Pinky Promise 129

第6章 真理の剣

22.怪物の正体 129

「“グリフォン”……!」
「俺のことを知っているのか、坊主」
 テラスの呟きに反応しながら、赤毛の男が近づいて来る。
「ニセウミガメとハートの王を倒したのがこんなガキ共とはなぁ。坊主、お前ハンプティ・ダンプティの仲間なのか?」
 他の大陸で傭兵経験もあるという男は、身のこなしからして他の者とは違った。
「ああ。どっちでもいいか。どっちにしろこの状況じゃ、二人共死んでもらうしかないからな」
 ヴェイツェは警戒し、テラスは無表情になる。
 厄介な男が来たものだ。テラスは思った。
「無駄な抵抗はやめろよ。後が苦しく――っておい」
 もちろん言うことを聞くことはなく、ヴェイツェとテラスは同時に脱兎のごとく駆け出した。
 逃げるためではなく、奴らを倒すために。
「二人でも連携できないだろう。武運を祈るよ」
 二人はあえて共闘することはなく、二手に分かれた。
「ありゃりゃ、逃げちまいやがった。まぁいい。ほれほれ起きろよハートの王」
 グリフォンは倒れていたハートの王を、気遣いもなく乱暴に揺すり起こした。
「ぐっ……」
「お前、どっちにやられたんだ?」
「どっち……? 私が見たのは、あの小さな青い髪の」
「ちっこい方かよ! ……ハンプティ・ダンプティはあの中高生の方だろ? ちっこいのは何者だ? ありゃ」
 教団幹部としてそれなり以上の戦闘力を持つはずのハートの王が十にも満たない子どもに昏倒させられたと聞いて、グリフォンはその無様を嘲笑う。
 しかし笑ってばかりもいられない。まったく見た目にそぐわずとも、相手がそれだけ強敵と言うことではないか。
 一体あの子どもは何なのだ?
 当然の疑問を口にし、しかしすぐに彼は考えることを放棄する。思考を働かせるよりもただ本能のままに戦闘する方が得意だ。
「まぁいい。捕まえりゃわかるし。殺せば正体なんてどうだっていいことだ」
 この世は結果が全て。死人に口なし。死者には何もできないのである。

 ◆◆◆◆◆

「もしもし?」
『……コードネーム“アリス”』
「……誰だ、あんた」
 いきなり名、それもコードネームの方を呼ばれて、アリスは警戒を露わにした。相手は自分を知っている。不思議の国の住人だ。
 しかし、今ここにいないヴェルムやギネカ、ゲルトナーのような仲間ではない。
『私は“バンダースナッチ”。姿なき情報屋、ジャバウォックの相棒……』
「“バンダースナッチ”?」
 アリスには聞き覚えがなく、隣のシャトンを見るが彼女も首を横に振った。 全く知らないコードネームだと。
 バンダースナッチは『鏡の国のアリス』の中に挿入されているジャバウォックの詩にて言及される存在であり、架空の生物の名だ。
 シャトンは息を殺してアリスの様子を見守っている。彼女にも聞こえるように、アリスは携帯をスピーカーにしようとした。その時だった。
『――けて』
「え?」
 か細い声が懇願する。
『ジャバウォックを助けて。お願い、アリス……』
 お願い。アリス。助けて。
 あの人を救って。
 たどたどしい台詞の抑揚に、アリスは覚えがあった。
「……フォリー? お前、もしかしてフォリーか?」
 子どもの姿になってしまった今の自分のクラスメイト、いつも寡黙でたまに口を開いたかと思えば抑揚の少ない喋り方をする少女、フォリー=トゥレラ。
 テラスとセットのようにいつも一緒にいる彼女が何故?
「お前がバンダースナッチってどういうことだ? ジャバウォックを助けてって、一体どういう意味なんだ?!」
「相手はフォリーさんなの?」
 驚き顔のシャトンが話を聞きたがる様子を見せたが、アリスもこの状況をまだ冷静に理解できてはいない。
『……』
「話してくれ、フォリー。俺たちは誰を助ければいいんだ?」
 まさか、と言う一つの考えが脳裏を過ぎり続ける。
「ジャバウォックって、あのジャバウォックか? いつも怪盗関係の情報を流してくる……ジャバウォックを助ければいいのか?」
『助けて』
 繰り返されるフォリーの言葉に、アリスは先日交わしたもう一つの約束を思い返した。

 ――僕には、救いたい人がいる。でも僕には、できない。彼を助けたいけれど、もうどうしようもないんだ。限界まで頑張ってみるけれど、きっと届かない。
 ――だから、彼を助けて。――魂を救って。
 ――その相手は誰なんだ?
 ――今は言えないんだ。それがわかった時は、もう全てが動き出している。

 フォリーは言う。
『もう間に合わないって言ってたけど、多分届かないって言ってたけど、それでも』
 アリスに連絡をとることまではジャバウォックの指示。けれどこれは、バンダースナッチことフォリー自身の願いだ。
『ジャバウォックを――テラスを助けて』

 ◆◆◆◆◆

 本日は直接会う都合がつかず、レジーナとダイナは電話で話していた。
『え……亡くなった? あなたのお父様が……?』
 移動中の車内でレジーナがそれを告げると、ダイナの心底驚いた声が聞こえてきた。
 レジーナは唯一の肉親である実父を亡くした娘とも思えぬさらりとした態度で返す。
「そう。もう歳も歳だったし、急にぽっくりとね」
『それじゃあお通夜に』
「来なくていいよ」
 友人の申し出を、レジーナはあっさりと断った。
「ダイナ、君は来なくていいよ。ほら、父の関係者ってことはさぁ――」
『レジーナ』
 彼女と父親の仲を昔から知っている友人は、電話の向こうで彼女の名を呼んだきりしばし沈黙する。
 しばらくして、ぽつりと言った。
『……昔、私たちが二人であの話をしていた頃、お父様はいたく興味をお持ちだったわね』
「そうだったね」
 懐かしい故人の記憶を思い返す。それだけではない話題の振り方に、レジーナも溜息でもって返す。
「あの人は君に魅せられていた。君が作る世界に。自分で思っているより才能ないんだよ。だから、誰かの用意した雛形が必要だった」
 本当につまらない男だったと、彼女は実の父親を嘲った。
 あの頃から何一つ変わらない。成長していない。できなかった。自分も父親も。
 ある意味、それが親子の証なのだろう。
 まったくいつだって、自分たちはただ愚かで、途方もない願いばかりを抱いている。
『お父様は、今でも――』
「……さあね」
 これ以上は、表世界の友人には零すことのできない領域の話だ。
「僕たちを見捨てた“女王”様。君にはもう関係のない話だよ」
『……レジーナ』
「じゃあね。これから会わなきゃいけない相手がいるんだ」
 彼女はダイナとの電話を切る。折しも車は目的地に到着したところだった。
「さてと……」
 電話が切れたのと同時に、彼女も表の友人との繋がりを今は断ち切って役目を果たさねばならない。
「それでは、正体不明の殺人鬼と情報屋の顔でも拝みに行きますか」
 廃ビルの前で、ハートの女王は微笑んだ。