Pinky Promise 133

第6章 真理の剣

23.割れた卵 133

 Humpty Dumpty sat on a wall,
 Humpty Dumpty had a great fall.
 All the king’s horses and all the king’s men
 Couldn’t put Humpty together again.

 ――だから、全てを終わらせなければ。

 全てを。

 自分が背徳神の魂の欠片を持つ者であり、その自分を覚醒させるために睡蓮教団が事故を起こし、両親を含む多くの人々が犠牲となった。
 それを知ってしまい、ヴェイツェの世界は一変した。
 憎悪と絶望、そして生きていることへの罪悪感が常に自分を支配する。
 自分が生まれてきただけで、両親とたくさんの人々を死なせてしまった。
 自分がここにいるだけで。
 ……もう何を信じればいいのかわからない。
 償おうにも償えない程の罪。
 事故の話を聞きたくなかった。遺族として事故を思い出したくなかったと言う訳ではない。
 あの爆発事故で家族や友人を喪った人々の話を聞くたび、ヴェイツェは罪の意識で追い詰められていった。
 彼らの悲しみは全て自分のせいなのだ。その矛先を探すために事故の関係者がマスコミや訳知り顔の評論家に責められることも耐え難かった。
 けれど、本当のことを言えるはずもない。
 宗教的犯罪組織が邪神を蘇らせるために、その因子を持った人間を巻き込んで事故を起こし四百人以上を殺した。どうやってそれを証明するのだ。この時代に!
 ヴェイツェ自身が年端もいかない子どもの頃に事故に巻き込まれた被害者と言うこともある。きっと正気を失ったのだと憐れまれて終わりだ。
 ……本当にそうだったのなら、どれ程良かったのだろう。悪いことはみんな夢。ヴェイツェだけが醒めない悪夢を見続けているのなら。
 でもこれは現実なのだ。
 狂おしい程に、現実なのだ。
「僕が……」
 ここにいなければ。
「僕が……生まれて来なければ……!」
 誰も不幸にはならなかったのに――。

 もしも時間を巻き戻して過去に戻れるなら、生まれる前に自分を殺してやり直させて。

 こんなはずじゃない。こんなはずじゃなかった、そのはずなのに。
 自分さえ。
 自分さえ生まれて来なければ。
 自分の大切な人も、誰かの大切な人も、あんな形で死なせずに済んだ。
 なのにヴェイツェは、自分だけ生き残ってしまった。
 否、本当はヴェイツェ自身も、あの事故で死んだのだろう。
 けれど背徳神の魂の欠片を持っていたから、生き返ることができた。魂の光を見ることのできる、魔導士の第七感を持って。それこそが睡蓮教団の狙いだった。
 神の奇跡なんていらない。
 ……そんなものがあるならば、どうして邪神を蘇る余地すらなく滅ぼしてくれなかったのか。
 どうして辰砂は、背徳神を完全に殺してしまわなかったのか。
 黒い流星が世界各地に散らばった後の数百年間、世界中が魔物に脅かされ人類は滅びかけた。そんな苦しい思いをさせるとわかっていて、創造の魔術師は背徳神の魂を砕いた。
 ――しかし、この神話は、後のヴェイツェにヒントを与えた。
 両親の死から始まった全てに苦しむヴェイツェを導いたのも、皮肉なことに両親の死だった。
 生まれながらの罪人として生きる意味を見失ったヴェイツェに残されたものは、自分から全てを奪った睡蓮教団への憎しみ。
 だが、両親のことを考えれば、それでいいのだと思った。
 ヴェイツェはあくまでもヴェイツェ=アヴァールであって、背徳神グラスヴェリアではない。
 だから両親を殺した教団が憎くて当たり前なのだ。彼らが自分に背徳神としてどんな期待をかけていたのだろうと、知ったことではない。
 ならばこの先するべきことはたった一つ。
 睡蓮教団への復讐。
 絶対に赦せない、この胸の憎悪の対象である睡蓮教団の人間たちを殺す。
 できれば教団ごと潰してやりたいが、ヴェイツェにはそこまでの力はない。 けれど、あの「事故」に関わった連中は全て殺してやる。
 そのためならどんなことだってする。
 自分の命も神の魂も総てをかけて。
 そうしてヴェイツェは復讐鬼“ハンプティ・ダンプティ”となり、教団の関係者でかつての「事故」に関わった人間を次々と殺して行った。
 唯一の手がかりは直接接触した睡蓮教団の男女。探偵のヴェルムと違って確たる証拠をどこかに提出する必要のないヴェイツェにとっては、それで十分だった。
 一人情報を聞き出せば後は早い。
 皮肉なのか当然なのか、ヴェイツェを追い詰めた原因である背徳神の魂の欠片が不可能を全て可能にし、ヴェイツェの復讐を次々と叶えさせてくれた。
 だからこそ、途中で止めることもできなかった。
 もしもヴェイツェが普通の人間であったなら、両親も他の人々も巻き添えで死ぬことはなかった。
 もしもヴェイツェが普通の人間であったなら、途中で足がつき復讐を全て果たす前に警察に捕まっていたことだろう。
 復讐が遂げられて嬉しいはずなのに気分が晴れない。
 結局自分の力も存在も、人を殺すことにしか役立たないことを思い知らされる。
 生まれて来るべきではなかったのだ、自分は。
 だから、裁きの時がやってきたのかもしれない。反論する言葉を自分は持たず、救われる資格なんて最初からなかった。

「ヴェイツェ、てめぇ――!」

 救われてはいけないのだ、自分は。

『不思議の国のアリス』に登場するハンプティ・ダンプティは、マザーグースの謎かけの答である「卵」の擬人化。
 王様の兵をみんな集めても、王様の馬をみんな集めても。

 割れた卵は、決して元には戻せない――。

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