Pinky Promise 112

第5章 パイ泥棒の言い分

19.白の王の威厳 112

 月明かりに小瓶を透かす。
 瓶の中に浮かんでいる球は黒と言うより銀に輝き、これが恐ろしい邪神の魂などと言われてもそうは見えないに違いない。
 脳裏に何度も何度も、アリスの言葉を思い浮かべる。
「マッドハッター……いいえ、フート」
「……大丈夫だ、ムース」
 眠り鼠の呼びかけにも彼は首を横に振る。
 もう引き返せない道を自分は歩んでいるのだ。今更仲間を得て赦されようなんて――赦されない。

 ◆◆◆◆◆

 近づいて来る人の気配に、彼らは一気に慌てた。まさかこんな場所まで捜索の手が回るとは考えていなかったからこの場所を選んだのだ。
 パトカーのサイレンは聞こえない。睡蓮教団の集団的な動きとも違う。
 だがただの通行人とも思えず、明確な意志をもってこちらへとやって来る。
「誰か来る」
「――隠れましょう!」
「いえ待って、今ならヴァイス先生がいるから、この場で変装を解けば――」
 ちょうどおもちゃ箱のような公園で放り込まれた人形のような格好をしていた怪盗とその相棒は変装を解く。
 ネイヴは怪盗ジャックからただの男子高生に、ギネカは料理女からただの女子高生に戻る。二人共こんな時のための早着替え準備は万端らしい。
 そして一人ながらやけに強い存在感と共にこの場所に現れたのは――。
「マレク警部?」
「……あら、こんばんは。警部さん」
 驚いたことに、姿を現したのは怪盗ジャックの専任、アブヤド=マレク警部だった。
 ジャックを追いまわしていたはずなのに、微塵の疲れも見せない。相変わらずの美貌だ。
 警察の部下を引き連れてもいない。
 一体彼は一人で、何のためにこんな時間にこんな場所へ?
 迂闊に問いかければ自分たちも聞き返されるしかない。けれど問わずにもいられない。
 いっそ怪盗の犯行を野次馬しに行った帰りだとでも言えばいいだろうか。 ヴァイスの自宅もネイヴがジグラード学院ではない他校の生徒であることも知らないマレク警部相手になら通用するかもしれない。
 彼らがどう誤魔化すか迷っているうちに、マレク警部はアリスたち一行を見回し、くすりと朱唇を歪めて鮮やかに笑った。
「なるほど、お揃いって訳だな」
「おそろい?」
「面子的に、そこの少年が怪盗ジャックか」
「!」
 マレク警部の視線が向いているのはネイヴだった。一同はぎょっとする。
「な、何の話でせう」
「マレク警部……? いきなり何なんですか……?」
 美貌の警部はその質問には答えず、穏やかだがどこか凄味のある笑顔で話し出す。
「先程、倉庫街の近くから逃げ出す黒服の男たちを見た。襟元に青い睡蓮模様のピンをつけ、警察から隠れるように動く奴らだ」
「……」
「残念ながら取り押さえることは叶わなかったがな」
 忌々しげに舌打ちし、彼は更に続ける。
「怪人マッドハッターと怪盗ジャック、帝都一大事の怪盗対決に睡蓮教団も動いていたという訳か」
「……」
「それで、お前たちは手を組むことにしたのか? 怪人マッドハッターがいないようだが。まさかそこの少女ではないだろう」
「え?」
 見つめられたギネカがどきりとする。
「女……そうか、ジャックの相棒なら“料理女”か」
「ええ?!」
 一方的にずばずば見抜かれるだけの怪盗一行はもはや何も言えずにただただ驚く。アリスたちにでさえ先程明かしたばかりの正体が、どうしてこんな簡単に暴かれているのか。
「あの……マレク警部。あなたは一体……」
 警部が怪盗ジャックと料理女の正体を見抜いただけであれば、さすが専任警部の眼力! で済ませても良いのだが(良くない)、彼は睡蓮教団や、彼らと怪盗たちの敵対関係にまで触れてきた。
 これはある程度事情を知っている人間の態度だ。
 もはや誤魔化しようもその必要もなさそうだと見てとり、ヴァイスが覚悟を決めて問う。
「あなたも“不思議の国の住人”なのか?」
「その通り、いつも私の知人が世話になっているようだな、“白の騎士”殿」
 あっさりと言ってのけるマレク警部に、その場の全員が驚いた。
「現役警部が“不思議の国の住人”?!」
「一応確認するけれど、あなたは睡蓮教団ではなく、教団の敵対者よね」
 元関係者とはいえ全ての幹部を知る訳ではないチェシャ猫が真正面から尋ねる。マレク警部が敵であった場合には答えてくれなさそうな質問だ。
「そうだ。むしろ敵対者の筆頭だ。ああ、お前たちとしてはどちらかと言えば敵対者をまとめるおびとは“アリス”の役目だと思っているのだろうな。ならば我々はそのサポートに回ろう」
 敵対者。「我々」と名乗るだけの集団。アリスのサポート。知人。
「あなたはまさか……!」
「私は“白の王”」

「睡蓮教団への対抗組織“白の王国”を率いる存在だ」

「あんたがそうなのか!」
 あっさりとした告白に、一番驚いたのはヴァイスである。
「……いや待てよ。マレク警部、あんたは今年で三十一だろう? 私が白の王国――ゲルトナーと教団壊滅のために動いたのは十年前だ。十年前から頭領をやっていたにしては、あんたは若すぎる」
「十七歳で犯罪的宗教団体打倒のために活動していた人間が、今更それを言うのか?」
「突っ込んで暴れ回るだけだった私と、後方支援のトップは違うだろう。経済的支援に情報統制、武器調達に公的・私的各機関との連携。二十一歳の若者がそんなことまでやれるはずがないだろう! 白の王が代替わりしたという話は聞いていない」
「そりゃ代替わりしていないからな。そして安心しろ、この先もトップは私だ」
 昨日の昼間に博物館の展示室で会った時の物腰とは違い、今のマレク警部は王と呼ばれるにふさわしい偉そうな態度で言ってのけた。
「一言で言えば、私の実年齢は三十一ではない」
「……三十一でも見た目に比べて結構歳いっているんだなと思ったのに」
「だがそういう存在は私だけではないだろう? お前たちはすでに会ったはずだ。十年、それ以上前から少年姿の変わらない美しい悪魔たちに」
 アリスたちはハッとする。
 “白兎”と“赤騎士”。
 アリスが一番初めに出会った不思議の国の住人は、ヴァイスが知る十年前もあの姿だったと言う。
「ってことは、あんたも」
「ふふふふふ。私の実年齢は秘密だ」
「……あんたが年齢を上どころか下に相当サバを読んでいたことだけはわかった」
「ま、私について詳しくはアリオス……今はフュンフ=ゲルトナー、“庭師の5”と名乗っている男に聞け」
 マレク警部、改め“白の王”は周囲を見回して何かを確認する。
「ティードルダムとティードルディーが死んだからには、残る幹部でここまでやって来そうなのはハートの王、グリフォン、ニセウミガメ、パット辺りか。まさか白兎と赤騎士は来ていまい。奴らが手を出せば私に完璧に気づかせないか、被害がこんなものでは済まないかのどちらかだ」
「白の王国は教団の幹部全員を把握しているの?」
「そうでもない。だが我々も伊達に長くあいつらと渡り合ってきてはいないからな」
 警察の方への報告は適当に上げておこう、とマレク警部は言う。
「一つだけ聞きたい」
 黙って話を聞いていたネイヴが口を開く。
「あなたが白の王だと言うのなら、これまでの怪盗ジャックとの戦いは手を抜いていたのか? ハートの女王の敵である“パイ泥棒のジャック”、その存在が教団の敵対者であると気づいたから怪盗を見逃し続けていたのか?」
「ネイヴ……」
 もしもそうだとしたら、これまで真剣に勝負しているつもりだったジャックにとってはこの上ない侮辱だ。
 ギネカがはらはらと見守る中、マレク警部はこれにもあっさりと答えた。
「安心しろ、そんなことはしていない」
 彼は相手のどんな反応にも動揺を見せず、常に自らが一番正しいと確信しているかのような堂々とした態度を貫き通す。
 まさしく王と呼ばれる者の威厳。
「私は私で思惑がある。魂の欠片が集合することは私たちにとっても望むところだ。だが、帝都の一刑事でもある私にとって、それが本当に危険な犯罪者なら見逃す道理はない」
 白の王は自分の組織の都合のために時に警察をも欺くが、だからと言って他者に害を与える存在を野放しにはしない。
「私たちは、本当の意味では教団の敵対者ではない。ただ、教団がこの世界にとって有害な存在であるから排除する。その理念は帝都の治安を守り犯罪者を取り締まる警察にも通じるものだ」
「……」
 マレク警部のことを一応は信じたらしく、ネイヴが複雑な表情ながらも頷く。
 それでもまだわからない。
「何故、そんなことを?」
「それは私よりもゲルトナーの方が詳しい話をするだろう」
 シャトンの問いに白の王はそう答える。
 そしてネイヴ――怪盗ジャックを真正面から見つめると、にやりと不敵に笑ってこう言った。
「そもそも、警察として動いているために自然と活動方法が限定される私に捕まる程度の怪盗なら、打倒教団のために何の役にも立たないしな」
「なっ……!」
「お前はせいぜい逃げ続けろ。刑事としての私に捕まるくらいなら、所詮はその程度。そうならないようにこちらも祈りつつ全力で相手をしてやる」
 ネイヴは憤慨し、ギネカは双方に呆れ、アリスたちは呆然としていた。
 マレク警部は一同に艶やかな笑みを向けると、来た時同様、堂々とした態度でこの場を去る。
 少し話をしただけだと言うのに、一同の肩にこれまでの疲れがどっとのしかかってきた。
「なぁ、これで全部話は終わった……のか?」
「どうだろうな……」
 怪盗たちの事情と戦闘を差し引いても、酷く疲れる一日だったことだけは確かだ。