Pinky Promise 146

第7章 黄金の午後に還る日まで

25.赤の女王の夢 146

「学校の方、しばらく休暇を頂いたんです」
「へ?」
 いつもの夕食の席、突然のダイナの言葉にアリス、ヴァイス、シャトンの三人は目を丸くした。
「休暇って……授業を長く休むの?」
 思いがけずたどたどしい言い方になってしまったが、アリスはなんとかそう尋ねた。
「ええ、長期休暇の申請をして、その間何ヶ月かは代理の先生が勤めることになるわ」
 ここ数年、ダイナは常にジグラード学院の教師として変わることのない日々を送っていた。姉がこんな風に日常のペースを自ら変えたのは、アリスにとっても初めてだ。
 彼女が個人的な理由で何日も授業を休講にしたのは、それこそ先日のエラフィ誘拐事件の騒ぎで怪我を負った時くらいだった。
 何かが静かに変わり始めている。
「どうしてもやらなければいけないことがあって。すぐに帰って来られればいいのだけれど……」
 言いながら、ダイナは表情を曇らせた。
 わざわざ学院に長期休暇を申請し、授業を休む。そしてこういう言い方をすると言うことは、完全に家を空けるということだろうか。
「長期休暇で家を留守にするなんて、まるで世界一周旅行に出かけるみたい。どこか遠くへ行くの?」
「ええ。さすがに世界一周する訳ではないけれどね」
 シャトンの言葉に、似たようなものだとダイナは頷く。
 学院の仕事で出張する訳ではないから、確かに旅行に近いだろうと。
「それほど長くかかるのか?」
 ヴァイスの質問には、溜息交じりに答えた。
「昔から気難しかった友人を説得しなくてはいけなくて、いつになったら解決するのか見通しが立たないんです」
「友人……」
 つい最近友人を亡くしたばかりのアリスは、それを聞いて少しばかり考え込んだ。
 友人故に彼女が行動せねばならないというのなら、誰かに代わってもらうわけにはいかないのだろう。
「あの……」
 そして考え込むアリスの傍ら、恐る恐ると言った体で、シャトンが問いかけた。
「アリスト……お兄さんが帰ってくるのは待たなくていいの?」
「!」
 アリスはどきりとする。
 アリス――アリスト=レーヌは、絶対に帰ってくることをダイナに約束して帝都を出たことになっている。
 今ダイナが家を空けて長く出かけてしまうと言うのなら、アリストが戻ってきたとしてもすれ違いだ。
 尤も、アリスとしてもいまだ盗まれた時間を取り戻す具体的な方策が見つからない。
 帝都に戻るのはアリストが先かダイナが先か。
「……そうね。本当はアリストを待っていてあげたかったわ」
 ダイナの声には後ろ髪を引かれる想いが確かにある。
 けれど同時に、彼女はもはや心を決めてしまっているようだった。
「でもこれは、私がやらなければならないことなの。――あの子を止めなければ。他の誰かに任せる訳にはいかないの」
「そうなの……」
 アリスの代わりにシャトンの方が、どこか申し訳なさそうな顔をしている。
 ハンプティ・ダンプティや三月兎の一件で、睡蓮教団と自身のしてきたことの惨さをシャトンはまざまざと突きつけられた。
 ここしばらく落ち込んでいたところに、この一件だ。アリスのことに責任を感じているシャトンとしては、アリスの帰る場所であるところのダイナが帝都からいなくなると言うのは他人事ながら堪えるのだろう。
「どのくらいで戻れるの?」
「わからないわ。相手と私の意地の張り合い次第ってところね」
「そっか……」
 アリスは一瞬だけ悲しそうな顔をしたものの、すぐに良い子の笑顔を作り、ダイナに少し早い見送りの言葉をかける。
「気を付けて行ってきてね」
「ありがとう。必ず戻って来るから」
「……」
 そんな風に言われると、まるで戻って来ないことがあるかのようだ。
「あのね、ダイナ先生」
 自然体で見送ろうと思ったのに、ここにきてアリスはどうしても伝えたくなってしまった。例え不審がられたとしても。
「もしもダイナ先生よりアリストお兄さんの方が先に戻って来れたら……アリストは、待っていてくれると思う」
 ヴァイスとシャトンは目を瞠るものの、結局アリスの行動を押しとどめるようなことは言わなかった。むしろ、茶化すようにして場の雰囲気を和ませることに努める。
「そうだな。ダイナだってアリストを随分待ったんだ。今度はダイナの方が少しぐらいアリストを待たせても問題ないだろう」
「自分も待たされた方が、アリストの方も気が楽になるかもしれないわね。これでお相子だって」
 ダイナが微笑んで礼を言う。
「……ありがとう、三人共」
 このやりとりの全てが嘘と言うことはなく、気持ちだけは十分に伝わっても、その真意が本当に明らかになる日は酷く遠い。
 そして今日もまた一日、なんでもない日が過ぎていく――。

 ◆◆◆◆◆

 数日後、ジグラード学院。
「……」
「……」
「……」
 エラフィが口火を切った。
「ねぇ、なんか今日人数少なくない?!」
「うん……」
「なんでだろうな」
 いつもの放課後。……とは行かなかった。
 先日の事件による悲しい別れのことは差し引いても、明らかに人数が少ない。
 この場にいるのは高等部のエラフィとレント、そして小等部のカナール、ローロ、ネスルの三人のみである。
「うちはフートと、ムース、ギネカが都合悪いって」
「アリスちゃんとシャトンちゃんとフォリーちゃんがお休みなの」
「欠席者が六人、今日は総勢五名かぁ」
 確かに集まって騒ぐような気分ではないとはいえ、これはさすがに少なすぎではないだろうか……?
 放課後用事があると言うだけならともかく、全員が授業を休んでいるのである。
「それに今日はヴァイス先生も休みで、ダイナ先生は何か用事があって長期休暇の申請……」
 そして、ルルティスも休んでいる。
 彼の正体に関しては――ハンプティ・ダンプティことヴェイツェが殺された病院の屋上で、その姿を直接目撃したアリスたちと、彼に伝えられたギネカたちしか知らない。
 今ここに集っているのは、真実から少し遠い人間ばかりだ。
「ヴァイス先生に関しては、むしろヴァイス先生に用事があるからこそアリス君とシャトンちゃんも休みだと見るべきじゃないかな」
「それもそうか」
 アリスとシャトンの保護者はいまだにヴァイスと言うことになっている。
「あ、もしかしてアリスちゃんやシャトンちゃんのお父さんお母さん絡みの話かな。あの二人、家に帰れることになったのかも」
「その辺の話は俺たちも聞いてないからなぁ……」
 よその家庭の話に首を突っ込んで良いものかと、レントは複雑な表情になった。
「まぁ、あの子たちは待っていてくれる家族がいるって言ってたし、話が進展してるといいわね」
「え? そうなのか」
 誘拐事件の後にアリスとシャトンと三人きりで直接話して簡単に事情を聞いていたエラフィは、皆にその話を告げる。
「……でも、他の人たちは何があったんでしょうね」
 話が一段落と言う名の一回転したところで、ローロが小鳥のように首を傾げた。
 結局そこに尽きるのだ。いくらなんでも今日は知人友人が皆揃って休み過ぎる。
「インフルエンザにはまだはえーぞ」
「ネスル君、それは冬です。帝都はもうすぐ夏です」
 いきなりこの人数が季節外れのインフルエンザにかかるはずもないだろうと、やはり彼らは首を捻って考え込む。
「何か知らないけど全員用事で休みって言ってるのよね」
「たまたまだとしたら凄い偶然だね」
 ヴァイスとアリス、シャトン。
 ダイナ。
 フートにムース。
 ギネカ。
 フォリー。
 この全員が一度に別の用事で抜けることがあるなどと、そんなことがあるのだろうか?
 しかし、では今この時期に彼ら全員に共通する用事があるとも思えない。
 どうにも気分が盛り上がらずそのままぐだぐだと机になついて話をしていると、フォリーから電話で連絡が入った。
「あ、フォリーちゃん。どうしたの今日は」
 何故か小等部の友人たちではなく、高等部のエラフィにかかってきた電話に視線が集中する。
「は?」
「……どうかしたのか?」
 突如おかしな声を上げて携帯を凝視するエラフィに、レントがそっと問いかける。
だが彼女は依然レントよりも、電話の向こうのフォリーに集中していた。
「どういうこと? テラス君が、私たちにしてほしいことを頼んでいたって……」
 先日亡くなったばかりの小さな友人の名に、彼らは一斉に息を呑んだ――。

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