第6章 真理の剣
21.赤の王の葬送 124
怪盗ジャックは白い星、辰砂の魂の欠片を集める。
怪人マッドハッターは黒い星、背徳神の魂の欠片を集める。
魂の欠片を集めれば、それだけ能力が上がる。睡蓮教団に対抗するには、邪神や創造の魔術師の力が必要だと。
誰もがそう思っていたのだ。だから、この世界に無数に散らばった欠片を集めていた。
では、ハンプティ・ダンプティは?
「神の、力……?」
「!」
ダイナの答にアリスは眉根を寄せ、シャトンは息を呑んだ。
「アリス君は魂の欠片を持っていない普通の人間だから、ぴんと来ないかも知れないわね」
ダイナがごく普通に魂の欠片の話をしているのは、彼女もそれを持つ魔導の名手だから、でいいのだろうか。
けれど今はそれ以上に、ハンプティ・ダンプティの殺人方法の話が気になった。
「……?」
「この世で、最も有名な呪詛は?」
「え、ええと」
優等生のアリスト時代にはほとんど答に詰まることのなかったアリスが、戸惑って言葉を濁す。
「黒い流れ星の神話……」
シャトンが呆然と口にする。
「そう。創造の魔術師は邪神を止めるため――」
ゲルトナーに聞かされた話。
続きの内容に思い至った途端、アリスもまた、呆然と口にした。
「辰砂は自分の魂ごと、背徳神の魂を砕くように呪いをかけた……!!」
それは最強の呪物。
決して魔導で感知することのできない媒体。
「じゃあハンプティ・ダンプティは、睡蓮教団の人間を殺すために、自分の魂を砕いて呪詛を行っているって言うのか……?!」
「そんなの魂の自殺もいいところだわ……!」
シャトンの声は、まるで悲鳴のようだった。
辿り着いた真実の残酷さに蒼白になる。
告げたダイナの方は、酷く冷静な顔だった。
「普通の覚悟でできることではないわ。けれど、それだけの理由があるのだとしたら?」
魂を削ってまでも、睡蓮教団を滅ぼす。
これまで対峙してきた誰よりも強い――悲壮なまでの覚悟。復讐心。
「ハンプティ・ダンプティは一体何者なんだ……?」
文字通り、自らの命すら捧げた復讐だ。復讐を遂げることそのものが目的になっていて、終わった後のことなどまったく考えていないのだろう。――最初から生き残る気がない。
ハンプティ・ダンプティが現場に証拠を残さないのは罪を免れたいからではなく、全ての復讐を遂げるまでは捕まりたくないから。
唯一現場に遺すカードは自らの手腕を誇示したいがためではなく、睡蓮教団への宣戦布告。
割れた卵の殻に砕け散った魂のイメージが重なる。
ダイナのこの推測が当たっているとしたら、なんて悲しい話だろう。
「……この話、伝えた方が」
「そうだ、ヴェルムに――」
伝えなければ。
やはりハンプティ・ダンプティはただの快楽殺人鬼などではない。
怪盗たちと違いすでに何人も手にかけているので庇いだてはできないが、ここでその行動を止めれば命ぐらいは助けられるかもしれない。
それとも止めない方がいいのか?
復讐を望むヴェルムやネイヴ。彼らほどの激情はアリスにはない。
アリスはまだ何も失っていないからだ。時間を盗まれたが、それは必ず取り戻すと誓っている。
警察でも軍人でもないアリスは、睡蓮教団にしろハンプティ・ダンプティにしろ、人々や国のために殺人犯を捕まえるという立場でも信念でもない。
それでも。
アリスが電話をかけようとしたところで、先に携帯の方が鳴りだした。
「誰だ?」
見覚えのない番号が着信を告げている。
◆◆◆◆◆
「世間を派手に騒がせているようだな」
「騒がせているのは私ではなく、怪盗二人ですよ」
睡蓮教団の根拠地。その一室で、レジーナは父である“赤の王”に、ハンプティ・ダンプティ対策の報告をしに来ていた。
「そのような小物、興味はない」
「……うちの団員がもう十六人も奴に殺されているのに?」
「殺人鬼など、我らの真の敵ではない。“白の王国”と“白の騎士”の罠やもしれんぞ。踊らされぬように気を付けることだ」
「……それが、あなたの考えですか。父上」
レジーナの父であり睡蓮教団のトップでもある赤の王。最近の彼はいつも同じことしか言わなくなった。
白騎士を警戒し、奴に注意しろという忠告。決して手を出してはならないと。
いや、もう十年も前から、赤の王の心には自分の組織を潰そうとした白の騎士への恐れが刻まれている。
自らの座を奪う若い力の台頭を恐れているのだ。
「ハンプティ・ダンプティが我らより先に警察の手に落ちることになれば、奴の口からこの教団のことが漏れるかもしれないのですよ」
「殺人鬼などに何が出来る」
過去に執着し続ける男は、今のこの世界を何も見ていない。
世間も。自分の作ったこの組織さえも。
「それよりレジーナ、ハートの女王としての務めを果たせ。白の騎士を打ち倒すことこそ、私の後継者であるお前の役目なのだから」
「……わかりましたよ、父上」
ハートの女王は頷いた。けれどそれは父であり教団のトップである男への臣従を示す言葉ではなかった。
「あなたがこの教団の首に相応しくないと言うことが」
「何……ぐっ?!」
高級なソファの背ごと突き破り、赤の王の胸に刃が生える。
ハートの女王の部下、グリフォンがいつの間にか忍び寄っていた。
彼が赤の王の体から剣を引き抜くと、一瞬遅れて、その傷口から真っ赤な血が噴き出した。
部屋の前の護衛はハートの王とニセウミガメの手に寄って昏倒している。
倒れた父に向かい、レジーナは囁いた。
「ご安心ください。白騎士ことヴァイス=ルイツァーリは僕が必ず始末してあげますから。ハンプティ・ダンプティ対策のついでにね」
グリフォンが刃を抜くと同時に床に崩れ落ちた父の耳には、その言葉は届いていない。
いや、とっくの昔から、レジーナの言葉が父に届いたことなどなかったのだ。
「ハンプティ・ダンプティを殺せば、あの男は必ず首を突っ込んでくる。怪盗二人と合わせて、邪魔者を一気に片付けるチャンスじゃないか」
だから、ここにいる邪魔者も片付けてしまわないと。
「あなたは老いて野心と大胆さを失った。もういいでしょう? 組織を腐らせる前に、そろそろ代替わりしてください、父上」
その時、すでに死んだと思っていた赤の王は最期の息を振り絞って言った。
「……レジーナよ。誰も時の流れには逆らえぬ。若者も必ずや老いる。だが慎重さを失った者は、そもそも老いを知ることすらできんのだ……」
「……この、死にぞこないが!」
グリフォンの手から剣を奪い取り、レジーナは父の首を斬り落とす!
真っ赤な血に塗れた赤の王は、今度こそただの赤い赤い死体になる。
「首を落とす前に死んじまってた気もしますけどね」
女王はにやにやと笑うグリフォンに、血を拭った剣を返した。
「御覧の通りだよ、睡蓮教団の最高神官は今日から僕が務める」
「トップへのご就任おめでとうございます、我らが女王陛下」
頭を下げる部下たちの前で、彼女は今度こそ本物の女王になる。
「それで、御命令は?」
「――我らが神、そして教団の敵である存在、ハンプティ・ダンプティを始末しろ」