Pinky Promise 148

第7章 黄金の午後に還る日まで

25.赤の女王の夢 148

 テラスが情報屋として残した資料を基に、彼らは作戦を立てる。
 それは睡蓮教団の様々な悪事の証拠。ハートの王と対峙した際に、テラスが彼から盗み出した情報だ。
 睡蓮教団の幹部たちは持っている情報を巧妙に暗号化し、データにもウイルスを仕掛けていた。ファイルを開くだけで並大抵の作業ではなかったのだが、そこは白の王国の技術者が突破した。
「伊達に長く生きてねーからな」
「暗号の方も、これだけじゃ意味はわからないけれど……」
 ハートの王の持っているデータは断片的なものだった。
 しかし、そこにチェシャ猫と公爵夫人の持ち出した情報を合わせると規則性が見えてくる。
 彼らは一人がデータを盗まれても、それだけでは決して睡蓮教団の心臓部に繋がらぬようデータをパズル状に分けて持っていたのだ。
 そして誰がどのデータを持っているかは、お互いしか知らない。
「だからこそ睡蓮教団は、お互いを“不思議の国の住人”と言う名のコードネームで縛り合う」
「教団の関係者を片っ端から殺していったハンプティ・ダンプティを警戒したのも、それが理由だったのかな……」
 秘密を知る者と知らない者。
 その違いは、それだけ大きいのだ。
「睡蓮教――つまり、背徳神グラスヴェリアを崇める集団だけあって、彼らの信者も多くが背徳神の魂の欠片を持つ者だからね。組織力の大部分を人の力に頼っているんだろう」
 どこの企業でも団体でも多かれ少なかれそういうところはあるが、それでも睡蓮教団の形態は特異であった。
 だからこその「信仰」だと。
 テラスがハートの王から引き出したデータは大漁だが、肝心な部分はまだ隠されている。それを何とか見つけ出すためにも、やはり直接彼らの本拠地に乗り込む必要があるだろう。
「では、教団独自の弱点は?」
 突然問われて、アリスは狼狽える。
「えーと……宗教団体として背徳神を崇める組織なんだから、その精神的な拠り所である神様になんかあれば組織を揺るがせることができるんじゃないか?」
 ハンプティ・ダンプティことヴェイツェの過去を聞いた時、彼を得るために教団が彼の両親を四百人以上も巻き込む事故に見せかけて殺したという執念に驚いた。
 そして始まりのその時からを思い返す。
 アリストが時間を盗まれたのは、彼らの神を復活させるためだと言う――。
「正解だ」
 マレク警部がにやりと意地悪く笑う。
 凍るような美貌の持ち主だが人間味を失うことがないのは、こうした部分があるからだろう。
「奴らは“神”のために動いている。実際それが背徳神のためになるかどうかはともかくとして、教団の信者の大部分は背徳神を蘇らせたいと願っている」
「前から思っていたんだけど、蘇らせてどうすんの?」
「願いを叶えてもらうのさ」
 朱い唇を皮肉気に吊り上げて言う。
「地上に無数の魂の欠片となって“堕ちた”神。天上におわす他の神々と違って、グラスヴェリアは欲深い人間どもにとっては唯一手の届く神なのだろうよ」
「……本当に叶えてくれるの?」
 その口調に答をなんとなく理解しながら問いかけたアリスに、別の人物が返答を投げる。
「そんな訳ないだろ」
 一刀両断のエイスに、心なしか周囲の白の王国メンバーから生温い眼差しが注がれているのは気のせいだろうか。
「だがそれが真実かどうかはどうでもいいのだ、教団にとってはな。真実は保証せず、ただ神が蘇れば願いを叶えてくれると囁いて信者を増やす」
「グラスヴェリアは背徳の神。……その性質を勝手に勘違いして、どんな後ろ暗い願いでも叶えてくれると思っているんですよ」
 ラーナが溜息と共に告げる。
 今日は動きやすいトレジャーハンターの服装ではなく、どこか神官めいた格好をしている。もしかしてそれが彼の本職なのだろうか。
「我欲で動く連中もそうだけど、純粋に叶えて欲しい願いのある人間ほど厄介なものだよ」
ラーナの溜息に対し、ゲルトナーがまた別の角度から教団員たちの思惑を告げる。
「純粋な願い?」
「死者を蘇らせたい」
 アリスたちの脳裏に、ヴェイツェやテラスの姿が過ぎる。
 他にも家族や友人、これまでの人生で失ってきたたくさんの人々の姿が――。
「そういう人ほど、教団につけ込まれるんだよ」
 師である辰砂を取り戻したいと願う、その弟子たち三人がしみじみと告げる。
 ある意味彼らも教団と同じ目的のために動いている。睡蓮教団は背徳神グラスヴェリアを取り戻したくて、彼ら白の王国は創造の魔術師・辰砂を取り戻したい。
 けれど。
「教団自体が多くの人を殺しているじゃない」
「神が蘇ればみんな生き返るからいいんだと」
「そんな話ふざけ過ぎよ」
 ギネカが憤慨する。
 睡蓮教団の主張を彼らが受け入れられないのは、そこに伴うものが他者に本来無用なはずの痛みを強いる行為だからだ。
 彼らの願いが、あまりに自分勝手なものだからだ。
 この世の人間の行動は皆、大なり小なり身勝手を含むもの。とは言え、例え自らの大事な人間を生き返らせるためであっても、同じ痛みを他者に強いる行為に賛同する気にはなれない。
「結局、死者のために死者を蘇らせたいんじゃなくて、他者を生かすも殺すも全部自分の都合ってわけだ」
「誰かを蘇らせるために他の誰かを殺す人間の心理なんてそんなものだろう」
 吐き捨てたエイスをちらりと見遣り、マレク警部が逸れた話を作戦会議の主軸へと話を戻す。
 これまでどれ程多くの人間が死んだかしれない。教団と正義について議論などする段階はとうに通り過ぎている。言葉での話し合いで決着がつくとも思えない。
 戦うしかないのだ。そして教団の暴走とも言える犯罪行為を止めるためには、それなりの作戦が必要である。
「……それで、教団の拠り所である神の存在を、彼らから奪うにはどうすればいいと思う?」
 ――その時、アリスの脳裏に閃いた。
「時間」
 まるで最初から全て、答がそこへ繋がっていたように。
「教団が十年の時と多くの人間を使って集めた、神を蘇らせるための“時”を奪う」
 教団が積み重ねてきた罪。その中で奪われ、喪われてきた多くの者たち。時を奪われて死んでしまった人間はどうにもならない。
 けれど、“アリス”は生きてここにいる。
 盗まれた時間、アリスト=レーヌの一部は元に戻る日を待っている。

「俺が、盗まれた“時間”を取り戻す――!」

「「!」」
 チェシャ猫が、三月兎が、ジャックが、他の者たちが驚きの表情を浮かべる。
 アリスが時間を取り戻すことが、そのまま教団の心臓部を破壊し、彼らを砕く天の雷になるのだ。
「背徳神の魂の欠片を持つとは言っても、彼らの多くは普通の人間……」
「生者にとって時間は有限だ。自分が生きている間に神が復活することがないとわかれば……」
「彼らの信仰を奪い、教団を弱体化させることができる――!」
 教団の組織力と禁呪、そして時間。全てが揃わねば神を復活させることはできないのだ。
 ヴァイスが一度壊滅寸前まで追い詰めた教団の力がこの十年で増したのも、チェシャ猫の存在により時間を盗む禁呪の完成が現実的なものとなり、神の復活に説得力が生まれたからだと言う。
「……」
「あまり気にするなよ、チェシャ猫」
「わかってるわ。でも……」
 チェシャ猫がいなければ、ここまで大きな被害を出すことはなかったかもしれない。
 けれど教団がまた影に隠れてこそこそと被害を増やすこともまた、平和ではない。
 一人が死ぬのと百人が死ぬのと、結果としてはどちらがいいのか?
 ――そのたった一人の家族にとってはどちらだって同じことだ。
 そして少なくとも自らの作った禁呪に責任を持ちたいと思うシャトンでなければ、アリスは救われなかったし、こうして白の王国と共に打倒教団のために動くこともなかったのだ。
「じゃあ、やることは決まったな」
 盗まれた時間を取戻しに行く。
「でもどこに?」
 反射的なアリスの問いに、マレク警部が冷静に返す。
「それがまだわからない」
「「「……」」」
 室内は一瞬完全なる無音と化した。
「って、マレク警部? あのー」
「わかっていたら、私たちだとてとっくに襲撃を仕掛けているに決まっているだろうが」
 言葉も態度も冷静だが、言ってる内容はどうか? と思われるものである。
「……それもそうよね」
「逆に言えば、場所さえ分かればすぐに制圧できる?」
「まぁな」
 一つ注意しておきたいことに、白の王国のメンバーには、魂の欠片を持つ者がいない。
 ……当然である。彼らは辰砂が背徳神諸共魂を砕く前から存在しているのだ。
 彼らは地上で使える力の大きさやルールが普通の人間とは違い、人間世界の出来事の範疇で事を収めるには彼らの力だけでは限界があった。
 単純な身体能力では、魂の欠片を持つ人間の方が白の王国を上回る。
 かと言って一部の者が「本来の」力を発揮してしまうと、地上の一犯罪組織を潰すどころではなくなるらしい。
 迂闊に動けなかったが、今回アリスたちと手を結んだことで状況が変わったと言う。
「お前たちにできないことは我らがやる。だから、我らにできないことをお前たちに頼みたい」
 エイスがアリスを見つめて言った。
「人間の物語を作るのも壊すのも、結局は人間だけだ」
「……ああ!」
 アリスは強く頷き返す。
 神様の強大な力という歪んだ信仰に縋る睡蓮教団。
 彼らに対抗するためには、アリスたちは彼らと同じ道は選べない。
 最後の決着はあくまでも、自分たち人間の手でつけねばならないのだ。
「じゃあ、後は教団の本拠地を見つけるだけね」
「一番手っ取り早いのは、コードネーム持ちの幹部を捕まえて聞き出すことだよな」
「対策ぐらいしているだろう」
「あ、それなら任せて」
 ギネカが手を上げる。
「私は接触感応能力者。触れた相手の記憶を読み取れるわ」
「ちなみに俺は催眠能力者。いざとなったら相手に自分の姿を仲間だと思わせるとか、いくらでも細工できるぜ」
 ネイヴも主張する。
「そういう能力持ちがいたのか……!」
 白の王国の面々も流石に呆れた様子になる。ネイヴとギネカの幼馴染コンビは伊達に五年も怪盗として睡蓮教団と戦ってはいない。ここにきて強力な切り札が手に入った。
 ならばあとはどうやって仕掛けるべきか。何処に行けば睡蓮教団の人間と接触できるかなどを一同は考え始める。
 その時、白の王に報告の電話が入った。
「睡蓮教団の人間を、女が襲撃している?」