Pinky Promise 113

第5章 パイ泥棒の言い分

19.白の王の威厳 113

 翌日の放課後、色々なことを確認しに一同揃ってゲルトナーの研究室を訪問すると、彼は白の王ことマレク警部の話を聞くなり爆笑し始めた。
「そんなこと言ってたの? いやー、あの方も相変わらずだわー」
「えーと……」
 本人と疑うとかもはやそういう問題ではなくなってきた。
「しかし、驚いたよ。マギラスさんが“料理女”だったなんて」
「隠していてすみません」
 ギネカは彼らにコードネームのことを黙っていたことは謝るが、怪盗の相棒であること自体を謝ることは一度もない。それが彼女の信念なのだろう。
「いやいや。そういう事情なら仕方ない。相手がうちの学院の生徒じゃなく別の学校に通っている君の幼馴染となると、僕らからしたらちょっと遠いしね」
 身内切りと言うのも少し違うが、自分たちの安全のために彼らがジャックを売ることを考えると、簡単に話せないのは当然だと言う。
「そもそもギネカがゲルトナー先生のことを知ったのってついこの前だもんな」
「うんうん、そんな簡単に信用できないのは当然だよね。でもこれで大分面子が揃って来たな」
 アリスが現れ、これまでバラバラに動いていた怪盗たちと接触し。
「ペタルダが言ってたのはこのことだったのか」
「?」
 ゲルトナーは先日会った仲間の一人に、エラフィ誘拐事件の時に動いていたギネカ始め他の生徒たちにもコードネームがあるはずだと指摘されたことを思い出す。
「あと残るは……」
「フュンフ=ゲルトナー」
 ヴァイスが改めて問いかける。
「そろそろ、お前たち白の王国について聞かせろ。私は十年も前からお前たちと協力しているのに、お前たちについて何も知らない」
「……十年前は、窓口である僕以外の存在なんか気にしていなかったよね、ルイツァーリ」
 十年前はそれでも良かった。でも今度はそうもいかない。
「今回は私の生徒たちの安全もかかっているんだ。適当にしておくわけには行かないだろう」
 アリスが、ギネカが、シャトンがヴァイスを注視する。
「君も十年で大人になったなぁ」
「爺臭いことを言うな。いくつなんだお前」
「実年齢は秘密です」
「マレク警部と同じこと言ってる……」
 その言葉にもゲルトナーはやはりからからと笑う。
「秘密って言うか、正直もう覚えてないんだよねー。生年月日から一度計算し直さなきゃ正確な数字が出て来ない」
「そんな爺ちゃん婆ちゃんみたいな……」
「君のおじいさんおばあさんより僕らは遥かに年上だよ」
 明らかに人の身の常識を超えたことを口にする。庭師の5のコードネームを持つ男は、彼らの知らぬ顔でそれを言い聞かせた。
「僕も、陛下……マレク警部も、人よりずっとずっと長く生きているんだよ」
「……ゲルトナー」
 この先に話されるのは恐ろしいことだ。ヴァイスはそう直感した。
 けれどアリスは、その先へと踏み込む。
「長くって、どれくらい?」
「黒い流れ星の神話が生まれる前まで」
「神話が?」
 創世の神話程とは言わない。だが今の表向き平和な時代が訪れる前――各地に魔獣と呼ばれる生き物が跋扈し、それを倒す勇者たちが活躍していた剣と魔法の動乱時代があった。
 その切欠が黒い流星の神話に語られる出来事。
 邪神の魂が創造の魔術師の手に寄って無数の欠片となって世界中に散らばったというお伽噺。
「僕らはある意味、この問題の当事者だ。背徳神を止めるために自らに呪いをかけ魂を引き裂いたお師様を止めることができなかった」
 お師様、とゲルトナーが口にする人物が誰なのかは、この神話を最近繰り返し聞かされたアリスたちにも察しがつく。
 けれど、あまりに途方もない時間の長さと話の壮大さに実感が湧かない。
「その師匠は――」
「創造の魔術師……辰砂」
 フュンフ=ゲルトナー。本当の名前は恐らくマレク警部に呼ばれていた“アリオス”と言うのだろう男は告げた。

「僕は“辰砂の弟子”だ。その頃から“神の眷属”として、ずっとこの姿で生きている」

 ヴァイスがやや呆然としたまま呟く。
「……ただの気合い入れた若作りじゃなかったのか」
「最近のアンチエイジングは凄いけど僕はやってません。と言うか僕をなんだと思っているんだい、ルイツァーリ」
 軽口にも勢いがない。
 何百年もこの学院にいる妖怪だと噂のあるゲルトナー。それが事実だと、一体誰が思うだろうか。
「僕は彼の弟子として、師匠である辰砂を復活させたいんだよ」
「睡蓮教団が背徳神を復活させたいように?」
「同じように聞こえるだろうけど、ちょっと違うよ。僕らは教団のように神の力を利用するつもりなんてない。ただ自分の大事な人に……お師様に生き返って欲しいだけだよ」
「――」
 それはどんなに装飾された言葉で語られる理由も届かない、簡素故に痛切な祈り。
「邪神となったグラスヴェリア様が暴走した時、お師様は止めに行っちゃったんだよね。……君たちも創世記の神話は読んだだろう? 辰砂は背徳神と手を組んで神々に反旗を翻した。あの人は元々背徳神の民だからさ」
 辰砂はともかく、その三人の弟子たちは背徳神と直接面識はないらしい。彼らが生まれる以前より背徳神は過去に犯した罪のため常闇の牢獄と呼ばれる異次元に閉じこもっていたので。
 その常闇の牢獄は、今は“影の国”と呼ばれ地上を追われた魔族の住む世界となっているらしい。
「なんで辰砂は背徳神を止めに行ったの?」
 ゲルトナーにとっては背徳神などどうでもいい。彼が取り戻したいのは、あくまでも辰砂という存在だ。
 背徳神の民なら尚更、崇める神の成すことを止める理由はないのでは?
「君ならどうする? アリス。自分の大事な人が狂気に呑まれて世界を壊すなんてとんでもないことをしようとしているのに、それを黙って見ているの?」
 邪神が世界を滅ぼそうとしたのは、狂気による暴走故のことらしい。それが彼の本意でないことは、彼の民である辰砂が誰より知っていた。
 だから彼は――。
「俺は――」
 もしも自分だったら。その状況だったら。
「俺は……止めに行く」
 そんな悲しいことはさせたくないと。
「お師様もそうだった。だから僕たちは彼を引きとめられなかった。それにあの人は言った。例え砕け散った魂の破片が降り注ぎ世界中に魔物が跋扈する世界になったとしても、人の中からそれを救う者が現れると」
 創造の魔術師は、人の身を超えた魔導士だと伝えられている。

「勇者は必ず立ち上がる。人はそれ程弱くない」

 それでも彼は人間なのだ。

「僕らは神に縋らずとも本当は生きていける。それでも神を信じるのは、ただ、神を愛して寄り添いあうだけなのだと」
「それが背徳神の教え?」
「わからない。僕がお師様の弟子になった頃には、もう背徳神様は狂ってしまっていたからね。グラスヴェリアの正しい教えを知るのは、今はまだここにいないお師様だけさ」
 弟子たちを悲しませることになると知っていて、辰砂は行ってしまった。
 彼にとって本当に守りたいものを守るために。
「そして陛下、後に白の王と呼ばれることになる方が言ったのさ。砕け散ったならばその欠片を集めればいいと」
 ゲルトナーは目を閉じてその時を思い出す。

 ――辰砂の欠片自体は地上に全て存在するのだろう。一欠けら足りずとも辰砂でないと言うのならば、一欠けらも零さず集めればいい。

 そして自分と同じく辰砂の弟子である男が言った。

 ――彼がこの広い世界の中から俺たちを見つけてくれたように、今度はこの世界の中から、無数の欠片となって散らばった彼を俺たちが見つけよう。

 あまりにも遠い日の、けれど色褪せない誓いだ。
「……」
「睡蓮教団との敵対関係はその一環だ。彼らは背徳神をあまりにも自分にとって都合のいい存在として捉え利用しようとしている。捨て置くわけにはいかないね」
 教団の力が大きくなるのを見越して対抗するためにマレクは“白の王国”を作ったのだと言う。
「睡蓮教団の一部の幹部連中は、以前“赤の王国”を名乗る組織だったんだ」
「ん?」
「教団の関連組織だよ。誰が最初にそんなことを言いだしたのかはわからないけどね。けれどいつの間にか、無害なはずの“赤の王国”が教団そのものになった」
「だからゲルトナー先生たちは白の王国?」
「そういうこと」
 長い長い神話を超えて、やっと話が現代に戻ってきた。
「俺たちも教団を追ってはいたけど、いまいち決め手がなくてね。それに最近になって怪盗ジャックやマッドハッターのような新勢力が現れた。それらの関係者たちをどうするかも悩みどころだった。そこに」
 ゲルトナーはアリスを見つめる。
「アリス。君が現れた」
 彼はこの地上で、睡蓮教団と白の王国の戦いに決着をつけるための鍵となる存在だ。
 皆が待ち望んだ主人公、物語を終わらせる存在として。
「君には期待しているよ、アリス」
 アリスが背負うものは、自分自身で思うより重いのかもしれない。