第5章 パイ泥棒の言い分
20.揃わないピース 119
「それで、倒れた原因は何なのよ」
「ただの不摂生で立ち眩みを起こしただけだよ。心配はいらない」
「とてもそうは見えなかったけど」
――ヴェイツェが倒れた翌日。
今日はエラフィとレント、ヴェイツェとルルティスの四人だけで話をしている。
他の面々はアクティヴなので、どちらかと言えばインドアなエラフィやレント、ヴェイツェが取り残されるのは別に珍しいことではない。
教室の窓から見えるいつもの風景。変わらない穏やかな日常。
それも、一枚ベールを剥げばまったく別の顔を隠し持っているのかもしれない。
けれど、今はまだ、それを彼らの多くは知らなかった。
「それでね、この前あんたが寝てる間に、みんなで夏休みの計画を立てようって話になったのよ」
「夏休みか……そう言えば、もう一ヶ月ちょっとなんだね」
季節は夏に向かっている。
「とりあえずみんなで海に行こうかって話してたんだけど」
「海……」
内陸の帝国には海がない。隣国を抜ける必要も距離もかなりあるが、それでも帝都の民は何かの折には海に行ってみたいと望む。
「ヴェイツェも行くでしょ?」
「……うーん」
「何よ、不満? 山の方がいいわけ? 子どもたちは山でキャンプもいいねーって言ってたけど」
「高等部女性陣の『虫は嫌!』の大合唱で今のところ海派が優勢」
レントが苦笑する。ちなみに小等部だが中身はお年頃のシャトンもこちらである。
「海か……そう言えばもうずっと行ってないな」
「じゃあいいじゃない」
「でも僕……あんまり水着になりたくなくってさ」
「ダイエット前の女子高生かよ!」
エラフィの激しい突っ込みに、ヴェイツェは違う違うと手を振る。
「昔事故に遭って、身体に傷があるんだよね」
「え?」
「だからあんまり、裸を見せたくないなって。特に子どもたちが一緒だと、怖いもの見せちゃいそうだし」
「ええ……?」
「初めて聞いた。大丈夫なのかヴェイツェ。もしかして倒れたのもそれが理由? 後遺症とか」
レントが気遣わしげに尋ねる。
「違うよ。倒れたのはただの体調不良。傷は痕こそ派手だけど今更体に不調を及ぼすようなものではないよ」
「何気にハードな人生送ってるのねあんた」
「先日帝都爆破未遂犯に誘拐された人に言われても……」
エラフィの人生も相当だ。
「事故のことは聞いても大丈夫なんですか? ここだけの話の方がいいですかね」
ルルティスの問いにも、ヴェイツェはけだるげに腕を振る。
「特に隠すようなことでもないよ。周知しておいてほしいものでもないけど」
「……この前、アヴァール君の保護者の連絡先を知らないからってみんなしてあたふたしてたんですけど」
「ああ、僕もう両親がいないから」
エラフィとレントがハッとした顔になる。
「その事故で。僕はぎりぎり一命を取り留めたけど、両親は間に合わなかった」
「ヴェイツェ……」
「あの時、僕も一度死んだような気がするよ」
静かな口調だが、ヴェイツェがその心境に至るまでに一体どれほどの感情の荒波を超えて来たのか。余人には計り知れなかった。
「……だからこの前、ヴァイス先生が送ろうって言ってくれたのね」
「先生は当然僕の家庭事情を御存知だから」
「そっか……そうだったんだ……」
「やだな。そんなしんみりしないでよ。亡くなったって言っても、もう随分前だよ。しばらくは祖父母と一緒に暮らしてたし」
けれどしばらくという注釈がつくと言う事は、今のヴェイツェは一人なのだ。
「それに両親の事故と言えば、僕だけじゃないだろ。アリストのところもそうだって」
「そう言えば、あそこはダイナ先生と姉弟二人きりね」
「フートのところも。それから最近知り合ったエールーカ探偵だって、御両親のことは有名だよね」
「あー……まぁ」
エラフィの幼馴染にして帝都の切り札とも呼ばれる探偵ヴェルム。彼が探偵を始めた理由は、殺害された両親の事件を解決するためだった。
「テラス君のところも確か、父親はモンストルム警部だけど母親が……」
「家庭事情と言えば、ヴァイス先生の所の二人、アリス君とシャトンちゃんも……」
「みんな色々な事情を抱えているんだよ。僕だけじゃない」
改めて考えてみると、彼らの交友関係にはそうして家族を亡くしている人間があまりにも多い。
平穏で活気に満ちた帝都。そんなものは、本当は幻想なのかもしれない。そんな風に考えさせる程に。
「やめましょう! この話!」
「そ、そうだな」
エラフィが勢いよく終了宣言をし、レントも同意する。
「じゃあ最後に一つだけ」
しかしヴェイツェはこれだけはと、今まで口にしたことのなかった本音を吐きだす。
「正直、ありがたいと思うよ。この前みたいに、僕を心配してくれる人がいるって言うのは」
「ヴェイツェ……」
「そんなの当ったり前じゃん!」
「ありがとう、みんな」
そして彼らと付き合いの短い編入生――ルルティスはヴェイツェの様子を、じっと窺っていた。
◆◆◆◆◆
「ヴァイス、俺の捜査に協力してほしい」
「……魔導の出番か」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。まずそこの判断から頼みたい」
ついにヴェルム=エールーカは、自分一人の推理ではこの事件を解決することは不可能と判断し、帝都における魔導学の第一人者であるヴァイス=ルイツァーリに依頼を持ちこんだ。
連続殺人鬼――ハンプティ・ダンプティの手に寄る被害者はすでに十名を超えている。
警察は躍起になって犯人探しを続けているが、相変わらず捜査の進展はなかった。これだけの人間が殺害されたにも関わらず、殺人鬼の影も形も見えない。
もはや世間は警察の無能を叩くという段階ではなく、ただただこの殺人鬼を恐れた。
被害者たちの接点や共通点は何も見つからず、無差別殺人と見る動きが強まっている。
だがヴェルムは知っている。これは無差別殺人ではない。
殺人鬼の標的となるのは、睡蓮教団関係者――。
ハンプティ・ダンプティの目的は恐らく、復讐。
「ハンプティ・ダンプティの殺人現場に残された痕跡や周辺の目撃証言から、俺は一つの結論を導き出した」
「この犯行は、人間の業では不可能」
一見探偵にとっての敗北宣言とも言えそうな台詞だ。
だがヴァイスと親交を持つヴェルム=エールーカがそれを口にした時は、違う意味を持つ。
「只人の手に寄る犯行でなければ、魔導士の仕業かも知れないと言う訳か。だが……」
それが人には不可能だと判断するのもあらゆる知識と勇気が必要なことだ。
事故と片付けることのできない明らかな殺人事件の現場でそれが人間業でないなどと言えば、未知の化け物がやったとでも言うようなものだ。
この時代に、そんな迷信やお伽噺はあり得ない。
「そうだ。お前にはすでに一度現場を見てもらっている。魔導の痕跡はないと言う話だったな」
「私が間違える訳はない。魔導の気配も呪詛の気配も、ハンプティ・ダンプティの仕業とされる現場にはなかった」
「他の可能性も含めてもう一度一緒に考えてもらいたい」
これ以上人間の仕業だと考えていてもどうにも成り立たない。こうしている間にも、次の犠牲者が出ているかもしれないのに。
「何か見落としがあるはずなんだ。たぶん、普通なら思いつかない、けれど誰もがすでにその答を知っているような、そんな方法が……!」
人の仕業ではなくとも、犯人は結局人でしかない。ならば用いる手段や力がいくら特殊であっても、その発想に行き着きさえすれば犯人候補を限定できるはずだ。
「この事件の謎は、絶対に解かなければならない……!」
ヴァイスにこうして依頼すると同時に、助手のジェナーに頼んであることを進めているヴェルムは、己の力不足を悔やんで悔しげに唇を噛んだ。