Pinky Promise 117

第5章 パイ泥棒の言い分

20.揃わないピース 117

「それでフートお兄さんはいないんだ。ふーん」
 ルルティスとムース、カナール、ローロ、ネスルたちと入れ替わりで戻ってきたアリスたちに、エラフィが事情を説明する。
「もう、一体なんだってのよ。ヴェイツェは倒れちゃうし、フートもムースも様子がおかしいし」
「疲れが溜まってるのかなぁ」
 ぽそりと呟いたアリスを、エラフィがからかう。
「あら、やっぱり私を助け出したせい? あの二人は割と苦労してくれたみたいだし」
「え、エラフィ」
「うぇ?! ちが、俺そんなつもりじゃ――」
「はいはいごめんごめん。もちろんわかってるわよ。ただの冗談」
 しかしエラフィは、ふいに真面目な顔になり溜息をつく。
「でも、最近なんだかおかしなことが多いわよね」
 彼女の言葉は、正直なことを言えばこの場の全員が密かに感じていたことだ。
 それに明確な理由があることを知っている者と知らない者に別れるだけだ。
「始めは気のせいかと思った。ヴェルムがずっと殺人事件の捜査で滅多に帰らないって言うから、それが非日常感を生み出しているんだって。でも……」
 ヴェイツェの体調不良やフートの精神不安定はヴェルムのようにハンプティ・ダンプティとは関係ない。そのはずだ。そのはずなのに。
「何か変よね。街は物騒だし」
「うん……俺もそう思う。俺たちの知らないところで、何かが起きてるんじゃないかって」
「レントお兄さんまで……」
 子どもの姿のまま、友人たちに何を言えることもないアリスは眉を曇らせる。
 フォリーがレントとエラフィの服の裾を掴んだ。
「みんな一緒だから、だから……」
「フォリーちゃん」
 普段から言葉少なく喋ることが不得意な少女にこうまで言われて、エラフィもレントも自らの不安を零すことを控えることにした。
「……そうね。きっと大丈夫よね」
 皆がエラフィを助けた時のように、フートやヴェイツェに何かがあったとしても、助けようと動く人間は必ずいる。
「私たちまで調子崩してたら話にならないわね!」
「何か買い出しにでも行くか? ヴェイツェだってもしかしたら、ただの貧血で何か口に入れた方がいいのかもしれないし」
 二人がそうして購買に向かうと、後にはアリス、シャトン、ギネカ、テラス、フォリーの五人だけが残された。
「って! エラフィ! あの子、肝心の財布忘れてるじゃない」
「十人以上の買い物だし、私たちも手伝いましょうか」
 そして更にギネカとシャトンが二人を手伝いに行ってしまう。
「ありゃりゃ……さすがに俺たちくらいはここにいた方がいいよな」
「うん。誰もいなかったらもし保健室からムースお姉さんやカナールたちが戻ってきた時に困ると思うよ」
 そう言う訳で、アリスとテラスとフォリーの三人は留守番だ。
「……さっきのフートお兄さんのそっくりさんの話だけどさ」
 一時的に話題が尽きて静まり返る食堂で、アリスはなんとはなしにこれまで思っていたことをテラスたち相手に零してみる。
「俺、実はあんまり驚いてないんだよね。前に他にもそっくりな人を見かけたから、正直あの顔ってよくあるんだなって思ってた」
「そっくり? フートお兄さんと?」
 テラスが興味深そうに話を聞いてくる。
「うん。俺が昔……」
「昔?」
「あ、いや! こ、この街に越してくる前にいたところでの話なんだけどさ!」
 慌てて誤魔化しながら、アリスは本当は十年も前の懐かしい記憶を引っ張り出してくる。
「凄く頭のいい少年がいたんだ。テラスみたいに、子どもなのにまるで大人みたいになんでもよく知ってた。白い癖っ毛に金の瞳で、フート……お兄さんにそっくりだったよ」
「へぇ……」
 テラスは少し驚いたようだった。知識面では本当は十七歳の自分でさえ勝てない彼の、こんな純粋な驚きは珍しい。
「テラスも凄いよな。でも俺、そいつのことを知ってたから、やっぱり本当に子どもの頃から頭いいやつはいるんだなって思った」
 ジグラード学院でフートに出会った時、最初は驚いたのだ。似たような顔をこの街でも見かけて。
 噂の彼は、自分と同い年。今頃はフートそっくりにでもなっているのだろうか。
「……あれ、待てよ」
 と言うか、あいつなのではないか? フートのそっくりさんは。
 何かの用事で帝都を訪れて、フートにあまりにも似ているから勘違いされたのでは?
「アリス? どうしたの?」
「あ、ううん。なんでもないんだ」
 まぁ彼が彼だったとしても、別に害はないだろう。
「君は僕が思っているより、よっぽど色々なことを経験してきたんだね」
「へ?」
 何かに合点が言ったというテラスの態度に、アリスは頭の上に疑問符を浮かべる。
「……テラスこそ、なんでもよく知ってて偉いよ。とても七歳とは思えない知識量じゃん」
「当然だよ、だって僕、生まれた時からの記憶全部あるから」
「へ?」
「正確に言うなら、生まれる前の記憶もあるけど」
「え……それって、胎児の頃の記憶?」
「そこで子どもらしくお母さんのお腹にいた時と言わないところがアリスだよね」
「う……」
 いつものことと言えばいつものことだが、テラスとのやりとりでアリスはぼろを出してばかりだ。
「……まぁ、たまにいるらしいな。その頃のこと覚えてる奴って。成長して行くにつれて忘れていくらしいけど」
「普通はそうだね。普通の子のその発言の真偽はわからないけれど。ただ僕の場合はちょっと違うから」
「違う?」
 確かにテラスは普通と言う言葉の枠組みからちょっと外れている……「特別」な感じはするが、彼が自分のことをそのように言うのは珍しい。
 テラスはずっと、自分は「普通の子ども」だと言い続けてきたから。
「“魂の欠片”って言葉知ってる?」
「え?」
「その昔邪悪な神様を、邪悪な創造の魔術師が自分ごと魂を引き裂いて倒したっていう神話」
 ――黒い流星の神話。
 睡蓮教団、そして二人の怪盗と関わった時から聞き続けてきた単語を、ここでも聞くことになるとは。
「無数の破片に引き裂かれた魂は世界中に降り注いで散らばった。背徳神と魔術師、二人分の魂の欠片」
 背徳神グラスヴェリアの魂は黒い星。創造の魔術師・辰砂の魂は白い星。
「魂の欠片は人間にも宿る。それを持って生まれた者は、先天的に人より優れた能力を備えていることが多い」
 怪人マッドハッターや、怪盗ジャック――ネイヴ=ヴァリエートがそうであるように。
「僕は、これなんだよ。そして珍しく、最初からその自覚があるタイプ」
「へ?」
 アリスは三度同じ間抜けな呟きを発する。
「魂の欠片を宿して生まれてくる人間って、ほとんどは何の自覚もない場合が多いんだ。自覚があっても、魔導の知識がなければそれが何なのか意味がわからない人も多い」
「魔法は、お伽噺」
 フォリーがぽつりと呟く。
「いつも同じ夢を見る。白い砂と青い海、仲間たちの明るい笑い声、竪琴の音。けれどある日、その砂が真っ赤に染まる。みんなみんな殺されてしまった」
 僅か七歳の子どもが受け止めるにはあまりにも凄惨な光景を、テラスはそれこそお伽噺のように謡う。
「辰砂と背徳神の記憶。でもその神話を知らなければ、ただの不思議でちょっと悲しい夢に過ぎない」
 フォリーの言うとおり、魔法はお伽噺だから。
 ほとんどの人間は、自分に魔導が使えるなんて思いもせずに生きていく。それで何も困らない。
 けれどこのジグラード学院の生徒は――彼らは違う。
「テラス……」
「でも僕には、最初からその意味がわかってた。生まれる前にちょっと色々あってね」
「生まれる前ってお前……」
「前世の記憶とかじゃないよ。僕を産む時に、お母さんが死んじゃったんだ」
「!」
 テラスの家は片親だ。父親のモンストルム警部の存在はみんな知っている。だが母親の事情は知らなかった。
 怪盗見物にあれだけぞろぞろと連れだって訪れても警部がテラスの友人である自分たちを邪険にしなかったのは、そういう訳だったのか。友人がいなければ、テラスは警察の職務で多忙な父のいない一人きりの家にずっといることになってしまう。
「……そんな顔をしないで。別に悲しくはないよ。いや、そういう言い方は駄目だな。……悲しいけど、自分で選んだことだから」
「選ぶって?」
「……」
 テラスは微笑んだままその先を語らなかった。
「アリス、頼みがあるんだ」
 話の終わり? それとも続き?
 ただ彼は、急にアリスへと、あることを頼み込んできた。
「僕には、救いたい人がいる。でも僕には、できない。彼を助けたいけれど、もうどうしようもないんだ。限界まで頑張ってみるけれど、きっと届かない」
「彼……?」
 テラスが口にした相手に、アリスは見当もつかない。
「人は、救われたい人の言葉じゃなければ届かない」
「俺の言葉なら届くって?」
「彼との付き合いは君の方が長い」
 アリスの知人で、この姿ですぐ小等部のテラスと知り合ったにも関わらずそれよりも付き合いの長い相手?

「だから、彼を助けて。――魂を救って」

「その相手は誰なんだ?」
「今は言えないんだ。それがわかった時は、もう全てが動き出している」
「なんかよくわかんないけど……」
 詳細を語る気がないテラスの言葉に困惑しながらも、彼がそう言うならばと、アリスはその頼みを引きうけることにした。
 自分に何ができるのかなんて、まだ全然わからないけれど。
「テラスがそう言うってことは、よっぽど大事なことなんだろ。わかった。俺にできることならやってみるよ」
「うん。ありがとう」
「その時が来たら、お前が教えてくれるのか?」
「たぶんね、伝えられたらいいなと思う」

 ――その時が来た時。
 ――全てが動き、そして終わった時。

 後にアリスは、テラスとのこの会話を、何度も、何度も思い返すことになる。

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