Pinky Promise 144

第6章 真理の剣

24.神の名の下に 144

 アリスたちは三月兎と手を組むことになった。
 眠り鼠ことムースを含めて、仲間が二人増えた。
 そして彼、ザーイエッツは“フート=マルティウス”としてしばらくジグラード学院に通うらしい。
「なんで……」
「この状況でフートがいきなり消えたら、やはりハンプティ・ダンプティの件と何か関係があるかと疑いがかかるだろう。世間の目はともかく、教団の注意を引きたくない」
 赤騎士ことルルティス=ランシェットの件もあるのだが、彼は所属しているはずの教団にアリスたちの情報を流す気がないらしいこともあって保留だ。
「俺が君たちと接触するにしても、今更フートと同じ顔の『ザイ』と新たに交流関係を築くよりも、フートに成りすました方が手っ取り早い」
「……」
 色々と思う所はあるのだが、ザーイエッツの判断は無駄がなさ過ぎてアリスたちにも反論はできなかった。
 この状況はフートがいれば生まれなかったものだ。
 彼が姿を消した以上、そのフォローは何らかの形で考えなければいけない。
 いきなり行方不明などと事件にしたり、アリスたちがメールで替え玉をするなど不自然なことになるよりは、フートと同じ顔のザーイエッツが代役を務めるのがマシ……なのかもしれない。
「エラフィとレントは気付くかしら」
「どうだろうな……違和感は覚えても、同じ顔した奴にあんたフートじゃないでしょなんて言えないだろ?」
「でもエラフィって、ヴェルムの変装は見抜いたのよね」
「そりゃ幼馴染だからな……俺とヴェルムは髪の色と体格以外はそんなにそっくりって程じゃないし」
 考えられるあらゆる問題を一つ一つ洗い出しては潰して行きながら、最後は結局感情的な問題をアリスは告げる。
「それに何より……ヴェイツェとテラスがいなくなったばかりなのに、フートまでなんて言いたくないんだ」
「……そうね」
 いつか二人も真実に気づくかもしれないが、それは今でなくていい。
 今気づいたら、あの二人も巻き込んでしまう。そんなことになって欲しくない。
 それがアリスたちの結論だった。

 ◆◆◆◆◆

 事件翌日の学院は、さすがに疲れた。
 アリスも、他の者たちも。
「ただいまー、と」
「おかえり」
「ヴァイス……早かったんだな」
「さすがにこの状況で何時間も仕事をする気にはなれん」
 アリスが帰りつくよりも早く、ヴァイスの方がすでに帰宅していた。
 ヴァイスがヴェイツェやテラスとただの教師生徒の交流を超えて仲が良かったことを他の教諭たちも知っているので、気遣ってくれたのだろう。
「むしろ、お前たちのことを心配してやれと言われた」
「そうだな……」
 アリスとシャトンにとって、テラスという友人を亡くしたばかりだからと。
 シャトンに関しては、ギネカと少し寄り道をしてから帰宅すると言う。
 事件の情報を得たいマスコミは恐らく、ヴァイスがアリスとシャトンと言う二人の生徒を預かっていることも突き止めているだろう。数日は外で一緒に行動しない方がいいというシャトン自身の判断だった。
 それに、三月兎ことザーイエッツの件でまたショックを受けている彼女自身にも気分を変えることは必要だと。
 ギネカが気晴らしに付き合う約束をしてくれたので、アリスは友人のその言葉に甘えて一足先に帰って来たのだ。
「モンストルムのことはともかく、アヴァールとマルティウスについては責任を感じている」
「……ヴァイス?」
 そうして帰宅したアリスを出迎えたのは、こうして落ち込んだヴァイスという事態だ。
 彼はテーブルの上で組んだ腕に顎を乗せるような形で俯いている。
 常に自信を失わない態度のヴァイスが、初めて見せるその様子にアリスは思わずかける言葉を失った。
「あの二人に、魔導を教えたのは私だ」
 ヴェイツェは最後の日までは犯行に魔導を使わなかった。フートは怪人マッドハッターとして、たまに魔導を使ってもいたらしい。
 ヴェイツェ――ハンプティ・ダンプティが魔導を犯行に使っていたら、ヴァイスはもっと早く真実に辿り着けただろう。
 フート――怪人マッドハッターが魔導を使わなければ、彼は怪盗として危険な活動をしようとは思わなかったかもしれない。
 どちらの悲劇にも、魔導が絡んでいる。ヴァイスの教えた魔導が。
「背徳神の魂の欠片を持つせいで、周囲を不幸にしているのは私も同じだ」
 シャトンと似たようなことを言っているなとアリスは思った。
 彼女も三月兎ことザーイエッツの境遇を聞いて、改めて自分を責めていた。
 だからアリスは、その時シャトンと交わした会話をもう一度ヴァイスと繰り返す。
「ヴァイス=ルイツァーリ講師。あんたがいなかったら、俺は教団と顔を合わせたあの日に死んでいたよ」
 時を盗まれわけもわからぬまま子どもの姿で赤騎士から逃げ回っていたアリスを救ったのは、ヴァイスとシャトン。
 二人がいなければ、アリスは今どんな姿だろうとここにいることはないのだ。
「過去を悔やんでも仕方がない。どんな道を辿っても、救える奴がいれば、救えない奴もいる。そして自分の運命を決めるのは、結局自分自身なんだ」
 降りかかる逃れられない試練が運命なのではなく。
 それに立ち向かおうと自分が選んだ時、その道はたった一つの運命となる。
 ヴェイツェもフートも、アリストやギネカ、シャトンにテラス、他の皆も。
 それぞれの道を選んだだけだ。
「……あんたがいてくれて良かった」
「アリスト……お前……」
 顔を上げたヴァイスが呆然としていた。
 面と向かって言うには、あまりにも今更な言葉だった。
 けれどそれを伝えるのが、ヴェイツェのように最期の瞬間になるのなんてアリスは御免だ。
 ――アリスト……お前は、自分の時を取り戻して……。
 友人との約束は必ず守る。
 アリスは、“アリスト”を取り戻す。睡蓮教団との戦いを諦めない。
 会話の区切りを見計らったかのように、電話が入る。
『こちら“バンダースナッチ”』
「フォリー……コードネームってことは、不思議の国関連か?」
 フォリーはテラスから自分がいなくなった後のことを頼まれていたと言い、こうしてちょくちょく連絡を入れてくる。
『“覚悟は決まったようだね、アリス”って言えって』
「テラスの奴は、一体どこまで先を読んでたんだ……?」
 創造の魔術師の魂を持つ彼は「バベルの図書館」――天の板とも年代記とも呼ばれる世界の記憶を自在に引き出すことができるらしい。
 彼にとって過去と未来は常に交錯し、今の延長線上ではなく、先の時間軸をまるで今のように知ることも出来ると言う。
そこまで行くとアリスにはさっぱり原理がわからないのだが、テラスが言うにはそうなのだ。
『……“物語の中で、正体不明の怪物ジャバウォックを倒したヴォーパルソード、これは一説には無意味な議論を一刀両断する真理の言葉だと言われている”』
 戸惑うアリスの様子は意に介さず、フォリーは生前のテラスから教えられていた通りに伝言を伝えてくる。
『“だから僕も、君に怪物を倒すための真理の剣――睡蓮教団の息の根を止めるための情報を与えたいと思う”』
「!」
 テラスが生きているうちには聞かせてくれなかった、情報屋ジャバウォックとしての助言だ。
 姿なき情報屋は本当に姿を失くした今こそ、その本領を発揮しているのかもしれない。
 アリスたちは睡蓮教団への、最高の武器を手に入れる――。

 ◆◆◆◆◆

 学院内の小さな聖堂で一人、彼女は祈りを捧げる。
 未だ遺体が返却されず、葬儀どころか墓を作ることもままならぬ少年のために。
「もう、黙っていられる状況ではないわね」
 祈りを捧げ終えると彼女は立ち上がり、友人のことを考えながら宣言する。
「レジーナ、あなたは私との約束を破り、禁を犯した。その報いは受けてもらわなければならないわ」
 手元に現在の睡蓮教団の資料を積み上げ、彼女はここまで用意してきた外套を羽織る。
 夏に向かうこの季節には似つかわしくない厚地の紅い装束。魔導用の防御被膜を施した、特注の戦闘服へと。
「決着をつけましょう。私とあなた、どちらが“女王”の名に相応しいか」
 一人の少年の死によって、もう一人の“女王”は長き沈黙を破り、再び帝都の夜に降り立つ。
 運命の歯車は、ついに物語の終わりに向けて動き出した――。

 第6章 了.

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