第6章 真理の剣
24.神の名の下に 143
日常が戻ってくる――。
「ようやく学校も再開、か。でも……」
「うん……やっぱり寂しいね」
人数の減った教室。
高等部のどこにもいないヴェイツェ=アヴァール。
エラフィとレントは他の者たちを待つ間、二人で話している。
「校門前に取材が来てたらしいんだけど」
「うん……」
男子高生が手も触れずに人を殺害。その場合疑われるのは魔導だ。そして魔導について教えるのは帝都でもここ、ジグラード学院しかない。
「まぁ、ヴァイス先生なら大丈夫でしょうけど」
魔導関係の講師は何人か在籍しているが、その中でもほとんどの授業をヴァイスが引き受けている状態だ。
「アリス君とシャトンちゃんも心配だね」
「それこそあの二人だもの。きっと大丈夫よ」
いざとなれば、それこそ魔導でもなんでも使って学院に登校してくるだろう。生徒が自分の通う学校に入るのにそんなことをしなければならない時点で異常事態だが。
「レントはどうしたの?」
「……親父に心配されまして」
車で職員用の入り口から入ったのだと言う。
「このお坊ちゃまめー」
「そういうエラフィは?」
「登校した時誰もいなかったわよ」
「え……何時間前に来たの?」
「だって、今までずっと私より先に来てた奴がいるんだもの」
「……」
調子が狂う。上手く今を処理できない。
テラスとヴェイツェの死と共に、何かが変わってしまった。
「おはよう二人とも」
「ギネカ!」
「おはよう。大丈夫だった?」
ギネカは先に小等部の教室に寄って子どもたちに会って来たらしい。
学院の方が不審者対策をして、この時間の生徒たちはみんな平穏に登校できているそうだ。
「不審者対策?」
「内容は聞かない方がいいわよ。結構な強硬策だから……テラス君のことを、ハンプティ・ダンプティの一件と結び付けられたくないからでしょうね。小等部の子どもたちに取材と称して無神経なことを聞くなんて許されないわよ」
同じ学院で立て続けに高等部と小等部の生徒が死亡していることに関し、世間の不審の目は逃れられないということだろう。
「しばらく騒がしい日々が続きそうね」
三人は溜息を吐く。
落ち着いて友人の死を悼むことすら、彼らには許されないのか。
「あ、あの二人も来たわね」
エラフィの声に、レントとギネカも教室の入り口へと目を向ける。
いつもの幼馴染コンビが入ってくる。
「フート、ムース」
「おう、セルフ。おはよう」
「おはようございます、皆さん」
ギネカは複雑な顔で、その二人を見つめる。
そこにいたのはムース=シェラーフェン。そして。
いなくなったはずの、フート=マルティウスと同じ顔をした少年だった。
◆◆◆◆◆
怪人マッドハッターの最後の犯行があった夜――。
「あんたたちは何者なんだ?」
近くの公園に移動して、アリスたち一行と、もう一人の怪人マッドハッターは向かい合った。
アリス、シャトン、ギネカ、ヴァイスの四人は、マッドハッターの隣に立つ少女の正体についてはもう見当がついている。
「……ムース」
「やっぱりバレますよね」
仮面を外した眠り鼠の正体はムース=シェラーフェン。
アリスたちの友人だ。
「アリスト君も色々あったようで。私はいつも現場にはいませんでしたけれど……フートから聞きました」
「フートが怪盗をやるなら、相棒はお前しかいないよな」
怪盗ジャックことネイヴの相棒料理女がギネカであるように、フートが怪人マッドハッターなら、その相棒は幼馴染のムースしかいない。
だが、そのフートは先程テラスの残留思念――魂に導かれてこの世ならざる何処かへと行ってしまった。
ここにいるもう一人の怪人は誰だ?
――仮面を外したマッドハッターの顔は、フートに瓜二つだった。
だが他でもないその顔を見て、アリスはあることに気づく。
「お前……ザイ?」
「え?」
「アリス? 何か知ってるの?」
「小学校……今の小等部じゃなくて、アリストとして帝都に引っ越してくる前に通ってた小学校時代の友人だ。え? でも……」
アリスト本来の小学生時代は数年前だ。
ザイはその時の友人。そのはずなのだけれど。
「そうだ。久しぶり、アリスト=レーヌ。懐かしいな。そして俺は――フート=マルティウスの兄、ザーイエッツ=マルティウスでもある」
「フートの兄?」
「フートのお兄さんって、私たちより十歳年上だって……」
何かの機会に聞いた話を思い出し、アリスたちは目を瞬かせた。
「君たちがそれを言うのか? 時を盗まれた“アリス”。その生き証人である君たちが」
その指摘に、アリスとギネカはハッと顔を見合わせる。
そしてある意味彼ら以上に驚いているシャトンへと視線を向けた。
「まさか……」
「そうだ。教団の天才魔導士、コードネーム“チェシャ猫”よ。俺はあんたが十年前に作った試作品の禁呪によって時を盗まれ、十年若返ってしまった。本来の俺は、今年で二十七歳になる」
一同は絶句する。
十年前にその結果なら、彼も今のアリスと同じように、高校生から一気に子どもへと変わってしまったということになる。
「だから……フートのところに帰れなかったのね」
「そういうこと」
困ったように笑う顔は、本当にフートにそっくりだった。並べば双子のように見えたに違いない。
「ムースはいつから知ってたの?」
「……つい数時間前、ザーイが私に会いに来た時に」
フートとずっと共にいた幼馴染は、彼の事情をようやく明らかにした。
「フートが怪人マッドハッターになったのは、十年前の怪盗――ザーイの後を継いでのことなんです。行方不明になったザーイを探すために、フートはマッドハッターになった……」
薄々おかしいとは思っていたのだ。フートが怪人マッドハッターなら、十年前の犯行は無理だ。年齢が合わない。
兄であるザーイエッツこそが、本来のマッドハッターだったのだと。
「私の……」
シャトンがくしゃりと顔を歪めて呻くように零した。
「私の、せいね」
「まぁ、間接的にはね」
ザーイエッツは否定せずに頷いた。そこを誤魔化しても仕方がないと言うように。
「だが十年前の禁呪は、まだ幼い君が作った試作品だったからこそ効果が不完全で俺は生き延びることができたんだ」
ザーイエッツはアリスのように魔導防壁で術の効果を軽減したわけではなく、術を喰らっても時間を全て巻き戻されて死んだりはせず、ただ若返っただけだったらしい。
それこそが術が不完全だったということだ。そこからこの禁呪を完成させるためにシャトンが要した時間が十年。
そして十年も前に禁呪の原型を作り上げていたシャトンの才能も恐ろしいが、この十年ずっと子どもの振りをして潜伏していたザーイエッツの胆力も相当なもの。
「俺たちと一緒にいる間、お前はずっと……」
ザーイエッツが苦笑する。
アリスはたびたびフートによく似たこの友人のことを思い返してはテラスと比べていたが、そうではなかったのだ。
「ザイ」はテラスのように元から大人びた子どもなのではなく、時間を盗まれて十七歳の記憶を持ったまま若返ったアリスと同じ存在だった。
そしてそのテラスが、再び二者を繋ぐ。
「俺が帝都に戻ることを選んだのは、ジャバウォックから連絡を受けたからだ」
フートが怪人マッドハッターとしてその姿を世間に現した頃、潜伏中のザーイエッツは弟の下に戻るかどうか迷っていたらしい。
いきなり真実を明かせば驚かせてしまう。けれど傍に行かなければ弟の現状すら知ることはできない。
そんな時、フートの状況を知らせたのがまだ正体を見せていなかった姿なき情報屋ジャバウォック――テラスだったのだと言う。
「さすがにジャバウォックの正体があんな小さな子どもだったのは意外だが」
「……」
テラスの名を聞くと、やはり今はまだアリスたちの心は軋む。
ザーイエッツは構わずに話し続けた。今は彼らの死を悼むより先に、やるべきことがある。
彼らを殺した、睡蓮教団を止めるのだ。
「俺はこの十年間ずっと、睡蓮教団に対抗するための力と手段――仲間を探していた」
怪人マッドハッターとして奴らに敗れ時を盗まれた時に、ザーイエッツは一人で戦い続けることは不可能だと悟ったのだ。
弟のフートは似たような道を辿りかけたが、結局はテラスのおかげでそうはならなかった。
戦う道自体を放棄したと言えるが、それでいい。望まぬ復讐などする必要はない。
だがザーイエッツは、だからこそ両親の分もフートの分もテラスの分も、全てをかけた復讐を貫く。
彼は今夜、そのための申し込みをしにここまでやって来たのだった。
「俺の今のコードネームは“三月兎”。教団の敵対者の一人として、お前たちと手を組みたい」