 驚くアリスとマッドハッターとは違い、シャトンとヴァイスはその答を予測していたかのように落ち着いていた。
「なるほどな。初めて会った時から随分多くの白い星を持っているとは思ったが」
「あなたは怪盗になって集めたのね。あなたを呑み込むかもしれない辰砂の力を」
 ヴァイスの台詞の後を引き取って、シャトンが寂しげに囁いた。
 この二人は、同じく身に宿した背徳神の魂の欠片の影響により、他者の魂の様子がはっきりと見えると言う。
「呑みこまれるつもりはないよ。背徳神と違って辰砂は故意に宿主を浸食しない。そしてこの欠片を集めようとする限り、俺は教団に復讐を望むただのネイヴ=ヴァリエートである自分を自覚していられる」
 辰砂の魂は背徳神のものよりも宿主への浸食が軽い。欠片を集めるのは、あくまでも辰砂ではなくネイヴ自身の意志なのだ。
「……お前、それだけの能力があって一般校に通っていると言うことは、私の存在を知ってわざとジグラード学院を避けたな」
 ネイヴの素性と事情をある程度把握して導き出した結論に、ヴァイスが不機嫌な顔になる。
 ネイヴはヌメニア高校の生徒だ。一応エリート学校であるジグラード学院に比べれば遥かにランクが落ちる一般校である。
 ――怪盗ジャックの頭脳と身体能力をもってして、ジグラード学院の特待生枠を獲れない訳がない。
「あなたと毎日顔を突き合わせていたら、早々にバレてしまいそうなもので。それに辰砂の欠片を持っているとはいえ、俺の能力は魔導方面には開花しなかったようです」
「そういえば、さっきの非常時でも自分では魔導を使わなかったな……」
 窮地を共に乗り越える――とは言うものの、魔導に関して一方的に頼られたマッドハッターが呟く。
「偉大な魔導士の生まれ変わりだから自分も偉大な魔導士になれるとか、世の中そう簡単には行かないってこと」
「別にそれでいいじゃない。そんなこと言ったら、凶悪な神の生まれ変わりは自分も凶悪な神にならなければいけないのよ」
 ギネカの言葉に、仮面の下でマッドハッターがぎょっとし、ヴァイスやシャトンはうんうんと頷く。
「そうだな。だからこそ俺に足りない魔導系の能力を埋めるためにギネカがジグラード学院で学んでくれてる」
「マギラス――」
 ネイヴの言葉からヴァイスがギネカに苦言を呈そうとしたところで、怪盗の幼馴染はぴしゃりと言った。
「馬鹿を言わないで。私が魔導を学ぶのは私自身の人生のためよ。それが私にとって大切なことならあんたに力を貸すのも吝かではないけれど、あんたのために私の人生を捧げる訳ないでしょ」
「幼馴染が超冷たい!」
「普通よ」
「「「……」」」
 ヴァイスは、アリスは、シャトンは、マッドハッターことフートは沈黙した。
 例え料理女のコードネームを持とうと、怪盗の幼馴染だろうと、やはりギネカはどこまで行ってもギネカであった。
 そのことは彼らに驚愕と共に安堵を与える。
 もう一つの顔を見せようとも、彼女はやはりギネカ以外の何者でもない。
 そうやって落ち着いてきたところで、アリスはふと一つ気になることを尋ねた。
「でも、魔法じゃなかったら、どうやっていつも盗みを成功させているんだ?」