第7章 黄金の午後に還る日まで
26.歩兵は白の女王へ 154
白の王国とダイナの間で、改めて打倒教団のための作戦会議が始まった。
「我々が今調べなければならないのは、睡蓮教団の本拠地だ」
「それならばわかります」
「え?」
ダイナの言葉に、一同は彼女に注目する。
「でもあなたは、先程までハートの女王の居場所を調べるために教団の関係者を当たっていたのではないか?」
「ええ。私がわざと派手に動き回ったのは、私の存在をレジーナに知らせて彼女自身を出て来させるため」
“不思議の国”の考案者であるダイナの存在を知れば、ハートの女王自身が動くしかないと言う。
魔導士であるダイナの戦闘能力は高く、チェシャ猫やティードルディー、ティードルダムのコンビがいない今、同じように高位の魔導士であるハートの女王にしかダイナは止められない。
「先程のやりとりの間に、彼女に目印をつけました。その反応を辿って行けば、教団の根拠地に辿り着くはずです」
「あの時の攻撃……」
「そうよ、シャトンさんも魔導が得意だったわね」
「え、ええ」
禁呪の開発をしていたチェシャ猫ことシャトンだ。魔導の仕掛けにはすぐに気づく。
「でもダイナ先生、あの時の技は――」
「……いいのよ。多分、これで最後だから。私は呪詛の専門家なの」
ハンプティ・ダンプティの殺害方法の仕組みを見抜いてアリスたちに教えたのもダイナだった。
今のやりとりはチェシャ猫以外の者には意味がわからなかったが、つまり――ダイナはヴェイツェと同じ方法を使ったのだ。
自らの魂を削り取り、呪詛として相手に仕掛ける。ダイナ自身に負担がかかり寿命が縮むが、それが一番確実な方法だと。
そして仕掛けられたハートの女王も、その意味を知っている。
例え発信機代わりの呪詛に気付かずとも、ダイナの性格を知る以上、ハートの女王はこの後のダイナの行動を予測しているだろう。
「レジーナも私が来ることはわかっているはず。向こうは向こうで戦闘態勢を整えて待っていることでしょう」
「奇襲は通じない訳か」
「ええ。闇討ちも不意討ちも通じません。真っ向勝負よ」
「ハートの女王はそんなに強いのか?」
「それ程でも。私と同じくらいですね」
「そりゃ強い……」
ヴァイスが頭を抱えた。
魔導の第一人者であり、世界の中心たる象牙の塔ジグラード学院で魔導を教えているヴァイスにも勝てない相手がいる。それこそがダイナだ。
けれどそのダイナがここにいると言うことは、レジーナ=セールツェことハートの女王に関しては彼女が抑えられると言うことでもある。
「こちらの狙いは読まれていると思う?」
シャトンが問う。
白の王国の作戦の要は、彼らから神への信仰を奪うためにその復活計画の阻止――アリスたちが“盗まれた時間”を無事に取り戻すことだ。
その狙いに気づかれて、盗んだ時間の「置き場所」に戦力を集中されては敵わない。
アリスに関する事情はまだダイナには話していないが、教団の信仰を奪う方法として彼らが長年魔導を使って収集しているものの破壊を目論んでいることを伝え、意見を乞うた。
「レジーナはあまり博打をしないのよ。彼女が行うのはいつも結果が見えている勝負。だから恐らく、要所の全てに広く薄く兵を配置しているはず」
「……戦術としてはあまり有効とは言えないな」
ヴァイスが眉間に皺を寄せる。
睡蓮教団のトップであるハートの女王。
教団の頭は、もっと強く賢く恐ろしい相手だと思っていた。
だが友人であるダイナの唇から語られると、ハートの女王と言えど一人の人間でしかないことがわかる。
それと同時に、どこか読みきれない不気味さも残る。
ダイナによって予想されるハートの女王の采配は、どこか自身にとっても破滅的なのだ。
まるでこれが負けても良い勝負であるかのような。
実際にはここで盗まれた時間を取り返されたら、もう彼女の代で神を復活させるのは現実どころか理論上ですら不可能になる計算だ。
……とはいえこれはあくまでも推測。
ダイナの読みが外れることも考えて行動しなければならない。
「あの子は私が止めます。レジーナ=セールツェは私の友人。そして私は“赤の女王”として、“ハートの女王”に打ち克ちます」
「……頼んだ」
ダイナの実力をよく知るヴァイスが白の王国の面々に目配せし、計画の行方を握る最も危険な相手との戦闘を任せることにした。
「我々は教団の全体的な動きを抑えよう。作戦の中核はお前たちに任せる」
「マレク警部」
主戦力はダイナを始めとしたアリスたちの一派に任せ、白の王国はどちらかと言えばサポート的な動きに努めると言う。
「何、いざとなれば警察も動かせるしな。何せ現場には――」
マレク警部がネイヴの方を見てにやりと笑う。
「怪盗ジャックがいるんだからな」
「はいはい。せいぜい暴れて、奴らの目を惹きつけてやりますよ」
怪盗ジャックは陽動として白の王国メンバーと共に教団を引っ掻き回す役割を負っている。
ネイヴの目的は教団への復讐だ。個人として憎む仇がいないからこそ、教団全体の動きを抑えるのは願ってもないことだ。
「悪いが俺は、自分の“時間”を取り戻すためにアリスたちと組ませてもらう」
「なら私と役目を交換しよう。私も教団には顔が割れているからな」
白の騎士として教団から目の仇にされているヴァイスの動向は一番に注目されるはず。
今回ヴァイスは怪盗ジャックと一緒に陽動に回り、教団から見て白の王国との協力関係が不透明な怪人マッドハッターことザーイエッツが、アリスとシャトンの護衛に回る。
「今回はかなりいつものチーム分けと別れるわね」
「でも知り合いが多いから即席コンビでもあまり無茶な気はしないな」
良いこと……と、言っていいのだろうか?
「ムースは?」
「ザーイたちを後方で支援します。私は皆さんのように個人での戦闘能力は高くないので」
ムースも多少の魔導を使えるし学院では優秀な生徒の一人なのだが、フートやアリスト、ギネカのように超優秀と言われる生徒たちには一歩劣る。
よく比べられるギネカのように、銃を持った強盗犯と直接戦える程の護身能力はないのだ。
その代わりムースは外部から情報支援を行うことには長けている。フートが怪人マッドハッターとして活動していた頃、警察の配置や逃走経路などを素早く把握して知らせていたのがムースの役割であった。
「ギネカは?」
「ヴェルムと一緒に行動しようと思うの」
「……!」
ネイヴが何故か動揺している。
「帝都の切り札さんは、教団の犯罪を明るみに出すって言ってたでしょ。私も同じ気持ちよ。ネイヴの両親やテラス君、ヴェイツェを殺した教団の罪を全部、さらけ出してやりたい。だから彼を手伝うわ」
「ギネカ……」
「尤も、ヴェルムの気持ち次第だけどね。私もネイヴの仕事を手伝って、怪盗の片棒を担いでいたんだもの」
けれどギネカはアリスたちの方にも早い段階で協力していて、ヴェルムとの接触も多かった。お互いにどんな人間かは、もうわかっているはず。
だからこそギネカは自分の正体と能力を、覚悟の上でアリスたちに明かしたのだ。
「私の接触感応能力は、こういった場面では役に立つはずよ。それにヴェルムよりは戦えるでしょうしね」
「あいつもそれ程弱くはないはずなんだが……。まぁ、マギラスがついていてくれるのなら私の懸案は一つ減るな」
「強すぎるよギネカ……」
遺跡を占拠した銀行強盗にも、爆弾を仕掛けた誘拐犯にも怯まない。それがギネカ=マギラス。怪盗ジャックの相棒まで務めた、コードネーム“料理女”である。
これでこの場にいる人間の大体の配置は決まった。あとはヴェルムやジェナー、フォリーと言った協力者にも伝達し、細部を詰めることとなる。
ダイナがハートの女王の動きから察知した教団の本拠地の場所から、とある仕掛けも済ませておきたい。
それらの準備の時間を考慮して、作戦は二日後と決まった。
「これが、恐らく最後の戦いとなるだろう」
ヴァイスの時のように教団を不完全な形で残しておくことはしない。
この十年の間に増えた被害者であり協力者たちが、今度は確実に教団を潰す。
「アリス」
マレク警部が口を開く。
「“歩兵”から“白の女王”へと成った。お前の肩に全てがかかっている」
『鏡の国のアリス』において、冒険の末に「アリス」はチェスのコマの一つとして、「白の歩兵」から「白の女王」へと成るのだ。
白の王国はそうやってずっと白の女王になれる“アリス”を待ち望んでいたのだと。
酷いプレッシャーをかけてくれる男だなと思いながら、それでもアリスは笑って頷いた。
「うん」
この悪夢から醒めると決めた、主人公は“アリス”なのだから。