Pinky Promise 131

第6章 真理の剣

22.怪物の正体 131

 廃ビルの中、ヴェイツェはグリフォンの襲撃を躱して逃げ回っていた。
「そこまでだぜ。ハンプティ・ダンプティ」
 これまで学院で習った魔導を犯罪に用いては来なかったヴェイツェだが、さすがにこの状況では使用せざるを得ない。
 教えてくれたヴァイスに罪悪感を覚えながら、魔導防壁を発動してグリフォンの銃撃から身を庇う。
 身体能力も多少強化している。それでもどこかで専門的な訓練でも受けているのか、グリフォンは平然と生身のままで身体強化したヴェイツェを追ってくる。
「ふん、やっぱり魔導士じゃないか。調査部門と警察は一体何やってんだよ」
 魔導を使えばその痕跡が残る。それをいつまでも発見できなかったのかと、グリフォンは同僚と警察を嘲る。
 多少の魔導を使えるぐらいでは、グリフォンの敵ではない。だからこそ彼はハートの女王の側近の一人なのだ。
「俺たち幹部クラスを、お前がこれまで殺してきた末端の奴らと一緒にされちゃ困る」
 一応ヴェイツェは幹部であるティードルダムとティードルディーも殺害しているのだが、グリフォンの中ではこの二人は別枠らしい。
 ヴェイツェにもわかった。この男相手では、ティードルダムやティードルディー相手の時のようには行かない。
 あくまで一般の学生であるヴェイツェは銃など持っていない。持っていたとしても、魔導の銃の使用はヴァイスの許可が必要なのだ。犯罪などに使えるわけない。
 ナイフならある。だがグリフォン相手では通用しないだろう。体格や身体の能力、全てを上回られている相手に接近戦を挑むのは危険だ。
 魔導を使用すること自体は決意しても、現代の魔導の使い方など、術者を多少補助する程度のものでしかない。どれ程効果的に使えたところで、もともとの実力差が大きければ影響も少ない。
 この相手に勝つ。そう思ってヴェイツェにできることは、もはやたった一つしかなかった。
 痛む胸を抑えて立ち止まる。
「ん? ――観念したか?」
 笑うグリフォンを待ち構えた――。

 ◆◆◆◆◆

 アリスとシャトンの二人は、驚くダイナに断りも入れずマンションから飛び出した。
「アリス君?! シャトンさん?!」
 ダイナに丁寧に説明をしている時間はない。
 けれど、事情を知っているヴァイスには連絡を入れた方がいい。
 シャトンはすぐに携帯を取り出しかけ始める。コール音が繰り返されるのすらもどかしい。
「シャトン、連絡は頼んだ! 俺は先に行ってる」
「アリス!」
 もうすぐ日が暮れるが、それ以上に天気が悪く空が灰色に曇っている。この状況なら手段を選んでいる場合ではないと、アリスは魔導を惜しみなく使って行動を起こした。
 身体能力を強化する術式で、体操選手も真っ青な非現実的な跳躍を可能にする。
 フォリーが電話口で切れ切れに語ったことを思い出しながら、小さな友人の顔を思い浮かべる。
「テラスがジャバウォックの正体……! 畜生、どうして気づかなかったんだ……!」
 何度も何度もヒントはあった。子どもとは思えない知識量のテラス。それがそのままヒントであり答だったのだ。彼は本当の意味では、アリスたちに何も隠していなかったのだろう。
「怪人マッドハッターに関する情報を知らせた時も、マッドハッターとジャックに関する情報を知らせた時も」
 警察とジャバウォックの話を聞いたと言って、話を持ってきた本人がジャバウォックだったのだ。詳細を知っているはずである。
 警察の無線を盗聴していたはずのギネカがそれに気づかなかった時点で、情報は“ジャバウォック”から直接“アリス”へもたらされたものだと、気づくべきだった。
 気づければ、この展開は避けられたかもしれないのだ。
「いくらハンプティ・ダンプティを止めるためだからって、一人で教団と対峙するなんて――」
 建物の上を飛ぶように走りながら、アリスはフォリーから知らされた情報を踏まえて、テラスとの話を反芻し考え続ける。
 ――彼を助けて。――魂を救って。
 テラス……そしてジャバウォックでもある少年がそう言った。フォリーによればそのテラスは今、ハンプティ・ダンプティを睡蓮教団の手から守るために出陣したのだと言う。
「お前が守りたいのは、ハンプティ・ダンプティなのか――?!」
 殺人鬼がどのような方法で復讐を行っているかに気づいたアリスやシャトンも、もうハンプティ・ダンプティをただの恐ろしい人殺しとは見れなくなってしまった。
 けれど、それでもテラスが守ろうとする相手だと言うことがわからない。どうしてテラスはハンプティ・ダンプティを守ろうとするのか。
 ハンプティ・ダンプティに会えばわかるのか?
 全てを知るためにも、アリスは彼ら二人を助けに行かねばならない。

 ◆◆◆◆◆

 そして、飛び出した二人を見送ったダイナもまた決意を固める。
 出かける支度を手早く整えながら、電話をかけ始めた。

 ◆◆◆◆◆

 ニセウミガメを昏倒させたテラスは、部屋を抜け出そうとする。
 できればハンプティ・ダンプティとグリフォンの方に駆けつけたい。
 グリフォンは別大陸で傭兵経験もある戦闘のプロ。いくら多少の魔導が使えると言ったって、一介の学生が敵う相手ではない。
 しかしここで死ぬ訳には行かない、まだ復讐相手全員を殺し終わっていないヴェイツェはグリフォンをも倒す。
 彼自身の魂を文字通り削って。
 魂を媒介にした呪詛は最強の切り札だ。誰にも留められない。だが術者自身の命をも削る。
 これ以上の負担を魂にかけては、ヴェイツェが死んでしまう。事情が事情なので、迂闊に助けも求められない。
 止められるのは、全ての事情を把握している自分だけ。
 それなのに。

 パンッ!

 銃声が届くのとテラスの体に熱い痛みが走ったのは、ほとんど同時だった。
「さすが……」
 目標を見定めたら悠長におしゃべりなどせず、最初から殺しに来ることに迷いがない。
 余計な人死にを出したくないなどと甘いことを考えないのなら、なんて確実な方法なのだろう。
 彼女は決して死を恐れない。自らのものも、他人のものも。
 そういう相手は、人の心理を揺さぶり本能的な恐怖に訴えかけることしかできないテラスには止められないのだ。
「ハートの……女王……!」
 銃口を掲げた女の前で、小さな体が血の海に沈んだ。