Pinky Promise 111

第5章 パイ泥棒の言い分

19.白の王の威厳 111

「こういうことですよ」
 ネイヴが指を弾くと、彼の手元に小さな花火のように色鮮やかな光が生まれた。
「わぁ! ……ってこれ、魔導じゃないのか?」
「違いますよ」
 ネイヴがすいと光をアリスの手に乗せるように動かす。色とりどりの光が生き物のように動いてアリスになつく。
「……これは、本当に光か? 何か見え方が――」
「おっと、鋭いですね」
「……さっきから、そこに何かあるのか?」
「え?」
 マッドハッターの問いに、アリスとヴァイス、シャトンは不思議な顔になる。
「今三人に何を見せたの?」
「小さな光を」
「なるほど」
 ギネカはギネカで不思議なことを言う。まるで彼女とマッドハッターには、この光景が見えていないように。
「見えないの?」
「違いますよ。私が見せていないのです」
「見せる?」
 ではここにある光は本当に存在するわけではないということか?
「ネイヴは催眠能力(ヒュプノシス)を持っているのよ」
「超能力者か!」
 ギネカの種明かしで合点が行く。そういえばギネカ自身も接触感応能力者だ。この二人は幼馴染の超能力コンビだったようである。
「今度は範囲を広げてみましょうか」
 マッドハッターにも能力を見せつけるつもりらしい。四人の前に、一匹の猫が突如何もない空間から現れた。
「あら、かわいい」
「触れた感触もあるのに、これが催眠だと言うのか?」
「催眠能力って、そういうものなのよ。あまりにリアルな暗示は相手を殺すことも可能よ。催眠の中では、身体感覚を支配される。暗示の中でナイフで斬りつけられたと思えば、それだけで死んでしまうこともあるの」
 それを聞いて、彼らは表情を引き締めた。
「恐ろしい程に強力な能力だな」
「純粋な破壊力とは違うけれど、人間に対しての効果は絶大ね」
 魔導と違って現実の物質に影響することはできないが、人間相手の影響は凄まじい。魔導よりも更に貴重と呼ばれる超能力であることも大きな武器だ。
 シャトンの腕の中から、幻の猫が消え去る。
「後はまぁ、持って生まれた能力をフル活用。魔導に見せているものも、様々なトリックで」
 ジャックの今日の仕事では、ケースの中を催眠で何もないように見せてから模造品の首飾りをこれ見よがしに掲げたのだと言う。
 それをマッドハッターが奪って逃走し、警察が彼を追っている間に展示室に残った警官数名を眠らせて、ケースから本物の首飾りを取り出した。
 そこでアリスは、前日に自分が直接関わった謎を思い出した。
「あれ? 昨日俺の背中にカードを貼ったのって」
「私が直接」
 ギネカの言葉に一同は思わず言葉を失う。
「――」
 マッドハッター含めこの場の全員があの展示室にいたのだ。状況もわかっている。つまり。
「……そう言えば、俺、ギネカ以外に触られた覚えない……」
 見抜けなかったアリスは、がっくりと肩を落とした。
 蓋を開けてみれば、実に単純なトリックだったわけだ。
 怪盗の演出する神秘的な“魔法”だと考えるから驚愕するのであり、助手のいる“マジック”の種などこんなものだろう。
 問題はその助手がよく知っているはずのギネカだったことだ。さすがにあのカードをつけるために背中に触れたのが、見も知らぬ他人だったならばアリスだっていくらなんでも警戒して感づいた……はず。
「ちなみにさっきの仮面には、ネイヴの催眠能力からヒントを得て装着者の姿を大人に見せる魔導がかかっているの」
「それでか!」
 手渡された仮面をもう一度取り出してまじまじと見つめ、アリスは納得する。ヴァイスとシャトンも興味深そうにそれを覗き込んだ。
「ところで本物の首飾りはどうしたの?」
 一通り種明かしをされたところで、シャトンは宝石の行方を気にして見せる。アリスとの会合が目的とはいえ、表向き今日の怪盗たちの獲物は『女神に捧ぐ首飾り』だ。
 シャトンの問いに、怪盗ジャックは平然と返した。
「すでに黒い星を抜いてマレク警部当てにお送りしていますよ」
「え?!」
 マッドハッターが驚愕する。ずっと一緒にいたはずなのにいつの間にそんなことをしていたのだ。
 ギネカとネイヴがにやりと視線を交わし合う。さすがにこのタッグで五年も怪盗を続けていたためか、手際の良さはマッドハッターたちの比ではない。つまり。
「俺の負けってことかよ?!」
「まだまだ青いな」
「ふざけんな! 人を利用するだけ利用しやがって」
 怪人マッドハッターは、絵画や美術品に宿る背徳神の欠片を集めている。それを奪われては、今日仕事をした意味がない。
「……マッドハッター、君に一つ忠告しておく」
 怪盗ジャックこと、ネイヴは改まって口を開く。
「黒い星を集めるのは構わない。だがそれを直接自分の中に取り込むのはやめろ」
「!」
 魂の欠片を持つ者は、無機物に宿った欠片を自分の魂と同化させることができる。魂の欠片は人にも無機物にも宿るが、無機物より肉体を備えた生命の方が定着しやすいのだ。
 マッドハッターはそれを知ってからずっとそうしていた。何十億、何百億もする美術品ごと盗むのは気が引けるし盗品をいつまでも手元に置いていては足もつきやすくなる。
 何より、集めた魂の欠片を自分の中に取り込んでしまえば、もう奪われる心配はない。
 魂の欠片を取り込むには、自分の手で触れて同化を念じるだけで済む。だから盗みの現場でさっさと欠片を自分の中に取り込み、空の器となった品々を後で返却していた。
「お前だってやっていることは同じだろう? 俺に何が言える」
「行動は同じだが、集めている物の性質が違う。辰砂の魂も狂気を誘発するにはするが、背徳神の魂は神の望むままに宿主を破壊的な行動へと向かわせる」
 それらの影響を受けた人間の多くが、今の睡蓮教団員の大部分なのだ。
「今は大丈夫だと考えていても、いずれ抑えきれなくなるぞ。背徳神に体を乗っ取られてしまう」
 ジャックは特殊な小瓶に詰めた黒い星をどこからともなく取り出すと、小瓶ごとマッドハッターへと手渡した。
 辰砂の魂を集めているジャック自身には、背徳神の魂の欠片は必要ない。
「そんなことにはさせねーよ」
 マッドハッターは肩をそびやかしながらその小瓶を受け取る。
「一方的には受け取れない」
 そして自分自身も、これまで手に入れたものの自らの中に取り込めなかった白い星を集めた箱を怪盗ジャックに押し付けた。
「なるほど、これで等価だな」
 背徳神の魂の欠片を取り込むことには、確かにリスクがある。だが利点も大きいのだ。魂の欠片を多く持つ者は、他の人間より優れた能力を得ることができる――だからこその、神の力だ。
「自分だって星を取り込んでいるくせに、お前が俺に何を言える」
「……」
 強大な睡蓮教団に立ち向かうためには、マッドハッター……フートには力が必要だった。
「……と言うか、二人共魂の欠片を取り込まない方法を探したら駄目なのか?」
「!」
 二人のやりとりに、横から口を挟んだのはアリスだった。
「部外者の俺としては、どっちの言い分も一理あると思う。……それに、背徳神より危険性は少ないとはいえ、辰砂の魂も狂気を誘発するって――」
「アリス」
「少しでも危険があるなら、俺はマッドハッターだけでなくジャックにも、自分が自分でなくなるかもしれない魂の取り込みなんてやめてほしいな。別の方法を探してほしい」
 道は、一つではない。だが。
「……睡蓮教団に対抗するには、神の力が必要だ」
 マッドハッターは、諦観を漂わせながら吐きだした。

「本当にそうなのか? 人間は人間の力だけで、神を超えることはできないのか?」

 途方もないことを無責任に口にしている。アリスは自分でもわかっていたが、意見を変える気はなかった。
「少なくとも、かつて神々に反逆した創造の魔術師は人間なんだろ? 人間が絶対に神を倒せない訳じゃない」
「不遜すぎる」
「ああ。でも、そもそも相手だって神じゃない。敵は睡蓮教団。どれだけ魂の欠片を集めていようと、相手は俺たちと同じ人間なんだ」
 だからこそ彼らの悪事を憎み、止めたいと願う。彼らの行為は決して神のためでも、神の裁きでもなんでもない。ただの人の欲でしかないのだから。
 アリスの台詞に対し、マッドハッター……フートは更なる諦観を漂わせて呟く。
「……どうせお前の場合は、相手が本当の神であったとしてもそれを理由に退いたりしないくせに」
「お?」
 それはある意味、アリス自身よりもアリスを理解した台詞だ。
「言われてみればその通りだな」
「アリストですものね」
 アリス、アリスト=レーヌは例え相手が神であったとしても、戦わなければいけない場面で逃げることなどしない。
 マッドハッターはそう言っているのだ。
 この事態の以前からアリストと付き合いのあるヴァイスやギネカもそれに頷いた。
 だが何故マッドハッターが、アリスのことをそんなにまで理解しているのだろう。
「これ以上話したところで、俺の結論は変わらない。……あんたたちと組む気はない」
「マッドハッター」
 疑問に答えることはなく、怪人はなれ合いを拒むかのように、やはりアリスの手を取ることを拒絶する。
「正直に言って今日は助かった。だがそれだけだ。同盟を組みたいなら、あんたたちだけでやるんだな」
 そうして彼は一人夜の闇に駆け出して姿を消した。この面子の前で魔導を使った演出など無駄だという判断だろう。
「振られたか」
「……仕方ない、ことかしら」
 もう一人の怪盗とその相棒は、似たような道を歩む相手の頑なな態度に顔を曇らせた。