第6章 真理の剣
23.割れた卵 135
探偵ヴェルムはヴァイスの車の中から、一連の事件で知り得たことを可能な限り警察に報告していた。
まだ証拠固めは万全ではないが、もうそんなことをしている段階ではない。
「ええ。ええ、はい。そうです。これから本人に確かめに行くところなんですが――」
『ちょっと待て! 殺人犯と直接接触するつもりなのか?! 危険すぎる! 我々警察の到着を――』
「すでに友人が追っているんです! 俺だけ漫然と見ている訳にはいきません!」
『――ッ……』
電話口で渋い顔をしているだろうイスプラクトル警部の顔を思い浮かべ、ヴェルムは申し訳なく思いながらも意志を変えなかった。
「すみません。でも俺は大丈夫です。こっちにはヴァイスもいる。それより、ハンプティ・ダンプティを追っている友人たちが心配なんです」
ヴァイスはずっと無言で車を運転している。
口を開けば様々な感情が零れ落ちてしまうとでも言うように。
「畜生」
電話を切ったヴェルムは力なく毒づいて、考えても詮無いことを考える。
「後半日あれば……!」
シャトンから連絡が来た時には答にほぼ辿り着いていたのだ。後半日あれば、こんな事態にならずともハンプティ・ダンプティを確保できたはずだった。
「それこそが睡蓮教団の罠だろう」
ヴェルムがハンプティ・ダンプティの捜査を足止めされたのは、怪人マッドハッターにかけられた殺人容疑を解いていたからだった。
逆に言えば、その時間を作り出すために教団はわざわざマッドハッターに嫌疑をかけたのである。
――そしてこの時点では、まだヴェルムもヴァイスも、怪人マッドハッターの正体こそが、フート=マルティウスであることを知らない。
「ヴァイス、もし俺が邪魔なら置いて行っていいぞ」
魔導士は身体能力を強化して走る方が、下手な交通手段より早く移動できる場合もあると聞く。
「この状況じゃどうせもう走っても変わらん。渋滞にでも巻き込まれない限りはな」
教え子の危機にかけつけられない教師はそれでも平静を装ったままハンドルを握り続ける。
「畜生」
ヴェルムは再び毒づく。
「どうしていつも間に合わないんだ。手が届かないんだよ……!」
届かぬ祈りは雨に降られる車内に閉じ込められ、虚しく響いた。
◆◆◆◆◆
コール音が響く。
「フォリーちゃん、どうしたの?」
雨雲の向こうで日も沈み夜にさしかかろうと言う時間帯にも関わらず、その電話には皆が応えた。
「え? テラス君とヴェイツェが大変?」
「わかった、すぐに行くよ」
エラフィが、レントが、カナールが、ネスルが、ローロが、そして誘拐事件を解決し終わったギネカとネイヴがその連絡を受け取り行動を始める。
「乗れ! ギネカ!」
「お願いネイヴ!」
一日中バイクで移動し続け疲れ切っている怪盗コンビだったが、まだ気を抜けない。
ムースの方にはすでに、フートを止めてくれるようシャトンから連絡を入れてある。
誰もが帝都を駆けまわっていた。
大切な友人たちを救うために。
◆◆◆◆◆
二人目を殺害し終えた。
あと一人。
あと一人殺せば、ヴェイツェの復讐は達成される。
怪人マッドハッターことフートが追い付く気配を感じ、ヴェイツェはまたすぐに逃走を開始する。
胸が激しく痛む。心臓に異常はないはずだが、魂は大体この辺りに入っているとでも言うのだろうか。
身体の他の部分もあちこち痛む。
雨が降り出したからだ。気圧が下がって古傷が痛み出した。
その痛みが、ヴェイツェを少しだけ冷静にしてくれる。
否、もうとっくに狂ってしまっているだけかもしれない。
あと一人。
あと一人、殺せれば。
街の騒ぎが段々と大きくなる。ヴェイツェの行動や血まみれの格好もそうだが、追ってくる相手が怪人マッドハッターだからと言うのもあるのだろう。
ヴェイツェが今日の服装に標的殺害のため色々と仕込んでいたように、フートは怪盗であるあの格好の方が仕掛けを施してあり動きやすいのだろう。
だが捨て身加減は、自らの死さえ目前にしたヴェイツェの方が上だ。
普段の成績や元々の才能はフートの方が上。嫌と言う程よく知っているからこそ、一番大事なこの時に負ける訳にはいかなかった。
どうせ死ぬにしても、復讐を達してからだ。
最後の一人を殺すために、ヴェイツェは病院を目指す。
だが。
「そこまでだ!」
小さな人影にテラスのことを思い出してぎくりとし、鮮やかな金髪にすぐに違うと気付く。
「アリスくん……」
彼は、隣のビルから飛び移ってきたヴェイツェを病院の屋上で待ち構えていた。
降り出した雨音に負けぬよう、アリスは声を張り上げる。
「ヴェイツェ、お前の復讐はもう終わりだ。だって」
それは、今のヴェイツェが最も聞きたくなかった言葉だ。
「……お前が復讐しようとした十年前のビスク地域の爆発事故の首謀者は、さっきこの病院で息を引き取ったから――」
アリスの言葉を聞いたヴェイツェの身体から力が抜け落ちる。
終わった。
全てが終わってしまった。