第7章 黄金の午後に還る日まで
25.赤の女王の夢 147
怪しげな暗い部屋。窓はなく、照明も限られている。
棚に並ぶ何の生き物かもわからない頭骨と標本。奇怪な絵画に血塗られた魔法陣。飾られた蝋燭は人の手の形をしていた。――“栄光の手”と呼ばれる魔道具。
「……何のサバトだ!」
一歩足を踏み入れた途端、アリスは叫んだ。
自分たちは改めて睡蓮教団の敵対組織こと“白の王国”に呼ばれてきたはずなのに、招かれた屋敷で通されたこの場所はまるで物語に登場する如何にもな魔女の秘密部屋である。
「いやー、すみませんね。今ちょっと共同研究のために散らかってまして」
「あんたたちは……」
「俺はセット=ジャルディニエ。こっちはジオ=キプロス」
銀髪に青い瞳の二十代半ばの青年と、燃えるような赤毛の十四、五の少年が部屋に入ってくる。
「お前たちには、こう名乗った方がわかりやすいだろ。“庭師の7”と“庭師の2”だ」
「あ、ってことは、ゲルトナー先生の」
「同僚にして同胞。“辰砂の弟子”の残り二人でーす」
お気楽に名乗った銀髪の青年がコードネーム“庭師の7”、少しぶっきらぼうな口調の赤毛の少年が“庭師の2”らしい。
ゲルトナーがそうであるように、この二人もまた外見と実年齢が一致しないのだろう。アリストより若く見える少年ですら、人の寿命の何倍も生きていると言う。
「来たか?」
「マレク警部」
とりあえず怪しげな部屋の中に押し込められてごちゃごちゃやっているところに、ようやくアリスたちを呼びだした張本人が姿を見せた。
帝都警察捜査三課、怪盗ジャック専任警部ことアブヤド=マレク。
しかしその正体は、“白の王国”と呼ばれる組織の支配者、コードネーム“白の王”だ。
普通なら白の王の正体がマレク警部と言うべきなのだろうが、見た目よりずっと長生きしているマレク警部やゲルトナー教諭のその名もまた偽名。もはや本名など覚える必要もないとの言い振りだ。
「……って言うか、なんかどっかで見た顔ばっかりなんですけど?!」
元からいた者たちと新たにやってきた者たち、その面子の顔を見回して、アリスは思わずそう口に出さずにはいられなかった。
“白の王”アブヤド=マレク
“庭師の5”フュンフ=ゲルトナー
“庭師の7”セット=ジャルディニエ
“庭師の2”ジオ=キプロス
そして
“処刑人”エイス=クラブ
“魚の召使い”サマク=カーデム
“蛙の召使い”ラーナ=セルウィトル
鏡遺跡で出会い、先日のエラフィ誘拐事件でも学院組がエメラルドタワーで顔を合わせたトレジャーハンターの少年三人組と。
「ってことは、彼らの知り合いであるあなたたちも……」
「そういうこと」
“木馬バエ”フリーゲ=カルッセル
“バタつきパン蝶”ペタルダ=パンブール
エイスたちの知り合いで、エラフィ誘拐事件の時に学院組を手伝ってくれた二人組のこちらもトレジャーハンターだ。
あの時に力を借りたギネカが呆気にとられている。
「……あなたたちの仲間は、これで全員?」
「いいえ。あと三人ね。この三人は現在大陸外の遠方まで出ちゃってるから戻って来るのは随分先よ」
シャトンの問いには、フリーゲが答えた。
アリスとシャトンはフリーゲとペタルダとは初顔合わせだが、向こうにはあまり気にする様子はないようだ。
「お互いに初めての者もいるだろうし、そちらも自己紹介を頼む」
「……アリスだ。アリス=アンファントリー」
頃合い良く声をかけたマレク警部に応え、アリスたちもそれぞれ白の王国の人々に名乗った。
“アリス”アリス=アンファントリー
“チェシャ猫”シャトン=フェーレース
“白の騎士”ヴァイス=ルイツァーリ
“料理女”ギネカ=マギラス
そして、一人の少年が仮面に手をかける。
「怪盗ジャックこと、パイ泥棒のジャックだ」
「まさかこのような形で仇敵の正体を拝むことになるとはな」
「それはこちらの台詞ですよ、怪盗ジャック専任マレク警部」
“パイ泥棒のジャック”ネイヴ=ヴァリエート
改めて手を組むこととなった怪盗も、アリスたちの仲間、ギネカの幼馴染としてこの場に一緒にやって来た。マレク警部は前回の一件でジャックの正体を知っているとはいえ、目の前で仮面を外す姿を見るのは流石に複雑なようだ。
「あとは、ここに来られない探偵さんだっけ?」
「……ああ。ヴェルムには怪盗ジャックと手を結ぶことは伝えたけど、ジャックの正体がネイヴだってことはまだ教えてないんだ」
「いやぁ、だってどう言っても話がややこしくなりますし……」
ここで怪盗とその専任警部が顔を突き合わせている時点でもうすでにややこしいのだが、ヴェルムの潔癖さを考えればそのまま素直に教えてしまうのは躊躇われた。
「そう言う訳で、私はしばらく怪盗ジャックとして通させてもらいますよ。元々パイ泥棒を名乗ったのは、睡蓮教団への敵対意識を示すためでしたから」
「ネイヴ、お前姿が変わると口調まで変わるのはややこしいな……」
手を組むとしたところで、必ずしも全てを明かさねばならない訳ではない。少なくとも怪盗ジャックは、探偵ヴェルム=エールーカには正体を隠すことにしたらしい。
“イモムシ”ヴェルム=エールーカ
“公爵夫人”ジェナー=ヘルツォーク
その性格通り探偵として堂々と本名そのまま睡蓮教団への敵対者として名を挙げているヴェルムは、教団との戦いが本格化した際には真っ先に被害を受ける可能性がある。
そんな彼のフォローには、教団から逃げ出してヴェルムに匿われることになった公爵夫人ことジェナーがそのままつくと言う。
彼らにはこの集まりのことは言ってあるので、事情は把握しているはずだ。
「あとは……ちょうど良いタイミングだったな」
扉が開き、更に人数が増える。
彼らもアリスたちの知人であり友人だが、共に行動はせず別々にここまでやってきた。
今度も帝都の誰もが見知った姿。しかし彼にまつわる事情はややこしい。
「怪人マッドハッター。ザーイエッツ=マルティウスだ。どうぞよろしく」
部屋に集まる面々の様子から一瞬で状況を理解したらしく、優雅に腰を折って礼をする。丁寧過ぎるその仕草は道化らしく気取っているように見えた。
仮面をとってにっこりと笑う怪人の表情はフートと同じで同じではない。寸分違わずそっくりでありながら、まるで違う。
フート=マルティウスの兄、ザーイエッツ。
彼はシャトンが十年前に試験的に作った不完全な禁呪を教団にかけられて、アリスと同じように十年の時を盗まれていた。
十年分若返った彼の姿は、十歳年下の弟とそっくりになっている。
そしてその弟こそ、アリスト=レーヌの同級生で友人であったフート=マルティウス。
兄が行方不明になった十年後、兄の代わりに怪人マッドハッターとして帝都の夜を騒がせていた怪盗の一人――だった。
彼はもういない。
フートは姿なき情報屋“ジャバウォック”ことテラス=モンストルムに導かれて何処かへと消え去ってしまったからだ。
彼がどうなったのかは誰にもわからない。
けれど、そのフートと入れ替わりのように、ザーイエッツが帝都に戻ってきた。
十年の時を盗まれた彼は、十年の時を生きることで彼自身が怪人として活動していた十七歳の姿をようやく取り戻して、睡蓮教団への反撃に出る。
「マッドハッターの相棒、“眠り鼠”です」
ザーイエッツの傍には、彼の弟が怪盗をしていた時と同じように共犯者である少女がいる。
“三月兎”にして“帽子屋”でもあるザーイエッツ=マルティウス
“眠り鼠”ムース=シュラーフェン
二人の怪人マッドハッターとその相棒のことはアリスたちにもまだ全てを受け止め切れたわけではないが、大まかな事情はわかった。
早い段階でアリスたちに協力していたギネカとは少し立ち位置が違うが、ムースも、そしてザーイエッツもアリスにとっては大事な友人だ。
彼らと手を組み、これまで多くの人々を苦しめてきた睡蓮教団との決着をつけることを選んだのはアリスである。
「これで本当に全員?」
「あ、待って。あと一人――」
アリスが口を挟もうとしたところで、タイミングを見計らったように電話がかかってくる。
否、見計らったようにではなく、本当に見計らっていたのだろう。余人には想像もつかない方法で。
『“バンダースナッチ”……フォリー=トゥレラ』
ジャバウォックが生前に残した情報を使ってアリスたちを支援してくれるという小さな少女フォリーもまた、コードネームを持っている。
“バンダースナッチ”、フォリー=トゥレラ
彼女は背徳神の魂の欠片を多く有するために、あまり目立つ行動をして教団に目をつけられないようにテラスが忠告していたらしい。
けれどそのテラスももういない。今こそフォリー自身が戦わねばならない時だと言う。
一癖も二癖もありすぎる顔触れだが、この面子で彼らは教団との戦いを終わらせねばならない。それぞれが決心した結果、今日ここに集まったのだ。