Pinky Promise 127

第6章 真理の剣

22.怪物の正体 127

 ――何度も何度もあの日を夢に見た。

 両親が死んだ――殺された日の記憶。
 紅い炎と黒い煙が彼らを包んだ。
 鈍く鋭く、種類の違う痛みが体中にいくつも絶え間なく襲ってくる記憶と、 脳裏に焼き付く倒れて動かない人々の姿。
 彼の両親だけでなく、たくさんの人が死んだのだ。
「事故」とされたその爆発による被害で、死んだ人の数は四百人以上。
 生存者はたった一人。
 ヴェイツェ=アヴァール。自分一人だけ。

 ――あなただけでも生き残ってくれて良かった。
 ――本当に奇跡的なことだ。
 ――御両親のことは残念だけれど、あなたが助かったことだけは神様に感謝しないと。

 凄惨な事故によるただ一人の生存者、それも年端もいかない子どもであった彼に対し周囲は優しかった。
 両親亡き後ヴェイツェを引き取ってくれた祖父母も。
 彼らはそれから数年して亡くなったが、ヴェイツェがその後高校、大学と通い卒業するまで不自由のない遺産を残してくれた。
 優しい世界。優しい人々。
 事故に遭い両親を亡くした自分は世界一不幸であるのかもしれない。
 けれどその状況から救い上げてくれる手をいくつも差しのべられた、世界一幸福な人間かもしれない。
 幸と不幸は紙一重。自らを憐れんで生きるよりも、生き残ったこととそんな状況でも親切にしてくれる人がいることに感謝をして慎ましく生きて行こうと思っていた。

 それが、間違いだと知るまでは。
 全ての原因が、自分自身にあったのだと理解するまでは。

 ――事故に遭ってしばらくして、身体の変調に気づいた。
 これまで視えることがなかったものが視えるようになった。注意していなければ見落としてしまいそうな程に淡い光、人の姿に重なる影。
 だがこんなこと、誰に言えばいいか、誰に聞けばいいのかわからない。
 図書館やネットを使って調べ物をしてもどうにも胡散臭い記事ばかりに行きあたって、うまく情報を拾えない。
 友人にさりげなく話を振ろうにも、そもそも自分のようなものの見え方をしている人間がまずいないようだった。
 いよいよ八方塞になって来た時――再び、睡蓮教団を名乗る者たちがヴェイツェの前に現れた。
 そして今度は、直接ヴェイツェを教団へと勧誘したのだ。
 背徳神と創造の魔術師の神話を交えながら。

 ――あなたには、人間が持つ魂の色や形を視ることができるのではありませんか?
 ――あなたは、先天的に魂の欠片を持っている……我らの神に最も近いお方ですから。
 ――以前こちらを訪問した際に御両親から、あなたにはそんな力はないと伺いましたが……。
 ――本当のところはどうなのです?

 ヴェイツェは「知らない」と言った。
 魂など視えない。魔導のこと、神話のことなど何もわからないと。
 両親が言わなかったのは当然だ。ヴェイツェはあの「事故」に遭うまで、まったく普通の子どもだった。そんな特殊な力などない。
 彼らは嘘をついていたわけではない。
 それを主張するために、ヴェイツェ自身はここで嘘を吐く。それが何を引き寄せるかもわからないまま。

 ――この世界に不満はありませんか?

 そんなものはない。

 ――幸せになりたくはありませんか?
 ――あなたには最初から素質がある。我らの神に近づく素質が。我らの教団に来て頂ければ、何でも望みが叶いましょう。

 ……そんなものはない。

 できれば両親に生き返って欲しいけれど、そんなこと叶うはずないのだから。
 あの日に時間を巻き戻せたって、全員を助けられる道を見つけられなければ結局は同じことだ。
 自分は結局ただちっぽけな人間で、全てを救うことなんてできない。神に近づくなんてとんでもない。ただ、ただ――無力だ。

 ――あの事故の後、何か変化は――……
 ――その辺にしておけ。

 二人組の男女のうち、喋っているのはずっと女の方だった。しかし途中で男が話を遮る。
 あとは慌ただしかった。二人は形式的な挨拶の他、ヴェイツェに教団に興味が出てきたらいつでも来てくれと言い残し去った。
 この時のやりとりも、ヴェイツェにはほとんど意味がわからなかった。
 それを真に理解したのは、ジグラード学院に入学してからだった。
 中央大陸の更に中央、この帝都に存在する魔導の中心地。ジグラード学院では魔導学を学ぶことができる。
 事故の後、この目に映るようになった光といい、不思議なものは全て魔法。 そんな幼い考えで目指した進路だったが、結果的にはこれが正解だった。
 もともと独学で多少魔導学や神話をかじろうと調べていたのが功を奏し、ヴェイツェは魔導学の呑み込みが早かった。
 そして理論をある程度理解してしまうと、これまで謎だった教団とのやりとりに含まれた意図が見えた。見えてきてしまった。
 ……神話やお伽噺、言い伝えとは馬鹿にできないものだ。
 答は最初からすぐ傍にあった。近過ぎて気が付かないくらい、すぐ傍に。
 『黒い流れ星の神話』が伝える、背徳神と創造の魔術師の魂が砕かれ無数の欠片となって地上に降り注いだ事件。
 あれは本当にあった出来事なのだと。そして今も、地上には無数の魂の欠片が散らばっている。
 それは時に怪盗ジャックや怪人マッドハッターが狙う美術品や宝石、絵画に宿り。
 時に、人や動物の中に宿り。
 今も、ヴェイツェ自身の中に宿っている。

 睡蓮教団の求める、“背徳神の魂の欠片”が。

 それを知った時、何とも言えない嫌な感覚を覚えた。
 ヴェイツェはある日、魔導士としての素質が低いと言われるエラフィやレントと一緒にヴァイスの魔導学講座の一環として魂の資質の詳細を確認しに行ったことがある。
 レントはともかくエラフィは自身に魔導の素質がないことをかなり気にしていたらしい。それ以前にもヴァイスの話を聞いていたようだが、もっと詳しい説明を聞くならとレントとヴェイツェを誘って更に講義を求めたのだ。
 フートやアリスト、ギネカ、ムースは誘わなかった。彼らは元々魔導の資質がそれなりに有って、やり方を覚えれば高度な魔導も使えると言う。
 魂の資質にもそれぞれ種類があり、人によって違うのだと。同じように優秀でも、フートとアリストは違う。フートは生まれつき高い能力を持って生まれた天才で、アリストは才能だけならあるがそれは努力によって開花する秀才だと。
 ヴェイツェはフートと同じく生まれつきその資質を持つが、ある程度先天的に自らの力を使いこなせるフートと違い、ヴェイツェのそれは何もなければ一生眠っているはずの才能だったらしい。
 後天的に魂の資質を目覚めさせる手段があるとヴァイスは説明した。
 それは、死を経験することだと。
 創造の魔術師と呼ばれた辰砂も、その異相故に幾度も迫害を受け死にかけた。けれど彼はその度に死の淵から蘇りより強大な力を身につけていったらしい。
 魂は死の世界に近づくたびに、その向こうの真理に近づき、魔導を使うための第七感への道を作る。
 過去、そうやって死を経験しそこから蘇ることでより強大な力を手に入れた魔導士は多いのだと。

 事故の後から視えるようになった魂の光。
 その変化を察していたかのような睡蓮教団。
 生まれながらに背徳神の魂の欠片を持っていた自分。

 ばらばらだったパズルのピースがカチリと音を立てて嵌まる。ヴェイツェはほとんど直観的にそれを悟った。

 両親の命を奪ったあの「事故」は、そのために仕組まれたものだ。

 背徳神の魂の欠片を持つ者――喪われた神をこの世界に復活させる可能性を持つ自分を、魔導に目覚めさせるためのものだ。
 あれは事故などではない。
 睡蓮教団が仕組んだ殺人だ。
 奇跡などではない。
 感謝すべき神など、初めからいなかった。
 それがわかった。わかってしまったのだ。
 ヴェイツェ自身が黒い星を持つ者としての自覚を持った途端、それまで堰き止められていた魂の記憶が鮮やかに流れ込んでくる。
 背徳の神の悲哀と何千年も前の神話に語られる出来事の真実。
 神の力の使い方さえ――。
 その力を使って復讐へと走ることは、もはやヴェイツェにとって息をするように自然なことだった。

 そしてヴェイツェ=アヴァールは、コードネーム“ハンプティ・ダンプティ”になった。