第6章 真理の剣
21.赤の王の葬送 123
――睡蓮教団はハンプティ・ダンプティの正体に辿り着いたのだろうか?
怪盗たちに嫌疑がかけられ、睡蓮教団の狙いを知った夜。彼らは今後の方針について話し合った。
「アリス」
今アリスたちに何ができて、何をすべきなのだろう。
「私たちはどうする?」
シャトンの問いに、アリスは答えた。
「ハンプティ・ダンプティを探そう」
アリスのひたむきな眼差しに、シャトンは言われるまでもなくその答を知る。
「彼を救うのね」
「そうだ」
ハンプティ・ダンプティはアリスたちと同じく、教団の敵対者だ。
「おいおい。……わかっているのか? 相手は正体もわからない連続殺人鬼だぞ?」
一番新しいニュースでは、これで被害者が十六人に増えたと言っていた。
ヴァイスの言葉に、シャトンが口を挟む。
「間接的に死なせた数なら、多分私の方が多いわ」
「……シャトン」
「私は自分の我儘で――過去を取り戻したくて、危険な術を作って、それが利用されるのを止めることもできず――多くの人を殺したわ」
直接自分の手で殺した訳ではなくとも、シャトンの禁呪で死んだ人間の数は白兎の役目を考えれば数え切れない。
教団の敵を、不都合となる人間を幾人も幾人も、存在から消してしまった時を盗む禁呪。
それでもアリスたちは受け入れてくれた。ならば、同じ立場のハンプティ・ダンプティをシャトンが受け入れないはずがない。
そしてアリスは。
「もしハンプティ・ダンプティが俺たちと道を違える者だとしても、その前に一度話を聞いてみたい。結果的に敵対するとしても、このまま教団にハンプティ・ダンプティを殺されるよりはマシだ」
恐ろしい連続殺人鬼。
増え続ける被害者の数。
残虐な殺害方法。
世間は騒ぎ立てる。ハンプティ・ダンプティは人の心を持たない犯罪者だと。
――本当に?
「俺たちは、まだハンプティ・ダンプティのことを何も知らないんだ。知らない人間を悪く言うことはできないよ。まずは、ハンプティ・ダンプティを見つけないと」
彼が今いる場所が、どれ程血塗られた闇であろうと。
「……好きにしろ。だが危険な真似はよせよ」
ヴァイスが溜息と共に吐きだした。
「わかってる。それに相手が本当に教団を憎んでいるだけの復讐者なら、同じように教団の被害を受けた俺たちには手を出さないはずだろ?」
「わからないだろう。自分の罪を隠すために、目撃者は全て消す方針かもしれないぞ」
「だとしたら、その時は戦えばいい」
でも今は、それよりも彼を救う方法を考える。
◆◆◆◆◆
一日の授業を受け終え、アリスとシャトンはマンションに戻ってきた。
今日は小等部の小さな友人たちと遊ぶ気分でもない。
自分たちにはやらねばならないことがある。
これからの考えをまとめようとしたところで、チャイムが鳴った。
「はーい」
「二人とも大丈夫?」
ヴァイスが留守にしているので、ダイナが様子を見に来てくれたのだ。
「うん。平気だよ」
「このくらい慣れているわ」
帝都の魔導学の権威であるヴァイスは、探偵ヴェルム=エールーカの手伝いに行っているのだ。元々はハンプティ・ダンプティによる殺人事件の捜査の手伝いのはずだったが、急遽怪人マッドハッターに掛けられた容疑を晴らすために借り出されているらしい。
食事を作るダイナからは離れ、アリスとシャトンはハンプティ・ダンプティの正体を突き止めるための会議を続ける。
「一番の謎は、やっぱり殺害方法だと思うの」
シャトンが切り出す。
「残虐な殺し方、人間には不可能な業。これってどう思う?」
アリスは魔導に関しては自分よりもずっと詳しいシャトンに尋ねた。
「……イモムシは、魔導でもない限り人間には不可能な犯行という結論を下したのよね」
「でもヴァイスは、ハンプティ・ダンプティの犯行には魔導が使われた気配はないって」
とはいえ探偵としてのヴェルムの判断を信用している。彼がトリックの痕跡を見つけられない現場なら、確かにその犯行は人間業ではないのだろう。
同様にヴァイスのことも疑うことはできない。彼がそれは魔導ではないと言ったのなら、ハンプティ・ダンプティの現場で「通常の」魔導は使われていないのだ。
ならばハンプティ・ダンプティは、一体どんな方法で教団員を殺害したのか。
それが魔導寄りの手段であれば、方法の特殊性から一気にハンプティ・ダンプティの正体に辿り着けるかもしれない。
「警察の鑑識もヴェルムの推理も犯人が被害者と接触した証拠を見つけられないってことは、逆に言えば使われたのは『直接手を触れずに相手を殺す方法』だと思うの」
「そんなことできるのか? ええと、推理小説でよくあるようなワイヤーを使ったトリックとかそう言うのじゃなしに、魔導でってことだろ?」
「いくつかあるわよ。大体が相手の体を操るものだけど」
「あ、催眠術みたいなものか」
催眠と言う言葉で、一瞬ジャックことネイヴの力を思い出す。
だが本当に催眠なら逆に身体には傷がつかないはずだ。それにそんな特殊能力だと、能力がばれたら一環の終わりである。
「もしくはマリオネットみたいに魔導の糸を絡ませるか。でも、これだと白騎士が痕跡を見つけられると思うの」
「魔導に似た、でも魔導の痕跡を遺さない、魔導以外の力」
「あえて魔導ではないと言う言葉に拘るなら、もう一つ別の手段があるわ」
「魔導じゃない別の手段って?」
「――呪詛」
ぽつりと落とされたシャトンの言葉に、アリスはハッとする。
「呪物を媒体に相手に呪いをかける。髪の毛を入れた藁人形に五寸釘を刺したところで、死体に証拠は残らないわ。ただ、これだと魔導以上に痕跡が残る」
「ヴァイスの奴が気づかないはずはないだろうな」
人を呪わば穴二つ。呪いは、被害者の怨念自体が呪詛の源に逆流して強い痕跡を残す。だから優れた呪師は呪詛返しの法にも長けている。
とはいえ。
「……何かを見落としているような気がするわ。もっと単純な何かを」
余計なヴェールに目隠しされて見えない真実は、本当はもっと単純な、当たり前のものなのではないのか。
シャトンの中にはそんな疑心が消えない。
「……俺もそんな気がする」
魔導。それに呪詛。
その二つの言葉が、記憶の何かを刺激する。つい最近聞いたような言葉だ。……どこで?
「魔導にしろ呪詛にしろ、ヴァイスは何故痕跡を見つけられないんだろうな」
「痕跡自体が残らない。もしくは、あっても知覚できない。この二通りかしら。魔導の痕跡は指紋と違って拭えるようなものでもないし」
「だとすると痕跡の残らない魔導トリックを解くってことになるのか」
トリックという言葉を出すと、真実から逆に離れる感じがする。既存の知識で痕跡を遺さず魔導を使うやり方――ではない。その程度の小細工はやはりヴァイスが見抜くはず。
「何かがあるはずなんだ。痕跡が残らなくて当たり前、みたいな何かが」
「こら」
突然横から声をかけられて二人は猫の子のように飛びあがった。
「あんまり物騒な話をしないのよ。殺人事件の話題なんて」
「だ、ダイナ先生。いつの間に」
「殺害方法とかなんとか、物騒な言葉が聞こえたわよ……あら?」
二人の顔をじっと見て、ダイナは御小言をやめる。
「そうよね。事件が解決しないとルイツァーリ先生やエールーカ探偵が帰って来れないもの。なんとか協力したかったのね」
「え、ええと」
人の心に聡い部分があるダイナは、そう言って理解を示す。
彼女のこういう部分が人の好感を集めるのだが、今は少しだけ誤解してくれて助かった。
「ダイナ先生は、痕跡の残らない魔導で人を殺す方法って何か思い浮かびます?」
「シャトン」
「一応聞いてみてもいいじゃない」
三人寄れば文殊の知恵ではないが、別の人間の視点が欲しくなったらしいシャトンが駄目元で尋ねてみる。
「痕跡? そうねぇ……」
ダイナはヴァイスと違って魔導だけが専門の講師ではないが、造詣自体は深い。
何か事態を解く鍵を思いついてくれるかもしれない。
「魔導を使えば必ず痕跡が残る。今回の事件を調べたのはルイツァーリ先生でしょう? 普通の人間が彼に気づかれないレベルで魔導の痕跡を誤魔化すのは無理だと思うわよ」
「やっぱりそうか……」
「それでも魔導によって誰にも知られず痕跡を遺さず人を殺すなら、方法は一つしかないわ」
「あるの?!」
「その方法って?」
想像もしていなかった程あっさりと告げられた言葉に、アリスとシャトンは 思わずダイナに詰め寄った。
子ども二人を前にして、神妙な顔のダイナは口を開く。
何かを見落としている。
それは当たり前のもの、誰もが知っているもの。
だから、誰も気づかない。
「神の力よ」