Pinky Promise 121

第6章 真理の剣

21.赤の王の葬送 121

 黒い星、白い星と呼ばれる力の源。
 かつて、背徳神と創造の魔術師であったものの魂の欠片。
 彼らの記憶、精神、力は断片的なものであっても、星を宿す人間に強い影響力をもたらす。
 ある者はそれ故に高い能力を先天的に有し、
 ある者はそれ故に強い悲劇を引き起こす。
 またある者はその力でこの世の全ての事象を知り、
 幸運な一握りの者は、何も知らないまま大人になれる――。

 ◆◆◆◆◆

 かつて、彼は、普通の子どもだった。
 見た目も性格も能力も特筆すべきところは何もない。普通の家庭で普通に生まれ育ち、家族を愛し友人と遊び学校で学ぶ普通の子ども。
 しかしその平穏はある日破られた。
 他でもない彼自身を原因として。
 見た目も性格も能力も関係ない、けれど彼が彼であると言うたった一つの要因――。
 彼が、黒い星と呼ばれる背徳神の魂の欠片を有する人間であったために。

 ――ある日、まるで喪服のような黒い服を着た男女が家に訪ねてきた。
 襟元には、睡蓮が描かれた青いピンが輝いている。
 見知らぬ客を怪訝な顔で出迎えた両親は、息子を別室に追いやった。
 しばらくは話し合う声が聞こえたが、段々と両親の声量が大きくなっていく。彼はそのことに怯え、恐る恐る壁に近づいて会話を聞こうとした。
 途切れ途切れの会話を聞いたところ、驚いたことに、黒い服の男女の目的は自分だと言う。自分を迎えに来たのだと。
 初めは意味がわからなかった。迎える? どこへ?
 自分は両親の実の子で、居るべき場所も帰るべき場所もこの家だ。他に行くところなんてない。行きたいとも思わない。
 並べ立てられる難しい単語の数々はその時の彼には理解できず、後になってようやく意味が通じた。
 この時の彼に理解できたのは一つだけ。
 黒い服の男女は、「睡蓮教団」の人間だということだけだった。

 ――両親が死んだ。
 睡蓮教団に殺されたのだと気づいたのは、情けないことにしばらくしてからだった。
 事の真相に気づいた切欠は「黒い流星の神話」だった。
 言い伝えと呼ばれるものも、なかなか馬鹿にはできないものだ。探し求める答、真理は全てそこにあったのだ。
 真実はまるで彼を断罪する剣だった。
 そうして、彼は知ってしまったのだ。
 自分が、全ての原因だと言うことを。

 ……長い夢から目を覚ます。
 けれど消えない血の匂いに、これが夢か現実かも段々とわからなくなってきた。
 起き上がり自分以外誰もいない部屋を見回す。
 ――寒い。
 季節は夏に向かっている。もう半袖を着ている者も多く連日じっとりと汗ばむ陽気だ。
 なのに何故こんなにも寒いのだろう。
 身体も心も酷く凍えている。
 でも。
「……もうすぐだ」
 家族がいなくなった家はがらんとして酷く寒々しい。
 その部屋で自分自身に向けて小さく呟く。
「もうすぐ、終わる」

 彼はあの日見た睡蓮教団のメンバーの素性を追い、両親を殺した事件に関わる人間を探し出した。
 表向き接点のない人間でも、彼自身がその男女が揃って自分の家に来たことを覚えているのだ。彼は警察ではない。それ以上の証明も証拠も必要ない。
 睡蓮教団を追っている人間が自分だけでないことも知った。
 『不思議の国のアリス』という超古代文学。その中に出てくるキャラクターの名前をコードネームとして名乗る連中を“不思議の国の住人”と言う。
 教団関係者以外のコードネーム持ちはそれだけではお互いが敵か味方かもわからないはずだが、彼ですらわかるコードネーム持ちは例外なく行動が派手だった。
 怪盗ジャック。
 怪人マッドハッター。
 帝都の夜を鮮やかに駆ける二人の怪盗は、そうして存在を誇示することそのものが、教団への対抗手段なのだろう。おかげで彼にも怪盗二人は教団の敵対者なのだと言うことはわかった。
 そして、帝都の切り札と呼ばれる探偵ヴェルム=エールーカ。
 彼と同じように両親を殺されたという少年探偵が追うのもまた、両親を殺した睡蓮教団の人間だった。
 探偵には“白の騎士”と呼ばれるヴァイス=ルイツァーリが傍についていて、不思議の国の住人たちにはこちらの方が有名らしい。それで彼にも、エールーカ探偵が教団の敵対者だということが理解できたのだ。
 ――二人の怪盗と一人の探偵の活躍を新聞やニュースのあちこちで目にしながら思う。
 彼らは、どうしてこんなにも真っ直ぐで高潔なのだろう。
 睡蓮教団を憎む心は同じだろうに、怪盗も探偵も教団の人間を殺そうとは思っていないらしい。そんなことを考えていれば、あんなにも堂々と世間に姿を晒せるはずがない。
 彼のように闇を味方にこそこそと夜に紛れて復讐を果たすことを、怪盗も探偵も望んではいないのだ。
 だから、彼は誰とも手を組まない。
 憎しみを止められない。全ての敵を屠るまで心の安寧は取り戻せない。相手を殺す気のない者と手を組むことはできない。
 ……否、きっと向こうの方が自分と手を組むことを嫌がるだろう。
 この手は、血に塗れる前からあまりにも罪深い。

 両親を殺したのは睡蓮教団。
 けれど、背徳神の魂の欠片を持っていたことで、両親を死なせたのは自分なのだ。

 電話の音が鳴る。一方的な電話が。
「……また君か。“ジャバウォック”」
『調子はどう?』
「お陰様で絶好調さ」
『……無理をしちゃ駄目だよ。君が危険になるんだから』
「そんなこと、お前に気遣ってもらう必要もない」
 この正体不明の情報屋は、どうして自分などを気遣うのだろう。さっぱり訳がわからない。
 誰とも手を組む気もない自分に、姿なき情報屋と呼ばれるジャバウォックだけが、接触を望んできた。
 とはいえジャバウォック自身が誰にも姿を見せない主義なので、こうして電話で話すだけだ。それも彼には連絡先などわからず、いつも非通知の着信を受け取るだけだった。
 彼に不都合な行動を起こすでもないので放っておいたが。
 ……ジャバウォックはかつて言った。
 ――“アリス”が現れたよ。
 不思議の国の住人の名をコードネームに持つ者たち、それも教団の敵対者と呼ばれる者たち全てが待ち焦がれた存在の到来を情報屋は告げた。
 ――“アリス”が君を救ってくれる。
「……救いなんて必要ない」
 それからもジャバウォックは度々連絡を入れて来たが、“アリス”の話をしたのはこの一度だけ。
 けれど彼は、それを信じてはいなかった。

 そうだ。救いなんて必要ない。
 割れた卵は戻らない。王様の兵を集めても、王様の馬を集めても。
 喪われたものは決して還りはしないのだ。
 だから殺す。
 睡蓮教団。お前たちを闇の底へと叩き落し、決して光ある世界になど返さない――。

「この“ハンプティ・ダンプティ”が、貴様らの望む神の名の下に裁いてやる」

 彼の両親が死んだのは、教団が彼を手に入れるため。
 この時代、最も背徳神の存在に近しい魂を持つという彼を。