Pinky Promise 136

第6章 真理の剣

23.割れた卵 136

 ハンプティ・ダンプティの復讐が終わった。
「主犯の男は自分で仕掛けた爆発事故に巻き込まれて大怪我を負った。さんざん苦しんだ挙句医療ミスで植物状態になって十年、ついさっき息を引き取ったんだ」
 ヴェルムから復讐相手の情報を聞いたアリスは、最後に狙われるのは首謀者と目されるその人物だとあたりをつけた。
 そして居場所を探すために病院の受付で聞いたところ、ついさっき亡くなったことを教えられた。
 もうヴェイツェが殺すべき相手はこの世のどこにもいない。
「神様は、ちゃんとそいつに罰を与えていたよ」
「……嘘だ!」
「本当だ。だからもう、これ以上お前が手を汚す必要なんてない」
 アリスは真っ直ぐに言い切った。

「もう終わりにしていいんだ」

「……アリスト」
 小さな少年を十七歳の友人の名で、怪人の姿をしたフート=マルティウスが呼んだ。
「フート」
 そしてアリスの方も、怪人マッドハッターの姿をした友人に呼びかける。お前の正体をもう知っているのだと伝えるために。
 七歳と十七歳の、随分高さの違う視線で睨み合う。
「そこを退け」
「嫌だ。と言うか、冷静になれよお前」
「なれるもんか! ヴェイツェは彼を殺したんだ、これが許せ――」
「違う! ヴェイツェは殺してない!」
「あの状況でそんな言い逃れをするのか?!」
「お前こそ思い出して見ろよ! テラスは何で殺されていた! ヴェイツェはその時何を持っていた?!」
「何――」
 激昂しかけたフートだったが、アリスの言葉を受けて、優秀な脳が咄嗟にあの時の光景を思い返す。
 心臓を銃で撃たれていたテラス、広がる血だまり。その傍らに膝をついて両手を血に染めていたヴェイツェ。その手には――。
「――あ……」
 その手には、何も握られていなかった。
 テラス=モンストルムを殺害したのは、ヴェイツェ=アヴァールではないのだ。
「思い出したか? 大体、ヴェイツェが銃なんか使うわけないだろ?」
 そんなことをすればすぐにヴァイスにばれる。ヴェイツェが警察に捕まらず協力要請を受けたヴァイスの目もすり抜けたのは、魂を使った呪詛という特殊な方法をとったからなのだ。
「けど!」
 フートの怒りはまだ収まらず、憎しみを向ける矛先を探している。
「だったらどうしてヴェイツェはあの場にいたんだ! あんなところで何をしていたんだよ?! どうしてあの子が死ななくちゃいけなかったんだ!?」
「……そう言えば」
 この緊迫した場面にも関わらず、アリスはしまったという顔になる。
「テラスを殺したのって、結局誰なんだ? 俺もそれ聞いてない……」
「アリスト!」
 本気で怒っているフートの声にまずいと思うのだが、聞いてないものは聞いていないのだ。
「え、いや、ちょっと待て。睡蓮教団の誰かだとは思うんだけど――」
 アリスはその状況の理由こそ心当たりはあるが、結局あの廃ビルでは睡蓮教団の姿を見ていないのだ。同時にアリスの姿も見られてはいない。それはフートの方も同じである。
「彼は……」
 廃ビルで睡蓮教団と直接対峙したのは、ヴェイツェだけだった。
 けれどそのヴェイツェも肝心なことは何一つ聞いていないことに、今気づいた。
「テラス君は……僕にもそれを言わなかった」
 真っ先に駆けつけたヴェイツェにすら、テラスは犯人の名を言わなかった。
 全てを知る情報屋ジャバウォックでありながら。
 彼がその時だけ子どもらしく取り乱して犯人の名を伝え忘れたなどと言うことは、ここにいる誰も思わなかった。何せ「あの」テラスだ。
 だからきっと。
「それが……テラスの意志だったんだよ」
 アリスの脳裏には、テラスのいつもの笑顔が自然と浮かんでくる。
 自分はただの子どもだといつも言いながら、それでもまるで、この世に不可能なことなんて何もないように笑っている。
 彼はきっと信じていた。この世に救いがあることを。
 そして望んでいなかった。ヴェイツェやフートが、テラスを殺した相手への憎しみに心を囚われることを。
 だからあえて犯人の名を告げなかったのだろう。
 代わりに彼が願ったことは一つ。
「テラスはずっと、ヴェイツェを――ハンプティ・ダンプティを救いたがっていた」
「ハンプティ・ダンプティ……?!」
 フートがぎょっとしてヴェイツェを見遣る。
 驚き、けれど納得もした。ヴェイツェが人を殺したことを。
 落ち着いているのか、まだ混乱しているのか。
 フートにはもう、何が何だかわからない。誰が何を知っているのかも。
 いつの間にかアリス――アリストに、フートが怪人マッドハッターであったことも知られてしまっている。
 そもそもフートは、テラスが姿なき情報屋ジャバウォックの正体であることも知らないのだ。
 一方のアリスはこの中ではテラスが“ジャバウォック”であることも、ヴェイツェが“ハンプティ・ダンプティ”であることも、フートが“帽子屋”怪人マッドハッターであることも知っている。
 そして。
「アリスト……?」
 ヴェイツェがその名に反応して声を上げる。
「フートはさっきから君をそう呼んでいる。アリス=アンファントリー。君は……」

 “ハンプティ・ダンプティ”は、ようやく“アリス”と出会った。

「僕の知っている、アリスト=レーヌなのか?」
「――ああ」