第5章 パイ泥棒の言い分
20.揃わないピース 120
アリスと怪盗ジャックの同盟、ヴェイツェの体調不良にフートの物思い。
――何かが動き出している。
ヴェイツェは相変わらず体調を崩しがちで、フートも悩んでいる様子を多く見せるようになった。
それでも数日が経って最初の衝撃は過ぎ去り、それぞれの人々が表の顔も裏の顔も大体いつものペースを取り戻してようやく日常が帰ってきたかと思われた頃。
「は?!」
朝食を摂りながらニュースを見ていたアリスは叫んだ。シャトンは唖然とし、ヴァイスの手元からバサリと音を立てて新聞が落ちる。
『――とのことです』
アナウンサーはもう一度、その衝撃的な説明を繰り返す。
『怪人マッドハッターに、殺人の容疑がかけられました!』
「一体どうなってんの……?!」
アリスたちと手を組んではくれなかったマッドハッターだが、恐らく本来は気のいい青年なのだろうと予想される。彼が殺人などを犯す訳がない。
「まさか……」
シャトンが顎に手を当てて考え込む仕草を見せた途端、アリスの懐で携帯が鳴り出す。
着信は見慣れた友人からのものだった。
「もしもしギネカ、何の用? ……はぁ?!」
先程のニュースを見た時にも劣らぬ驚愕の声を上げたアリスに、ヴァイスやシャトンも注目する。
「怪盗ジャックの目の前で誘拐事件?! しかもそのせいでジャックが誘拐犯だと疑われてる?!」
「はあ?!」
「……!」
ヴァイスが先程のアリスのように叫び、シャトンが息を呑む。マッドハッターだけでなく、もう一人の怪盗も窮地に追い込まれていた。
「二人して一体どうなってんだよ!」
ニュースは相変わらずマッドハッターの殺人容疑に関する変わりない情報を流し、携帯電話からはギネカの硬い声が響いてくる。
『そっちは何があったの?』
「マッドハッターが殺人犯だってニュースが……」
『そう。ってことはやっぱりネイヴが言っていた通り――』
「『これは、睡蓮教団の攻撃よ』」
部屋の中と電話の向こう側で、シャトンとギネカの声が重なった。
「怪人マッドハッターと怪盗ジャックに別の事件の容疑を被せて、彼らの動きを封じる罠だわ」
シャトンの険しい表情を見つめながら、アリスは電話の向こうのギネカに尋ねる。
「ギネカ、お前たちはどうするんだ?」
『ネイヴと一緒に誘拐事件の解決を目指すわ』
「逃げないのか?」
『でも、見ちゃったんだもの。今のあなたの姿よりもっと小さな子どもが攫われるところ』
これが教団の罠だと言うのなら、その子どもは完全に巻き込まれたということになる。放っておくわけには行かない。
「……」
電話の向こうの声がネイヴに代わる。
『誘拐という手段は、俺をこの事件に引きつけるためだろうな』
怪人マッドハッターのように殺人事件となれば、怪盗の出番はない。警察が事件を解決してくれるまで潜伏するだけだ。
しかし怪盗ジャックは睡蓮教団に激しい恨みを持ち、教団にとってはマッドハッターよりも手強いとされている。
警察という追手を使うよりも、誘拐事件を囮にジャック本人を動かす方が効率が良いという教団の判断だろう。
「マッドハッターの方は? 殺人容疑をかければ活動をやめると侮られているのか?」
『いや、あれは探偵対策だろ』
「ヴェルムか……!」
アリスとシャトンがハッとし、ヴァイスが顔を顰める。
「なるほどな。世間を賑わす怪盗が殺人を犯したとなれば、人々の注目が集まるし、ヴェルムは怪人の濡れ衣を晴らすために駆けずり回ることが期待されると言う訳か」
ヴェルムは怪盗ジャックのライバルという認識だろうが、マッドハッターとの因縁もない訳ではない。
例えヴェルムが動かなくとも、警察の注意は怪盗の殺人に向けられるだろう。
マッドハッターの殺人容疑、怪盗ジャックの誘拐容疑、そこに引きつけられる探偵と警察。睡蓮教団の行動を邪魔する勢力が、一時的にほぼ全て封じられているのだ。
白の騎士ことヴァイスはフリーだが、彼はそもそも常に事件に網を張っていたり怪盗のように自ら教団を誘き寄せたりはしない。邪魔にならないという判断だろう。
――邪魔。何の邪魔だ。
マッドハッターの殺人容疑にしろジャックの誘拐容疑にしろ、こんな小賢しい罠が最後まで機能する訳がない。
人の犯行であればどこかに必ず証拠は残る。どうせ数日もあれば警察が真犯人を見つけ事件は解決するのだ。
ならば怪盗二人も探偵も警察も邪魔ができないこの数日の間で、教団側は何をしようとしている?
「今、教団の敵対勢力で残っているのは――」
ここにいるアリスたち、怪盗でも探偵でもないあくまで一般人の彼らと。
そして。
「ハンプティ・ダンプティ……!」
睡蓮教団の人間を次々に殺している殺人鬼。恐らく現在の教団にとって最も不都合な相手。
「余計な邪魔が入らないうちに、まずはハンプティ・ダンプティを狙うってこと?」
「ここまで大掛かりな罠を仕掛けるとなるとな……」
自分たちが狙われているということはあまり考え難かった。アリスたちの素性がバレているのなら、怪盗に他の事件の容疑をかけるなどという回りくどいことをせずとも直接襲撃すればいい。そしてアリスたちを攻撃したとしても、一般人であるが故に、すぐに警察に助けを求めることができる。怪盗を足止めする意味がないのだ。
怪盗二人を罠に嵌めたのは、標的を助ける可能性がある人間はそれぐらいしかいないと思われているからだろう。
――睡蓮教団はハンプティ・ダンプティの正体に辿り着いたのだろうか?
「アリス」
今アリスたちに何ができて、何をすべきなのだろう。
「私たちはどうする?」
◆◆◆◆◆
「えげつねぇなぁ」
テレビで流れるニュースを見ながらグリフォンが言う。口元には笑みを湛えて。
「そうかい? でも効果的だろう」
ソファに悠然と腰かけたハートの女王もまた笑って言う。
「怪人マッドハッター、怪盗ジャック、いくら義賊を気取ろうと、所詮君たちは犯罪者。こうなっては誰にも庇ってもらえないし、守ってくれる人もいない」
日頃の行いだね、と。ハートの女王は平然と嘯く。
「探偵の方は」
「まだハンプティ・ダンプティの事件に関わっているようです。しかし警察の方も慌ただしくなってきました。これから動きがあるかもしれません」
公然と反教団を掲げる探偵ヴェルム=エールーカが怪盗二人の事件に釣られてくれれば上々。更に白騎士を引っ張り出してくれれば最高だが、さすがにそこまではなかなか上手く行かないだろう。
「さぁ、可愛い卵ちゃんを追い詰めよう」
塀から落ちて割れる運命の、ハンプティ・ダンプティなどを名乗ったのが運の尽きだ。
睡蓮教団の、対ハンプティ・ダンプティ作戦が始まった。
◆◆◆◆◆
永い永い時の果てに、彼はようやく“彼”との“再会”を果たす。
「ようやく見つけた」
しかしこちらを振り返る姿には、自分に対して何の感情もなかった。
当然と言えば当然。彼はあくまでも“彼”の生まれ変わりであって、“彼”本人ではない。
それが寂しい。悲しい。けれど会えない時の永さを思えば、こうして再び巡り合うことができただけでも幸いなのだ。
「さすがにそんな姿だとは思ってもいなかったぞ」
「そんなとは失礼な。僕、これでも自分の容姿については結構気に入ってるんだけど」
人が両親からもらった顔にケチをつけるなと、不機嫌になる。
「“姿なき情報屋ジャバウォック”」
「怪盗ジャックには助言をするが、怪人マッドハッターには何故か厳しくいつも警察にヒントを出して彼の犯行の邪魔をする。他にも不思議の国の住人と呼ばれる様々な関係者たちに、まるでその先の運命を見計らったかのような忠告を下す」
エイス=クラブ。少年姿でトレジャーハンターを名乗る不思議の国の住人は、今のジャバウォックの裏の顔の経歴を並べ立てる。
「決して誰にも姿を見せず、誰と手を組んだりもしない、全知全能の情報屋」
エイスが彼と出会った時も、彼はこちらの正体を見抜いておきながら、無関心を貫いた。
「……我らと遺跡で出会った時も、フリーゲたちと行動を共にした時も、巧妙に自身の力を隠していたな?」
自分たちはずっと彼を探していたと言うのに、彼にとってはそうではなかったと言うのか。
「傍目にはお前と同じような人種に見える――他でもない“アリス”を目隠しに」
「隠すも何も、それが僕の限界ってだけだよ」
木の葉を隠すなら森の中。事情を知らぬ者が外側から見れば同じ印象を持つだろう少年少女の傍にいたために、彼一人が「普通」から突出することはなかった。
「僕は自分が生まれた時からの情報は何でも知ることができるけれど、それでもこの身にはこの身に宿せるだけの力しかない。無力な存在だ」
他の不思議の国の住人以上に、ジャバウォックは正体を知られてはならない存在だ。
この身体はあまりに弱々しく、非力だ。戦闘になればひとたまりもない。
「ならば我らと手を組め。“創造の魔術師・辰砂”であるお前の力を借りる代わりに、我らがお前を保護する」
“処刑人”のコードネームを持ち、白の王国でも王に継ぐ発言権を持つ者は告げる。
そして目の前の子どもの、今の名を呼んだ。
「姿なき情報屋“ジャバウォック”――テラス=モンストルムよ」
第5章 了.