Pinky Promise 137

第6章 真理の剣

23.割れた卵 137

 彼らは必死で帝都を駆ける。
 間に合うと信じて。
 例え、間に合わないと知っていても。
 それでも全力で駆けただろうけれど。

 ◆◆◆◆◆

 フートは怪人マッドハッターの扮装を解く。
 ヴェイツェは返り血に黒く濡れたまま。
 三人の体を降り始めた雨がしとしとと叩いて行く。
「俺は睡蓮教団に“時を盗む”禁呪をかけられて、この姿にされた。盗まれた時間を取り返して元の姿に戻る為に、ヴァイスの力を借りながら教団への敵対者を集めて戦うことにした」
 アリスの事情は言ってしまえばそれだけだ。アリスは良くも悪くも単純な人間である。
 本当のことを言えなかった理由も、ここにいる者たちであればすでにわかっているだろう。
「……ヴェイツェは、家族を睡蓮教団に殺されたって聞いた」
「……そうだ」
「……」
 フートが反応する。
 睡蓮教団のせいで家族を失った人間は少なくはない。
 フートの兄ザーイエッツは行方不明。怪盗ジャックことネイヴ=ヴァリエートや、探偵ヴェルム=エールーカの両親は殺害された。
 ヴェイツェ……ハンプティ・ダンプティも彼らと同じだったと言うのか。
 ならばなぜ、ヴェイツェだけが探偵でも怪盗でもなく、残酷な殺人鬼の仮面を被ることを選んだのか。
 テラスは何を知り、何に巻き込まれて命を失ったのか。
「僕は……」
 アリスに無言で促され、ヴェイツェがとうとう本心を語り出す。
「僕はね……両親を殺した教団の人間を消したかった。ずっとそのために生きていた」
 魂を削り、これまで学んだ全てを悪用し。
「復讐のためだけに生きていたんだ」
 何人も手にかけた。今日殺した二人を含めれば総勢十八名。
 呪詛を使いその人物にとって最も惨い死に方を選ばせ、散々恐怖と苦痛を味わわせてから殺した。
 ヴェイツェ=アヴァールは、連続殺人鬼“ハンプティ・ダンプティ”。
 同時に彼は、それでもアリスの友人である。
「……じゃあ、復讐が果たされた今はどうするんだ?」
 アリスはまず真っ先にそれを尋ねた。横で聞いていたフートの方が驚く。罪を責めるでも血塗られた手を恐れるでもなく尋ねたアリスに。
 けれど未来を問われたヴェイツェ自身は首を横に振る。
「どうも」
「どうも?」
「どうもしない。後はもう、死ぬだけだよ」
「なっ……!」
 フートがたまりかねたように声を上げる。先程までは激昂していたとはいえ、フートにとってもやはりヴェイツェはずっと学生生活を一緒に送っていた友人なのだ。
 その友人が、ごく当たり前のように自身の死を語り出すことが信じられない。
「アリスは気付いているみたいだね。僕が教団の人間を手にかけた方法」
「自らの魂に含まれる、背徳神の魂の欠片を砕いて媒介にし、呪詛をかけて相手を操った」
「そうだ」
「魂の欠片を集めて強力な力を得ようとした、マッドハッターやジャックとは真逆の方法だな」
「その通り」
「……!」
 淡々と進む会話を横で聞くフートは、ただ息を呑むことしかできない。
「魂を削る無茶をしたから、僕自身の命ももう長くない」
 胸の上、鼓動の弱まった心臓の上に手を置いて、ヴェイツェは雨粒の冷たさに凍えただけではない青い唇を開く。
「何もしなくたって僕はもう死ぬよ。警察に捕まったところで、多分、一日持たない」
 フートこと怪人マッドハッターの追跡を振り切って無茶をしたことが、もともと限界だった身体にトドメを刺したのだろう。
 それをヴェイツェは口にせず、アリスとフートは自然と察する。
「どうしてそこまで……!」
 激昂し彼を追い詰めた自覚のあるフートがそれを問いかける。
 トドメを刺したのはフートかもしれないが、ヴェイツェはその前からハンプティ・ダンプティとして無茶な殺人を重ねてきた。
 同じように家族を亡くしたのに、ヴェイツェは他の復讐者とは違う道を選んだ。フートとも、ネイヴともヴェルムとも違う道を。
 どうしてそんなことを?
「僕の……僕のせいでたくさんの人が死んだんだよ。僕の両親も、全く関係ない、その場に居合わせただけの人も」
 他の復讐者たちとヴェイツェとの違いは、自分自身に対する罪の意識。
「僕はね、睡蓮教団が求める背徳神の魂の欠片の核を持っているんだって」
「核……」
 魂の欠片を宿す人間自体は珍しくもないと聞く。
 だから睡蓮教団はその中でも、より背徳神の憑代として適性のある人間を教団に引き込もうとするのだ。
 ヴァイスがかつて教団と敵対したのもそれが理由だと言う。人よりも余程多くの欠片を有しているからと言って、強引な勧誘にヴァイスの方がキレたのだ。
 ヴェイツェの事情は、どうやらそのヴァイスに近いらしい。近いのだが。
「僕がここにいなければ、生まれて来なければ、死ななかった人が何百人もいるんだ。テラス君のことだって……」
 アリスは眉根を寄せる。
「ヴェイツェ、お前……」
 雨に打たれているとはいえ、ヴェイツェの顔色は血の気が引き青を通り越して真っ白だった。変わらない表情だけが能面のように宵闇にぽっかりと浮かんでいる。
 その顔が、いつかのテラスと重なった。
 自分は母親を殺して生まれて来たのだと寂しそうに語ったテラス。彼がヴェイツェを救いたいと願った理由もわかった気がした。
「僕は……」

「存在自体が罪なんだよ。この世界に、生まれてくるべきじゃなかった」
「……」

「ごめんね。フート……アリスト。僕は、救われる資格なんてない。救わなくていいんだよ、“アリス”……だって」
 友人だと認識したはずのアリスをコードネームで呼び、血塗られた手の殺人者は悲しく笑う。
「僕はずっと、君たちに嘘をついていた。非道な殺人鬼の顔を隠して上辺だけで付き合っていたんだから、君たちが救うべき友人なんて、どこにもいなかったんだから」
「……!」
 フートが息を呑む。
 自分も正体を偽っていた。しかし、今のヴェイツェにどんな言葉をかけていいのかわからない。
 ハンプティ・ダンプティは悲しい程に、“アリス”の対立者だ。けれど。

「……お前が生まれて来なかったら、この前の事件、どうやってエラフィを助けるんだよ」

 アリスは言った。
「誰がエラフィの無茶に付き合って、レントのフォローするんだよ。誰がギネカと一緒に頭を悩ませて、フートのことでムースに協力するんだよ」
 もしも彼が、この世界に生まれていなかった時のことを。
「誰が、脅迫ラブレター事件で俺の相談に乗ってくれるんだよ」
「アリスト……」
「誰が、帝都の爆破を止めて皆を救えるんだよ!」
 日常で起きた他愛のない騒動。彼がいなければ救えない大勢の命がかかった事件。
 ヴェイツェ=アヴァールがいた世界。彼がいなければ救われなかった人々。
「ヴェイツェ、お前は確かに連続殺人鬼ハンプティ・ダンプティだ。だけど、エラフィ誘拐事件の時、お前は殺人鬼としての行動よりも、エラフィを助けることを優先したじゃないか!」
 どんなに姿を偽ったって、嘘をついてたって、本当のことを言えなくたって。
 変わらないものは確かにあった。
「今俺が見てるヴェイツェ=アヴァールの姿は、これまでと何も変わってなんかない!」
 ヴェイツェはアリストの友人だ。今も。今までも。